第11話 音

 1



 季節は秋から冬に移り変わり始めていた。木々の葉は落ち、寒さはどんどんと厳しくなる。


 そんな中の金曜日。

 俺はというと、学校に行かず自宅に籠もっていた。更に詳しく言えば、自分の部屋のベットの中で横になっていた。


 もちろん、登校拒否と言うわけではないし、ニートになったわけでもない。そう、俺は風邪をひいていた。

 医者に診てもらった所、季節の変わり目によくあるもので、インフルエンザなどではないらしい。とは言え、無理はいけないので学校を数日休んでいるという訳だ。


 ピピピピ!


 脇に挟んでいた体温計が機械的な音を鳴らした。表示された数字は36.5度。どうやら熱は下がったようだ。


 これで来週は学校に行けるな。

 そんな事を思っていた時だった。


 ピンポーン!


 インターホンが鳴ったのだ。幸いにも家には母親がいたので、俺は動かずにじっとしている。


 何やら聞こえてくる母親の声のトーンがいつもより高い気がする。近所の人とでも話しているのだろうか。

 まぁ、しかし、そんなことはどうでもいい。今は寝ておくとしよう。


 そうして目を瞑ってからしばらくしたときだった。俺の部屋に足音が近づいてきた。恐らく母親だろう。


 しばらくしてドアが開く音がした。

 横になったまま、母親に自分の今の体調を伝える。


「お母さん。熱は下がったっぽいから、来週から学校行ける」

「……」


 しかし、母親からの返事はなかった。聞こえていなかったのだろうか。

 体を起こして母親の方を見る。


「……え?」


 そこにいたのは母親ではなかった。かと言って、まったく知らない人物でもない。むしろ、よく知る制服を着た人物だった。


「……あ、あの、伊崎くん。体調どうですか?」


 困ったようにそう訊いてきたのは前橋まえはし琴音ことねだった。


「まっ、まっ、前橋っ!?」


 慌ててベットから降りて、前橋からできる限り離れられるように壁際に寄った。


 何で前橋がここにいるんだ。どうやって俺の家の住所なんて知ったんだ。これは夢か、幻か。って言うか、俺変なこと言ってなかったよな?


「あ、あの伊崎くん。寝てなくて大丈夫なんですか?」

「え……? あ、あぁ。熱は下がったから大丈夫」

「そうですか。ふふっ、それならば良かったです」


 前橋は俺の焦りを気にする素振りはなく、至って自然に微笑んでいた。

 俺は一度冷静になり、自分のベッドに腰をかける。


「あの、一応お見舞いとして飲み物を買ってきたんですけど、いりますか?」


 そう言うと前橋は右手に持った袋の中から青いラベルのスポーツドリンクを取り出して、俺に見えるように差し出した。

 熱はすでに下がっているが、ここで受け取らないのは失礼だろう。


「わざわざありがとう。ありがたく貰うよ」


 前橋からスポーツドリンクを受け取り、蓋を開けて少しだけ飲んだ。寝起きの喉にスポーツドリンクが染み渡る。飲み終えたところで、気になることについてを質問することにした。


「ところで、前橋は何で俺の家に来たんだ?」

「あっ。それはですね、これを渡すためです」


 前橋は先程と同じ袋から1枚のクリアファイルを取り出し、俺に渡してきた。


「これは?」

「伊崎くんが休んでいた間に配られたプリント類です。中には再来週に控えた期末テストに関するプリントもあるので」

「分かった。……って、ちょっと待て。今、期末テストって言ったか?」

「はい」


 前橋はなんの含みもない返事をした。


「……まずいな」

「何がですか?」

「教科書とか問題集を全部学校に置いてあるんだ」

「……伊崎くんって、普段家でどうやって勉強しているんですか?」

「まぁ、テスト前だけ教科書とか問題集を持って帰って」

「……」


 前橋が呆れた表情で俺を見ている。

 きっと、成績学年上位の前橋にとって、俺の行動は信じられないことなのだろう。

 だがしかし、期末テストが再来週に迫っていると分かれば、今ここでじっとしていても仕方ない。


 ベッドから立ち上がり、適当な服をクローゼットから取り出す。


「伊崎くん。何をしているんですか?」


 前橋が俺の背後から覗き込んでくる。自分のクローゼットを他人に見られるのは何となく恥ずかしい気がするが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


「出かけるために着替えようと思ってな。というわけで、前橋。一度、俺の部屋から出ていってくれないか?」

「出かけるってどこにですか?」

「学校に決まってるだろ。今すぐに教科書とか持って帰らないと」

「え! 何言ってるんですか!? 病人が出かけるなんて駄目ですよ」


 前橋が服を取り出そうとする俺の腕を掴んできた。容易く振り払えそうな前橋の華奢な腕が、俺の動きを妨害する。


「今すぐに取りに行かないと、この土日に勉強できなくなるだろ」

「駄目ですよ! 病人は寝ていてください」

「もう熱は下がってるから、病人じゃない」

「一時的に下がってるだけかもしれません」

「それなら、今確認してみるか?」

「……!」


 突然、前橋が俺の腕から手を離した。見てみると、頬が徐々に赤みがかってきている。


 前橋の反応に違和感を覚え、俺は自分の発言を思い出す。


『それなら、今確認してみるか?』


 何となく前橋の気持ちが理解できた。


 俺としては、ただ体温計の数字を見せるだけの気持ちで言ったのだが、前橋はおでことおでこを合わせる方を想像したらしい。


「……その、そういうのじゃなくてだな」


 気まずくなって、何も言えなくなってしまう。すると、


「そ、それなら!」


 と、前橋が声のトーンを上げて言いだした。


「伊崎くん。推理してみませんか?」

「え? 何でいきなり推理の話が出てくるんだ?」

「私がこれから問題を出します。伊崎くんはその問題を推理して、普段通りに推理できたら、病人ではないということにしましょう。熱が完全に下がったというのなら、推理を容易くできるはずです。

 もしできないと言うのなら、伊崎くんは大人しくベッドで寝ていてもらいます」


 どうしてこうなったのだ。熱が下がったことを前橋に伝えるがために、わざわざ推理をしなければいけないのか。

 だがしかし、教科書と問題集を取りに行くには選択肢は1つしかない。


「……分かった。推理しよう」


 というわけで、推理が始まった。



 2



 俺は1度ベッドに戻り前橋は椅子に座る。そうして落ち着いたところで、前橋が問題を出し始めた。


「これは、数日前。ちょうど伊崎くんが休んでいる間に起こった事件です。

 その日は、館林たてばやしさんや高崎たかさきさんたちが朝から楽しそうに騒いでいました。なんでも、数人で集まって数週間後にハロウィンパーティーをするらしく、そのための仮想や小道具などを持ってきていたんです。あっ、少し語弊がありますね。騒いでいたのは休み時間のときだけで、授業中は静かでした。

 しかし、事件は5時間目の地理の時間に起こりました。私達がいつも通りに授業を受けていると突然、音が聞こえてきたんです」

「音?」

「はい。音です。

 その音は静かな地理の時間の教室全体によく響いていました。すると突然、その音がリズムをとり始めたんです。ピッピッピッと、ちょうど三三七拍子のリズムをとり始めたんです」


 前橋が手を叩いてリズムを刻んだ。よく聞いた事のある三三七拍子だ。


「最初はみなさんその音を黙って聞いていたんです。しかし、いずれ笑いをこらえきれない人が出てきて、声を出して笑いだしたんです。1人が笑いだしてからはドミノ倒しのようにどんどんと笑いが伝染していき、最終的にほぼ全員が笑っていました。

 当然、先生は私達が騒がしく笑っていることに気づき、私達の授業態度についての説教を始めました。これに関しては仕方がありません授業中は静かにしなくてはいけないのですから」


 それはそうだ。突然、生徒たちが笑い出すのだから。せめて先生のオヤジギャグで笑い出したのなら怒られずに済んだだろうに。

 

 「しかし、その説教の途中で私は違和感を覚えました。先生は三三七拍子のリズムをとっていたあの音に関してを何も言わないんです。そのため、長野原くんが代表して『音が面白くて笑ってしまいました』と説明したんです」


 学級委員の長野原ながのはらは真面目な性格だ。彼が弁明する姿がすぐにでも想像できる。


「でも、先生は全く理解した様子もなく、むしろ『音なんてしていなかった。言い訳をするな』と怒鳴ったんです。結局、私達はその地理の時間全て使って説教されました。

 ここで、伊崎くんに問題です。あの音とは何か。なぜ先生には音が聞こえなかったのか。その真相を推理してください」


 前橋が長い説明を終えて一息ついた。


 俺は早速前橋の話を思い出しながら推理を始める。


 まず第一に、状況をもう少し詳しく知るべきだろう。


「前橋。その音がそもそも小さくて、先生には聞こえなかったってわけではないんだろ?」

「はい。音は教室全体で聞き取ることができる音量でした」


 そんな音量の音を、なぜ先生は聞き取れなかったんだろうか。


 地理の先生は今年で60歳になる大ベテランだ。60歳となれば、年齢で小さな音が聞こえなくなることはあるかもしれない。

 だがしかし、俺の記憶の限りでは、地理の先生は最後尾の生徒達のヒソヒソ話を指摘していたことがある地獄耳の持ち主のはずだ。

 となると、疑うべきは先生の耳ではない。他に疑うとすれば、生徒側か?


「まさかとは思うが、先生を困らせるためにありもしない音の話ををでっち上げて、クラスメイト全員でウソをついていたってわけじゃないよな?」

「そんなことはしてません。音はちゃんとしていました」


 となると考えるべきは音の種類か。


「その音って具体的にはどんな音なんだ? 音程が変わったりはしたのか?」

「いいえ。音程はずっと一緒でした。ピーーっといった高い音で、人の声というより機械的な音といった感じです」


 教室全体で聞き取ることができる音量で、高く一定の音程で、機械的な音色。それでいて、三三七拍子をリズムを刻むことのできる先生は聞こえていないという音。


「その、館林とかが持ってきた仮装や小道具の中にボタンを押すと音がなるようなものがあるんじゃないのか?」

「いいえ。基本的に彼らが持ってきていたものは、ピカピカとライトが光るようなものはありましたが、音が出るスピーカーのようなものが内蔵されたものはありません」

「そうか……」


 いまいちピンとこない。

 やはりまだ俺は熱を持っていて、頭がうまく回っていないのだろうか。


 しかし、ここで諦めてしまえば教科書と問題集を取りに行くことができない。何か他にヒントがあるはずだ。


 前橋の説明を思い返す。


 ……前橋はわざわざハロウィンパーティーの話をしていた。

 つまり、この事件とハロウィンパーティーの話には何か関係があるのは確かなはずだ。ハロウィンパーティー関連で音の出るもの。……出てしまうものだとしたら。


「どうですか、伊崎くん。何か分かりましたか? それとも、分からずにこのまま諦めますか?」


 前橋がニヤニヤと憎たらしい笑顔を向けてきた。

 前橋はお見舞いと言ってはいたが、これではまるで俺が休むのを心待ちにしているようじゃないか。


 俺は心のなかで前橋にツッコミをいれながら宣言した。


「いいや。この事件の真相は分かったぞ」


「この事件の真相は分かったぞ」

「え!? 本当ですか?」

「あぁ、本当だ。この音の正体。それは恐らく、電気を使うタイプの安物のおもちゃから出た音だ」


 俺の発言に、前橋はギクリと目を見開いた。


「さ、さてどうでしょうか」


 声を震わせながら目をそらしている。

 どうやら俺の推理は間違っていないらしい。


「根拠は音の特徴と前橋の怪しすぎる言い方だ。

 まず、音に関してだが、前橋の言っていたことを一度整理しよう。聞こえてきた音は、教室全体で聞き取ることができる音量で、高く一定の音程で、機械的な音色で三三七拍子をリズムを刻むことのできる先生は聞こえていないもの。ここまでは合っているよな?」

「はい。その通りです」

「三三七拍子のリズムを刻めるということは、少なくとも自然に発生する音ではない。誰かが意図的に発生させるものだ。

 しかし、館林たちの持ってきたものに音が出るようなものはない。

 そこで俺は考え方を変えた。音が出るものではなく、たまたま出てしまうものだとしたら」

「音が出てしまうもの? そ、そんなもの、そんなに都合よくあるんでしょうかねぇ?」

「それ。俺を戸惑わせようとでもしてるつもりか?」

「い、いえ。そんなことはありませんけど」


 前橋は必死だった。

 だか、その演技はあまりにも酷すぎる。 将来、前橋が詐欺師になれることは絶対にないだろう。


 前橋の演技を気にせず、推理の説明を続ける。


「……音の正体。それは『モスキート音』だ」

「……」


 前橋の沈黙は俺の推理が正解であることを示していると受け取って間違いないだろう。


「『モスキート音』は電子機器から発生される機械的な音で、年齢の若い人でないと聞き取ることはできない。先生が聞き取れなかったのはこれが原因だろう。

 安物のおもちゃにどんな機能がついていたかはわからないけど、電気を使っているものならモスキート音が出ている可能性は高い。そして、音が出ていることに気づいた誰かがそれで三三七拍子のリズムを刻んだわけだ。

 これが俺の推理だ」


 一呼吸おいてから前橋を見る。

 前橋は頬を膨らませて、不機嫌そうに俺にこう告げた。


「お見事です」



 3



 俺は約束通り学校に荷物を取りにいけることとなった。そして、今現在は高校の生徒玄関にいる。


 靴を脱いで上履きを履く。そして、足早に教室へ向かおうとする。


「ちょっ、ちょっと待って下さいよ」


 そう俺の背後から声をかけたのは前橋だった。前橋も俺と一緒に高校に来ていたのだ。


 家を出る際、俺はお見舞いの感謝を告げて前橋にはそのまま帰ってもらおうと思っていた。だが、「病み上がりの人を一人で学校に行かせるなんて危ないです」という、前橋のかなり強引な理由付けで一緒に行くこととなった。


 前橋の意図はよくわからないが、まぁ、そこまでの迷惑ではないので良しとしよう。


 俺と前橋は階段を上がり教室を目指す。

 すると突然、前橋が俺の腕に掴まってきた。


「前橋。いくらなんでも、俺は階段を登るのに助けが必要なほど弱ってはいないぞ」

「い、いえ。そうではなくてですね……。その、私、暗いところがあまり得意ではないんです」

「え?」


 言われてみれば、校舎の外はかなり暗い。それに、校舎内もついている照明の数が少ない。もちろん、校庭や体育館では普通に部活動をしている生徒がいるのだろうが、何となく夜の学校特有の不気味さは感じる。


 しかし意外だった。

 前橋は運動も勉強もなんでも完璧にこなせる完璧人間だと思っていたが、まさか暗いところが苦手だったとは。


「小さい頃、おばあちゃんの家で遊んでいた時に、おばあちゃんから暗い場所に関する怖い話を聞かされて、それ以降、苦手になってしまって」

「怖い話? どんな内容なんだ?」

「えっとですね……、おばあちゃんが元々住んでいた村での古い頃の風習として、複数人の兄弟姉妹がいる場合、長男、もしくは長女以外の子供は屋根裏で生活しなければいけないというものがあったらしいんです」

「屋根裏でか。それって、かなり辛いんじゃないか?」

「その通りです。

 いくらご飯などが与えられていたとしても、暗く狭い場所に常に閉じ込められていては、まともに生きていくことなどできません。そのせいで何人もの子供が死んでしまいました。そんな過去があったおばあちゃんの家では、真夜中、不思議な現象が起こったそうです」

「不思議な現象?」

「はい。真夜中。誰もいないはずの屋根裏から、子供が駆け回っているようなギシッ、ギシッという聞こえて来たんだそうです」


 確かに、小さな頃にこういった話を聞かされていれば、暗いところが怖くなるかもしれない。


 そんなこと思っていると、自分たちの教室に着いた。教室にはまだ電気がついていて、中には高崎や館林などのクラスの中心的な男子がプロレスもどきの遊びをしている。


「あっ、館林くん達ですね」

「それじゃ、前橋はここで待ってて」

「なんでですか?」

「もし俺と一緒に教室に入ったら、館林達に変な誤解をされることになるだろ?」

「……伊崎くんは私とのそういった誤解をされるのが嫌ですか?」

「っ!」


 たまにこういったことを言ってからかう前橋が、俺には悪魔に見えてならない。正直、先程の怖い話なんかよりもよっぽど怖く感じる。

 だがしかし、何度もからかわれれば、それなりの耐性がつくのだ。もはや、慣れてしまったというべきだろう。


「おい。そんなこと言ってると、このあと俺の腕を掴ませないぞ」

「え! そ、それは困ります! それでは、私はここで大人しく待ってます」


 カウンターが決まり、前橋が教室の手前でビシッと軍人のようにまっすぐとした姿勢で立ち止まった。それを確認して、俺は教室に入る。


「あれ? 伊崎じゃん。熱治ったの?」


 館林が俺の存在に気づいて声をかけてきた。ちなみに、館林は普通そうに話しかけているが、今現在館林は高崎に「テキサスクローバーホールド」という技をかけている最中なので、かなり異様な光景だ。


「うん。午後になって熱がだいぶ下がったから、期末テストの勉強用のもの取りに来た」

「あ〜〜、なるほどね。ん? でも、お前まだ熱あるんじゃね?」

「え? なんで?」

「だってお前、耳真っ赤だぞ」 


 どうやら前橋からのからかいの耐性はついていないようだ。

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