第10話 子供

 1



 俺の誕生日から数日が経った。


 少し前までは暖かかったのに、夏なんて存在しなかったと思わせるほどに気温急激に下がっている。外へ出るにも、上着が必須となってきた。


 そんな中のとある土曜日。俺は大型のショッピングモールの映画館に来ていた。

 左手にはキャラメル味のポップコーンLサイズ、右手にはジュースのSサイズ。映画を満喫する準備は万端だ。

 ただし補足すると、ジュースは2つ持っている。これは、俺が2種類のジュースを楽しもうと思って買ったものではない。


 そう。俺は一緒に映画を楽しもうとするもう1人の分のジュースを持っているのだ。そのもう1人というのは、数分前にお手洗いに行ってしまって、それまでの間、俺が荷物を持っていることになった。


 右手1つで2つのジュースを長時間持つのは流石に大変で、腕がぷるぷると震えてきた。早く戻って来てくれないかと思っていると、茶色のロングヘアーをサラサラと揺らしながら、彼女が小走りでこちらに向かってくるのが見えた。


「伊崎くん。お待たせしました」

「大丈夫。そんなには待ってない」


 そう。俺は前橋まえはし琴音ことねと映画を見に来たのだった。


 なぜ前橋と映画を見ることになったのか。それは、俺の誕生日の次の日での出来事が関係する。



 2



 その日、俺は学校から帰ると、真っ先に自分の部屋に入った。前橋から誕生日プレゼントとして貰った「魔法使いシリーズ」の第4巻を読むためだ。

 できるものなら学校の休み時間から読みたかった。しかし、前橋に俺の部屋で読むようにと言われていたので仕方ない。

 だが、考え方を変えれば楽しみを残しておいたとも言える。ウキウキしながら本を開く。


「ん?」


 本を開くと、1ページ目に二つ折りで手のひらサイズになった紙が挟まっていた。

 紙自体は白色でどこにでもありそうなものだが、どうやら素材が普通のものと違うようだ。手触りが良い。


 紙を開くと、十行ほどの文章が綺麗な丸文字で書かれていた。一番上には、少し大きめに『伊崎くんへ』と書かれている。


「これってもしかして、前橋からのバースデーカードか?」


 バースデーカードを貰うのは、記憶している限りでは初めてだ。

 しかも、相手が前橋となると異様に緊張してくる。

 バースデーカードが濡れないように手汗を服で拭き取ると、早速内容を読み始めた。


『伊崎くんへ

 お誕生日おめでとうございます。図書室で伊崎くんと一緒に過ごす時間はとても楽しく、感謝の気持でいっぱいです。

 その感謝の気持ちを込めて、私はこの本とは別に、もう1つのプレゼントを用意しました。本の真ん中あたりに挟んであるので、確認してみてください。確認し終えたら、電話をください。』


 読み終えると、指示通りに本の真ん中あたりをパラパラとめくり、もう1つのプレゼントなるものを探した。


「あっ」


 とあるページに、長方形の栞のようなものが2枚挟まっていた。

 そこには、機械的な文字で「映画チケット引換券」と印刷されていた。


 映画チケット引換券はプレゼントとして素直に嬉しかった。だが、その後に電話を掛けるという行為に疑問が残る。

 なぜ電話を要求するんだ。感謝の言葉でも言わせたいのか。それとも、太田おおた理央りおのように高級なお返しでも要求してくるのか。


 前橋の意図が読めないまま電話を掛ける。


 数回のコールの後、ガチャっと音がした。


『もしもし、前橋です』


 前橋の声が耳元から聞こえてきた。普段はこんなにも近くで前橋の声を聞かないので、妙に緊張してしまう。


「もしもし、前橋か? えっと、その……バースデーカード、書いてくれてありがとう。すごく嬉しいよ」

『本当ですか! 喜んで貰えたなら良かったです』


 前橋の明るい声を聞いて、電話の向こう側で前橋がしている表情が想像できた。恐らく、瞳を大きくさせながら満面の笑みをしていることだろう。


「それで、前橋はなんで俺に電話をしてほしかったんだ? 何か言いたいことがあるのか?」

『そ、それはですね……』


 前橋の柔らかい吐息が聞こえてくる。胸が何だかザワザワと騒がしい。


『その……、今、魔法使いシリーズの映画が放映されているのですが、伊崎くんがもし良かったら、私と一緒に見に行きませんか?』

「……そうか」


 なるほどと納得がいった。前橋は感謝や高級なお返しを要求していたのではなく、ただ誘いたかったのだ。


『も、もしかして嫌でしたか? でしたら、そのチケットはぜひ伊崎くんが』


 前橋が早口で話を進め始めた。

 俺は嫌なんて一言も言っていないのだが。


「いやいや待て前橋。俺も前橋と映画見に行きたい」

『え、本当ですか?』

「本当だよ。『魔法使いシリーズ』の面白さは前橋と共有したいし」

『そ、そうですか。……ふぅ、良かったです。伊崎くんがそうかの一言だけだったので、私てっきり、断られたかと思いましたよ』

「ごめんごめん。考え事してたんだ」

『ふふっ。なら良かったです。それでは、映画を見に行く日を決めましょうか』

「そうだな」


 こうして、俺と前橋は一緒に映画を見ることになったのだった。



3



 ポップコーンとジュース片手に、俺と前橋は映画を楽しんだ。


 「面白かったですね」

「そうだな。内容は知っていたとしても、本として読んだときの印象とは全然違うし、アクションシーンも迫力があって良かった」

「そうですね。私もあのアクションシーンではドキドキが止まりませんでした」


 お互いに感想を言い合いながら、俺と前橋はショッピングモールの中を歩いていた。


 今日が休日ということもあり、ショッピングモールは多くの家族連れやカップルなどで賑わっている。丁度、俺たちの真横でも小学生ほどで坊主頭の男の子2人を連れた女性が歩いている。


「ふふっ、可愛いですね」


 前橋がその子どもたちを見ながら微笑んでいる。


「あの2人の子か?」

「はい。兄弟2人でお揃いの髪型で、見た目もそっくりで」


 前橋の言うとおり、2人の姿はそっくりで、小さな体も相まってとても可愛らしく見える。俺にも、あの2人のように可愛く見える時期があったのだろうか。

 そんなことを思いながら、前橋の歩幅に合わせて歩き続ける。


「伊崎くん。これからどうしますか?」


 前橋が俺の様子を窺いながら聞いてくる。


「ん? そうだな……」


 右腕につけた腕時計を確認する。時刻は11時5分。お昼を食べるには早すぎる。

 ここは何かしらで時間をつぶすしかない。


「お昼まで時間あるし、ゲームセンターでもいって時間を潰そう」

「ゲームセンターですか。良いですね! 行きましょう」


 というわけで、俺と前橋はゲームセンターに来た。手始めにゲームセンターの表口近くにあるクレーンゲームのコーナーを見て回る。


「前橋は普段ゲームセンターとかに行くのか?」

「友達とショッピングモールに来たときは大抵行きますね。伊崎くんは?」

「俺もそんな感じ。友達とは行くけど、1人では行かない」


 すると、前橋かとあるクレーンゲーム台の前で足を止めた。


「これ、かわいいです」


 前橋の目線の先にあったのは、前橋の顔よりも大きな猫のぬいぐるみだ。だらけきった表情が、俺たちに癒やしを与えている。


 値段は1プレイ100円。ただし、500円を入れると1回お得の6プレイとなっている。

 

「そう言えば、前橋は猫派だったな。よし。試しでやってみるか」

「え? こんなに大きなぬいぐるみが取れるんですか? 正直、かなり難しそうな気がしますけど」

「こういうのは、確か『確率機』って言うんだよ」

「カクリツキ?」

「そう、確率機。あらかじめ何回かに一回の確率で景品が取れやすく設定されてる台のことだ。だから、初心者でも運が良ければ取れるはずだ」


 ただし、インターネットで見た情報なので絶対とは言えないのだが。


「運が良ければですか……。それなら、私と勝負をしてみませんか?」

「勝負?」

「はい。お互いに500円を入れて、先にあのぬいぐるみを取れれば勝ちという勝負です」

「負けた方には何か罰ゲームがあるのか?」

「そうですね。それでは、負けた人は勝った人の言うことを何でも1つきくというものにしましょう」

「またそれか……」


 前橋は理央の悪い部分を学習してしまったようだ。

 残念で仕方ない。


「先行はどちらにしますか?」


 前橋の問いかけに、1度、冷静に考える。


 周りのクレーンゲーム台の中に置かれているぬいぐるみの数は2つ。しかし、俺たちがプレイしようとしている台には1つしか置かれていない。

 このゲームセンターではスタッフがかなりのペースで見回りに来ているので、ぬいぐるみの補充は遅くはないはずだ。

 つまり、俺たちが来る直前に誰かが取れやすくなるタイミングを引いた可能性が高い。

 となれば、前橋に先にプレイさせて回数を稼がせるべきだ。


「俺は後攻がいいかな」

「では、私が先行です」


 好奇心に心を踊らせて前橋が500円玉を投入した。ピコンッという機械的な効果音が鳴ると、キャッチーなメロディのBGMが流れ出す。


 前橋は慎重にレバーを操作して、狙っているぬいぐるみの真上までクレーンを移動させる。


「えいっ!」


 明るい掛け声と同時に、前橋はボタンを押した。

 クレーンがゆっくりと落ちていき、3本のアームがぬいぐるみを捕まえる。クレーンはゆっくりと上昇しぬいぐるみを僅かながら宙に浮かせる。がしかし、クレーンが完全に登り切る手前で、アームがやる気を失ったかのようにぬいぐるみを落とした。


「あーー……」


 前橋が明らかにガッカリとした声を上げた。


「でも、まだまだです!」


 前橋は気合を入れ直し、再度挑戦をする。しかし、その後も同じような結果が続き、あっという間に前橋の6回は終わった。


「残念です……」


 前橋は肩を落として残念がっていた。

 可哀想な気がするが勝負なので仕方ない。


「よし。次は俺だ」


 俺の予測が正しければ、取れやすくなるタイミングは確実に近づいているはず。あとは願うだけだ。


 そう考えながら500円玉を入れようとしたとき、俺の隣に小さな影がいることに気づいた。


「ん?」


 見てみると、俺の隣で坊主頭の男の子が背伸びをしながら興味津々にクレーンゲーム台の中を覗いていた。よく考えてみると、先程見かけた坊主頭の兄弟のうちの1人だった。背丈から考えるに、恐らく弟の方だろう。


「君、これやりたいの?」

「うん」


 坊主頭の弟は元気よく頷いていた。


 並んでいたのは俺が先なので、ある意味でこの子は横入りとも言える。だが、子供に文句をいうほど俺は心の狭い人間ではない。


「分かった。ほら、お先にどうぞ」


 だがしかし、坊主頭の弟は首を振った。そして、えっへんと胸を張りながら自慢気にこう言った。


「僕、遊べるお金ないからできないの!」

「え? じゃあなんでゲームセンターになんか……」


 言いかけたところで、坊主頭の弟は走ってどこかへ行ってしまった。何だか、あの子にからかわれたような気がして、恥ずかしく感じる。


「な、なぁ、前橋。俺、何か変なことしたかな?」


 後ろで見ていた前橋に救いの手を求める。だがしかし、前橋は可笑しそうに笑っていた。


「い、いえ。変なことはしていないと思いますよ。子供の考えというのはわからないものですから。……でも、ふふっ」


 前橋はまだ笑っている。どうやら、子供の理解不能な行動に振り回され困惑する俺の姿がツボにはまったらしい。


 恥ずかしくなりながら、クレーンゲーム台に500円を投入する。

 しかし、結果は前橋と同じようになってしまった。


 その後、俺と前橋はゲームセンターを出てフードコートに来た。

 チェーン店のハンバーガーとドリンクをそれぞれとLサイズのポテトを2人で1つ買い、明るい窓際の2人席を選び向かい合って座っている。


「それではいただきましょうか」

「そうだな。いただきます」

「いただきます」


 口を大きく開けて思い切り頬張る。

 口の中にバンズで挟まれた肉の旨味が広がる。高カロリーだとは知っていても病みつきになってしまう美味しさだ。


 前橋を見てみると、おしとやかそうな見た目に反して、目を細めながら豪快にハンバーガーにかぶりついている。クラスメートからは想像できないかもしれないが、これが普段の前橋なのだ。

 前橋がクラスメートに見せない一面を見ると、なんとなく嬉しく感じる。


「あれ? 私の顔に何かついてますか?」


 見ていたせいか、前橋が慌てた様子で口の周りを紙ナプキンで拭く。


「いやいや。何もついてない。ただ、美味しそうに食べてて良いなと思って」

「それって、褒めてます?」

「褒めてるつもり」

「絶対バカにしてますね」


 口を尖らせながらも前橋は食べ続ける。


「……そう言えば、りっちゃんは最近どうなんですか?」


 ハンバーガーを食べ終えた頃、突然、前橋が真面目な表情で訊いてきた。内容は先日の理央の部活での問題に関することだ。


 理央の部活での問題をなぜ前橋が知っているのかといえば、理央本人が前橋に事情を話したからだ。俺自身は前橋にわざわざ伝える必要はないとも思ったのだが、理央は前橋に隠したままでいるのが嫌だったらしい。


「理央か? 理央は来週ぐらいから部活に戻るってさ。もちろん、多少の居心地の悪さがあるかもしれないけど、バレー自体が嫌いになったわけじゃないらしいからな」

「……そうですか。それなら、良かったです」


 俺の言葉を聞いて、前橋は優しく微笑んでいた。どうやら、前橋もかなり心配していたらしい。これほど親身になってくれる友達は中々できるものではない。

 理央はかなり運がいい。


 そうしてハンバーガーを食べ終わった頃だった。2人でポテトを摘んでいると、隣から何やら大きな怒鳴り声が聞こえてきた。


「何でタクマは約束を守れないのよ! お兄ちゃんなんだから、もっとしっかりとしなさい!」

「ご、ごめんなさい。へへへ」


 見てみると、ゲームセンターのロゴが描かれた大きな袋を右手に持った坊主頭の男の子が叱られていた。叱っているのは40代ほどのショートヘアの女性で、恐らくあの男子の母親だろう。


 ん? 坊主頭?


 よく見てみれば、叱られている男子の隣に、もう1人坊主頭の男子がいた。ゲームセンターで俺の隣りにいた弟の方だ。


「まったく、笑い事じゃないわよ。

 コウキは約束通りの時間に待ち合わせ場所のゲームセンターの入口に来ていたのよ」


 弟の方はコウキという名前のようだ。


「そ、そうだよ! 僕が約束の時間よりも前に何度呼びに行っても、タックンはいつまでもコインゲームで遊んでたんだから」


 コウキ君が母親側に付き、母親と共に兄のタクマを責める。タクマは困ったように頭を掻いている。


「い、いやでも、お母さんがコウクンをトイレに連れて行って戻ってきた時にはちゃんと待ち合わせ場所にはいたし」

「そんな言い訳しないの。罰として、今日のケーキはタクマの分だけ抜きにします」

「だ、だからごめんって。今度からはちゃんと約束通りにするから」

「……はぁ。しょうがないわね。今度からはちゃんとしなさいよ」


 母親の言葉から察するに、兄弟の内の兄の方、タクマが迷子になっていたらしい。兄弟を育てるというのは大変なようだ。


「伊崎くん。あの子、嘘ついてます」


 前橋が突然、真面目な顔で俺に向けて言ってきた。


「嘘?」

「はい。あの弟さんの、コウキ君が話している内容は嘘です」

「あの話のどこら辺が嘘なんだ?」

「コウキ君はゲームセンターで1度もタクマ君を呼んでいないんです」

「何で前橋がそんなことを知ってるんだ?」

「私、伊崎くんがクレーンゲームをしていたときに、コウキ君の行動を目で追っていたんです。その際、コウキ君がタクマ君を呼んでいるような動きは一度もしていませんでした」


 前橋はハッキリと言い切っていた。どうやらかなりの自信があるようだ。

 だがしかし、なぜ前橋は、小学生のまだまだ子供の発言の中にある嘘をわざわざ指摘したのだろう。


「あの、伊崎くん。あの家族の会話から何か違和感を感じませんか?」

「違和感? 別にあの年頃の子供なら、自分の母親に自分の偉さを見せつけるために多少の嘘ぐらい……」


 言いかけたところで、前橋の言う違和感に気づいた。


「そうです。

 コウキ君がついた嘘に対して、タクマ君は一切の反論をしていないんです。もし私がタクマ君の立場なら、少しでも自分の立場を良くするために、嘘を言うコウキ君に反論するはずです」

「……確かに」


 流石と言うべきだろう。前橋はこういった違和感に気付けるだけの頭の良さを持っている。成績学年上位は伊達ではない


 そして、これも流石と言うべきだろう。

 こういった違和感に気づいた前橋は、迷うことなく決まってこう言うのだ。


「伊崎くん。推理してみませんか?」


 予想通りの発言に、俺はため息をついた。


「はぁ……。またか」

「はい。またです。是非とも推理してみましょう」


 前橋からの押しはどんどん強くなり、その強さに合わせて前橋は顔を寄せてくる。やはり、前橋は頭がいい。こうすれば俺は推理をせざるを得ないと分かっているのだ。


「……それじゃあ、状況を整理してみるか」

「はい!」



 4



 前橋はおもむろにハンドバッグからスマホを取り出した。そして、画面を操作しショッピングモールのマップを表示させる。


「伊崎くんがクレーンゲームをしている間、コウキ君はずっとクレーンゲームのコーナーを歩き回っていました」


 そう言いながら、前橋はマップ上のゲームセンターの表口周辺を指差す。


「ただし、歩いていただけで、クレーンゲームをプレイすることはありませんでした」


 前橋の言葉に補足するとすれば、プレイしなかったと言うより、できなかったという方が正しいはずだ。コウキ君は『僕、遊べるお金ないからできないの!』と言っていたからだ。


 今のところ、違和感の謎を解けるような手がかりは見当たらない。何か別の面から考える必要がある。


 前橋のスマホを近くに寄せてマップを詳しく見る。

 ゲームセンターは表口にクレーンゲームのコーナー、その奥にメダルゲームのコーナー、更にその奥にリズムゲームの並ぶコーナー。そして、最奥にプリクラのコーナーと裏口。 


「一度整理だ。

 コウキ君は遊べるお金が無くなり、仕方なくこの表口周辺のクレーンゲームを見て回って時間を潰していた。その際、コウキ君はタクマ君を呼びに行ってはいなかった。そうして、奥にあるメダルゲームに夢中になっていたタクマ君は約束の時間に気づかなかった。一方、コウキ君は約束の時間が来て待ち合わせ場所に向かった訳だ」 


 しかしこの通りだと、タクマ君がコウキ君の嘘に反論をしない理由がない。ならば考えられる可能性は1つしかない。


「前橋」

「なんですか?」

「分かったことが1つある。コウキ君のついた嘘は、タクマ君がそう言うように命令したものだ」

「命令したもの?」

「あぁ。本来反論すべきものをしないということは、コウキ君が嘘をつくことを認めていることになる。つまり、タクマ君は何か考えがあって、わざとコウキ君に嘘をつかせたんだ」

「なるほど。では、どのような考えがあったのでしょうか?」

「……」


 今のところ、それらしい手がかりは見当たらない。何か別の面から考えるべきだがどうしたものか。


「あの、伊崎くん。私、考えていて疑問に思ったことがあるんですけど」


 ふと前橋が話しだした。細長い指をピンと伸ばして小さく手を上げている。


「ん? 何だ?」

「コウキ君は『遊べるお金がない』と言ってましたよね? つまり、お金を使い切ったということです。でも、お金を使い切るにはあまりに早すぎると思いませんか?」

「早すぎる?」

「私達は映画館を出てすぐの地点でコウキ君たちを見ました。彼らの歩幅から考えて、ゲームセンターに着くのは少なくとも私達より遅くなるはずです。それでいて、お金を使い切ったタイミングは私がクレーンゲームをプレイし終わるよりも早いのは、少々おかしいと思います」

「なるほど。確かに使い切るには早すぎる気がする」


 もちろん、やろうと思えば速攻でお金を使い切ることは可能だ。しかし、自らお金を早く使い切ろうとする人はいないはずだ。


 となると、コウキ君は俺の隣りにいた時、実際にはお金を持っていたということだろうか。だがしかし、俺に嘘をつく必要はないはずだ。

 それならば、俺自身がコウキ君の言葉を間違って受け取っていたのか。


『僕、遊べるお金ないからできないの!』


 頭の中で何度も復唱する。こうしてこの言葉から、何か他に得られる情報を探し出す。


 この言葉から得られる他の情報。そして、あの自慢気な表情は一体……。


「伊崎くん。どうですか?」

「前橋。なんとなく分かったかもしれない」

「分かったんですか?」

「あぁ。絶対に合ってるとは言えないけど」

「ぜひ、説明をお願いします」


 前橋がテーブルに身を乗り上げて顔を近づけてくる。

 向けてくる視線が俺のプレッシャーになっていることに少しは気づいてほしい。ただ、きっと気づかないんだろうなという諦めがついている。


 咳払いを1つしてから説明を始める。


「コウキ君は『遊べるお金ない』と言っていた。普通、お金がないことを他人に伝えるとき『』なんてわざわざ付け加えて言うか?」

「……確かに、言われてみればおかしいですね。となると、遊ぶためのお金ではなく、それ以外の目的のお金を持っていたということですか?」


 流石、前橋だ。理解が早くて助かる。


「そういうことだ。だけど、コウキ君がお金を持っていたわけじゃない。持っていたのは、多分……タクマ君だ」

「タクマ君がですか? つまり、タクマ君がコウキ君のお金を独り占めしていたということですか?」

「独り占めというわけではない。コウキ君がタクマ君にお金を託したんだ」

「託した?」


 俺は頷く。


「仮に、コウキ君がタクマ君にお金を託したとして考えてみろ。

 コウキ君がお金を消費するのが早すぎるという疑問はこれで解決するはずだろう? コウキ君はお金も持たないまま、にあるクレーンゲームのエリアを歩いていた。そして、約束の時間となり母親と合流した。更に言えば、タクマ君が来るまでに母親とトイレまで行っている。このコウキ君の行動から、何か分からないか?」


 前橋は腕を組んでしばらく考え込んでいだ。そして、悩みながら不安そうな表情で答えを出す。


「なんとなくですけれど、母親をタクマ君に近づかせないようにしている気がします」

「俺も同じように思った」


 俺の返事に前橋は不安そうな表情を和らげた。そして、胸に手を当ててほっと一呼吸していた。そういったプレッシャーを受けながら俺がいつも推理していると気づいてほしいんだ。


「では、なぜコウキ君が母親をタクマ君に近づけないようにしているのか。その答えは、お金に関係している。

 コウキ君はお金を持っていないことを俺に伝えたとき、やけに自慢気だった。つまり、タクマ君にお金を託したことに何かしらの自慢できる理由があるんだ。ここで、タクマ君のお金の使い方を考えてみよう。

 前橋。タクマ君は自分とコウキ君の2人分のお金をどのように使ったと思う?」


 前橋は再び腕を組んで考え込んだ。しかし、今度は答えることもできなかった。


「すみません。答えをお願いします」

「……俺の推理では、タクマ君は母親への何らかのサプライズプレゼントを買うためにお金を使ったんだ」


「母親へのプレゼント?」


 俺は頷く。


「母親を近づけさせなかったのは気づかれたくなかったからだ。

 俺の予想では、タクマ君はコウキ君からお金を託され、裏口からゲームセンターを出てプレゼントを買いに行った。その間、コウキ君はゲームセンター表口付近を歩いてまわり、母親が来た際にゲームセンターの中に入られるのを防いでいた。また、約束の時間を過ぎても集合しなかったタクマ君を探そうとゲームセンターに入ろうとした母親を遠ざけるためにトイレに行った。そして、母親がいなくなったタイミングでタクマ君はゲームセンターの表口に来たわけだ」

「では、なぜ母親へのプレゼントという結論になったんですか?」

「これはかなり大雑把な推理だけど、まず第1にあの家族にケーキを買うような何か特別なことがあるということ。第2にコインゲームで遊んでいたはずのタクマ君が荷物の入っていそうな袋を持っていたということ。そして第3にコウキ君が自慢気な表情をしていたこと」

「なるほど」


 前橋は小刻みに頷いていた。どうやら納得がいったようだ。


「これが、俺の推理だ」


 一呼吸おいて心を落ち着ける。


 前橋は俺の方をじっと見ながら、嬉しそうに微笑んでいる。


「流石です。伊崎くん」

「……」


 推理の途中ではプレッシャーをかけるなと文句を言いたくもなったが、前橋の笑顔を見ると文句を言う気がどうも薄れてしまう。


「どうかしましたか? 何だか疲れたように見えますけど」


 黙り込んでいた俺に前橋が不思議そうに問いかける。


「疲れたに決まってるだろう。ずっと頭をフル回転させて推理してたんだからな」

「そ、そうですよね。……これからどうしますか? ……帰りますか?」

「いいや、それよりもどこか見て回ろう。せっかく出かけてるんだからな。もう少し前橋と一緒にいたいし」

「……!」

「ん? 前橋どうした?」


 見てみると、前橋は瞳孔を大きく見開いて呆然と俺を見ていた。頬も薄ピンク色に染まっている。


 何かおかしなことでも言っただろうか。推理の疲れのせいか良く分からない。


「で、では、見て回りましょう!」


 前橋が何やら無理矢理テンションをもとに戻すかのような言い方をして歩き出した。

 子供の考えも中々理解できないが、前橋の考えは更に理解できない。

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