第9話 誕生日

 1



 体に突き刺さるようなひんやりとした風が吹き出した。紅葉があちらこちらで見ることができるようになっている。


 そんな中、俺は図書室で読書を楽しんでいた。読んでいるのは「魔法使いシリーズ」の第3巻だ。

 読みはじめの頃は、文章量とページ数の多さが気になっていた。しかし、いつの間にか気にならなくなっていた。それどころか、次の展開がどのようになるのかと気になって仕方なくなるほどに、俺はハマっていた。

 本屋での売り切れが続出したのも納得の面白さである。


「伊崎くん。『魔法使いシリーズ』ハマってますね」


 隣に座る前橋まえはし琴音ことねがニヤリと口角を上げて訊いてきた。


「あぁ。こんなにおもしろいとは思わなかった。前橋はもう3巻まで読んだのか?」

「はい。私もあの一件の後に一気に読みました。とても面白かったです」


 前橋の言う「あの一件」とは、横向きの本の推理をした事である。


 元々読書家ではない前橋がこれほどの厚みのある本を一気に読み切ってしまうとは驚きだ。

 もしかしたら、俺よりも遥かに読解のスピードが速いのかも知れない。


 そんなことを頭の片隅で考えながら、確実に読み進めていく。すると、左手に残る紙の数が残り少ないことに気づいた。


 俺は区切りをつけて、栞を間に挟んだ。


「もう少しで終わるのに、読まないんですか?」


 前橋が不思議そうに訊いてきた。


「もう少しで終わるから読まないんだ。お楽しみは来週に残しておくんだよ」

「なるほど。では、ショートケーキのイチゴはどうですか?」


 突然意味の分からない質問をしてきた。思わず曖昧な表情を前橋に見せてしまう。


「ショートケーキのイチゴ? どういう意味だ?」

「ショートケーキのイチゴをどのタイミングで食べるかということです」


 なるほど。最初に食べるか、最後に食べるかというものか。


「だったら、俺は最後に食べる派だな。前橋は?」

「私はどちらかというと最初に食べる派です。我慢するのはあまり得意ではないので」


 前橋は人気者として常にクラスメイトの誰かしらに囲まれていた。そして、そのクラスメイトから逃げるために図書委員になった。その行為は見方を変えれば、クラスメイトに囲まれることが我慢できなかったと受け取ることができる。

 前橋らしい考えだと俺は納得した。


「ケーキと言えば、伊崎くんの誕生日はいつですか?」

「10月22日だ」

「10月22日ですか……って、22日ですか!?」


 前橋が声量を大きくして驚いた。一体何を驚いているのだろう。


「あぁ、そうだが?」

「22日というと、明後日ではないですか!」

「まぁ、そうだな」

「もっと早く言っておいてくださいよぉ」


 前橋はあたふたとしながら、文句を言ってきた。自分から自分の誕生日を伝えるのはおかしな気がするのだが。


 だがしかし、前橋の反応から俺はとあることを察した。


「もしかして、何かプレゼントでもくれるのか?」

「……はい。何か準備するつもりです。できることなら、サプライズで渡したかったです」


 前橋は下を向いてため息を吐いていた。明らかに落ち込んでいる。


 前橋がそれほどまで俺の誕生日を祝おうとしてくれていたのは、素直に嬉しい。ここは、多少なりとも励ますべきだろう。


「まぁ、そう落ち込むな。俺はプレゼントがもらえるだけでも嬉しいから」

「……あっ! そうです!」


 突然、前橋が手をパンっと叩きながら顔を上げた。


「伊崎くん。明後日は何か予定がありますか?」

「予定? まぁ、俺の誕生日ってだけで、特に何かをする予定はないけど」

「ならっ、私の家で誕生日パーティーをしましょう!」

「た、誕生日パーティー?」


 まさかまさか、前橋の口から「誕生日パーティー」という言葉が出てくるとは思わなかった。


「俺たち、一応高校生だぞ? 高校生にもなって、誕生日パーティーをするのか?」

「高校生だからこそやるんです! 是非やりましょう!」


 汚れを知らない子供のように輝く目が俺に近づいてくる。いつの間にか俺の手は細くて柔らかな手にぎゅっと掴まれている。

 前橋の握力は見た目通り強くない。だがしかし、数値では測れない力によって、その手を振りほどくことは俺にはできない。


 当然、俺はこう答えるしかなかった。


「分かった。誕生日パーティーをしよう」



2



 10月22日。


 俺は前橋の家の玄関前に立っていた。立っている理由は答えるまでもなく、前橋の家に招かれたからだ。


 若干の緊張を感じながらも、インターホンのボタンを押した。

 ピンポーン、とインターホンから機械的な音が流れる。


「……」


 だがしかし、スピーカーからの応答はない。


「まさか、留守ではないよな?」


 思わずそんな独り言を言ってしまう。


 申し訳無さを感じつつも家の周りを一周して、窓から中の様子が見えないかと確認する。しかし、全ての窓はカーテンで塞がれていた。

 どうしたものかと困っていると、ズボンのポケットに入っているスマホが振動した。確認すると、前橋からメッセージが届いていた。


『鍵は開いています。どうぞ、リビングに入ってきてください。』


 シンプルな文章だが、俺は察してしまった。

 恐らく前橋は、中で何かしらのサプライズを仕掛けている。

 どうリアクションしようかと考えながら、玄関のドアを開ける。


「お邪魔します」


 声をかけても返事はない。


 玄関には誰もいなかった。その代わり、俺に履けと命令しているかのように、真正面の目に入る位置にスリッパが置かれていた。

 スリッパを履いて、リビングのドアに向かって恐る恐る歩く。あっという間にリビングのドアの前まで来てしまった。


 結局、どのようにリアクションすれば良いかは分からないままだ。しかし、そんなことで長々と悩んでも仕方ない。

 諦めるようにしてドアを開ける。


 ドアの向こうには、左から順に前橋のお母さん、前橋、そして、幼馴染の太田おおた理央りおがいた。


「伊崎くん。お誕生日おめでとうございます!」


 前橋が大声で言うと、間髪入れずに前方180度からパンっという小さな爆発音3つが耳に響いた。

 爆発音の正体はパーティー用の手のひらサイズのクラッカーだった。3人の手にそれぞれ1つずつ握られていたのだ。


「おめでとう、伊崎くん」

「いっくんおめでとう!」


 前橋のお母さんと理央からお祝いの言葉をもらう。

 そして、3人から同時に拍手が送られた。

 

「あ、ありがとう、ございます」


 俺は頭を下げた。

 はてさて、俺は一体どんな表情をしていただろう。答えは恐らく、担任の先生のダジャレを聞いた時と同じような表情だろう。


 すると突然、理央が俺に手を差し出した。


「何だ? この手は?」

「スマホ貸して。このパーティーの間はスマホ没収だから」

「は?」


 戸惑っていると、前橋が俺と理央の間に入った。


「りっちゃんの案なんです。スマホを気にして時間を無駄にすることなく、パーティーを目一杯楽しめるようにと」

「そう、なのか」


 独特なルールに驚きを感じつつもスマホを理央に渡す。


「さぁ、こちらにどうぞ」


 前橋の誘導に従って、リビングの中心に置かれているソファの真ん中に座る。

 正面にはダークブラウンのオシャレなローテーブルが置かれ、その左に前橋、右に理央が座る。

 2人は座布団に座っているので、俺だけ視線が高い位置にあることに若干の違和感を感じる。しかし、今日の主役は俺なので、この違和感に関しては我慢するしかないのだろう。


 そんなことを考えていると、目の前のローテーブルに沢山のフルーツが載ったフルーツタルトが運ばれてきた。


「さぁさぁ。みんなでいっぱい食べてね」


 前橋のお母さんは太陽のように明るく微笑みながら、フルーツタルトを切り分けていく。それぞれにフルーツタルトの4分の1が配られた。


「いただきます」


 主役である俺が一番最初に食べ始める。

 口の中に甘酸っぱいオレンジが広がる。イチゴも一緒に口に入れ込む。これもまた甘くて美味しい。


「私達も食べましょう」

「そうだね。いただきまーーすっ!」


 俺が1口目を食べたのを確認して、前橋と理央も食べだした。


「美味しい!」


 理央が手を頬に当てながら、かなりのオーバーリアクションをとる。その横で前橋も嬉しそうに微笑んでいる。


 この年で誕生日パーティーをすることに最初は恥ずかしさを感じていた俺であったが、みんなが楽しんでいる光景を見て考え方が変わった。たまにはこういったパーティーもありなのかも知れない。


「それにしても、今日はりっちゃんを呼べて良かったです」

「ん? それ、どういう意味だ?」

「だって、りっちゃんはバレー部じゃないですか。今の時期ですと、春の高校バレーに向けた予選などが行われて忙しい時期だと思っていたので」


 そうなのかと思い、理央の方を見て確認する。理央は俺と視線を合わせないようにして答えた。


「んーー、たまたま部活が休みだったからね。大会に向けたハードな練習の合間の息抜きには丁度いい機会だよ。今日は一杯お菓子食べちゃお!」


 そう言うと、ローテーブルに置かれたケーキを黙々と食べ出した。

 練習の合間に糖分をとっても良いものなのかと疑問に思うが、本人が良いのながら良いのだろう。


「りっちゃん。ちょっと質問良いですか?」

「良いよ」

「相手から打たれた強力なスパイクをとるのって、怖くないんですか?」

「怖くないよ」


 さも当然のように理央は答えた。


「なんて言うかねーー、相手の腕と体の動きを見ると、ボールの軌道が何となく予想できるんだよね。だから、レシーブのやり方さえ間違えなければ、全然怖くない」

「なるほど」


 バレーに関しては天才級の腕前の理央の話は、素人の俺からしても凄そうに聞こえる。


「それよりも怖いのは怪我かな。打たれたコースがキツイと、どうしても飛び込んでとらないといけないからね」


 理央は自分の膝を見ながら、少し重い表情をした。そして、自分の気持ちに区切りをつけるかのように突然立ち上がった。


「よし! ゲームしよう!」

「ゲーム?」

「何をするんですか?」


 俺と前橋は理央の発言に集中する。


「パーティーでやるゲームと言ったら、罰ゲーム付きのババ抜きだよ!」

「罰ゲーム付きって、どんな罰ゲームだ?」

「負けた人は優勝者のどんな命令にも従うって罰ゲーム!」


 理央は楽しそうに言い切った。俺と前橋は罰ゲームの恐ろしさに、少し身を引いた。

 しかし、この場でもう1人、理央のゲームに賛成する人物がいた。


「はい、はーーい! 私もやる!」


 そう答えたのは、前橋のお母さんだった。やっぱり、前橋のお母さん若っ!


 こうして、理央による罰ゲーム付きのババ抜きが始まった。全員が楽しみながらもお互いの表情を伺い合い、かなり真剣な勝負になっている。


 そんな1回戦目は勝った順に、前橋、俺、前橋のお母さん、理央といった結果。


「そうですね……。では、3人で1分間私をマッサージをしてください」


 勝利した前橋は、1回戦目に相応しい罰ゲームを命令した。


 前橋はソファに深く座ると、足を伸ばし、だらんとした姿勢になった。そこで、俺は手のひら、前橋のお母さんは足の裏、理央は肩のマッサージをする。


「ふぅ〜〜。極楽です〜〜」


 緩みきった前橋の声は、日向ぼっこをする猫のようなほんわかとしたものだった。


 この後も同じような罰ゲームが続いてくれれば良いのだが。


 続く2回戦目は勝った順に、理央、前橋、前橋のお母さん、俺といった結果。


 理央は俺を見て不気味な笑みを浮かべる。そして、恐ろしい言葉を言い放った。


「えっとね、私を含める3人で、いっくんを1分間くすぐる!」

「は!? お、おい、ちょっと待てよ!」

「えへへへ。勝者の命令は絶対だよ」


 理央が両手を突き出して、こちらへ向かって歩いてくる。


「伊崎くん。覚悟しなさい!」


 ノリノリで前橋のお母さんも近づいてくる。


 最悪だ。

 こうなったら、最後の希望である前橋に助けを求めるしかない。


「前橋! 助けてくれ!」

「ごめんなさい。伊崎くん!」


 その言葉とは裏腹に、前橋は僅かに笑みをこぼしていた。

 どうやらこの場に俺の味方はいないようだ。

 結局、1分以上くすぐられる羽目となった。


 第3回戦は勝った順に、前橋のお母さん、理央、俺、前橋といった結果。


 前橋のお母さんは待ってましたと言わんばかりの満面の笑みをしている。


「そうね……、それじゃあ、琴音は伊崎くんと30秒間ハグする!」

「なっ!?」

「えっ!」


 俺に続いて、前橋が驚きの声を上げる。


「よっ! そういうものを待ってました!」


 理央が余計なガヤを入れる。


「ちょっ、ちょっとお母さん! それはいくらなんでも」


 前橋はあたふたしながらお母さんを説得しようとする。


「なに? 私にマッサージさせておいて、私の命令は聞けないって言うの?」


 娘に対して、信じられないほど高圧的な態度だ。なんと言うか、前橋のお母さんがこの中で最もこのゲームを楽しんでいる気がする。

 威圧された前橋は、言い返すことができずにため息を吐いた。


「……分かりました。でも、伊崎くんは良いんですか?」

「お、俺は別にいいけど……」

「そ、そうですか。では、やりましょう」


 お互いに立ち上がって、前橋が俺の目の前に移動する。一瞬目があったが、すぐにそらしてしまう。

 正直、とてつもなく恥ずかしい。恐らく、俺の耳は真っ赤に染まっていることだろう。


「そ、それでは、いきますよ!」

「お、おう」


 俺はぎこちなく腕を広げる。

 すると、その中に前橋が飛び込んできた。前橋は俺の胸に頭を当てるようにして、俺にぎゅっと抱きついている。


「ん……」

「っ……」


 前橋のほっそりとして、柔らかい腕の感触が伝わってきた。そして、胸からは小さな吐息が伝わってくる。体がおかしいぐらいに熱い。


「ヒュー、ヒュー! こんな昼間から熱いねお二人さん!」

「う、うるせぇ!」


 理央に文句を言おうにも、どうにも上手くいかない。


「お、お母さん。まだですか?」

「あと10秒」


 そういう前橋のお母さんはなんとも嬉しそうだ。


 10秒とはこんなにも長いものだっただろうか。中々終わりがやって来ない。

 そんなことを思い、ふと前橋の方を見ると、上目遣いのまえはしとちょうど目があった。


「……!」

「っ!」


 前橋の頬は見る間に朱色に染まった。

 俺はというと、心拍数が狂っているかのように上昇していた。

 だがしかし、今は先程のように目をそらしてしまうことはなかった。むしろ、少しだけ見ていたいという欲まで出てきていた。


「はい。終了ーー!」


 前橋のお母さんが告げた途端、恥ずかしさが戻ってきた。俺は慌てて前橋から離れる。

 前橋はというと、離れてからすぐに俺に背中を見せていた。顔を手で隠したまま、動こうとしない。

 だがしかし、ゲームは終わっていない。前橋は俺と目を合わせないようにしながらゲームを続ける。


 第4回戦は勝った順に、俺、前橋のお母さん、理央、前橋といった結果。


「いっくん。罰ゲームは何にする? あっ! もしかして、3人のスリーサイズ聞いちゃったりする?」


 理央がニヤニヤと笑いながら俺を挑発してくる。


 俺はそんな挑発に少しも動揺しなかった。だがしかし、隣で理央の話を聞いていた前橋は震え上がっていた。


 もちろん、その気になればはスリーサイズを聞くことは可能だ。だがしかし、前橋の様子を見てしまっては、とても言えたものではない。

 そこで、俺はこの場における最善の方法を考えた。


「このゲームはこれで終わりとするのが俺の命令だ」

「えーー?」

「もぉ、伊崎くん。もっと自分の欲に素直になればいいのに」


 理央は項垂れ、前橋のお母さんは残念がっていた。

 前橋はというと、そっと胸をなでおろしていた。


 こうして、穏やかな時間に戻った。


 俺と前橋と理央の3人は、お菓子を食べながら、前橋のお母さんが借りてきたという映画を楽しんでいた。

 映画の内容は恋愛もので、高校で出会った男女が恋に落ちていくといったものだ。途中、女子の何気ない一言から彼女の寿命が残り少ししかないことが判明し、終盤は男子が泣きながら彼女を抱き締めるといった、ドラマチックな内容にまとまっていた。


 映画を見ている最中、俺は左側から妙な音が聞こえてくることに気づいた。

 見てみれば、前橋がツーーっと静かに涙を流し鼻をすすっていた。

 俺自身、映画に感動しているが、泣くほどではない。前橋は案外涙もろいのかもしれない。

 理央はというと、涙の1滴も流していなかった。それどころか、無表情のまま映画を見ていた。集中しているのかと思ったが、よく見てみればどこか違和感がある。集中というより、ただボーーっとしていると表現したほうが正しいような表情だった。


 そんなことを考えながら映画を見続け、ついにエンドロールが流れた。


「グスっ、とても、いい話でしたね」


 前橋が涙をハンカチで拭いて言う。


「あぁ。確かにいい話だった。前橋って、結構涙もろいタイプなんだな」

「グスっ、はい。人が死んでしまうような話に弱くて」

「なるほど。ってか、理央は映画見てたのか? なんか、心ここにあらずって感じの表情してたけど」

「み、見てたよ! 最初から最後まで。まさか寿命が残り少ししかないとはねーー」


 理央が慌てたように答える。なんと言うべきか、あまり気持ちの入っていない感想のように聞こえた。


「そんなことより、時計見て。もう6時30分だよ」

「もうそんな時間か」


 今日の夕飯は、俺の誕生日ということもあり、両親が張り切って作ってくれている。そのため、7時頃には帰らなければならないのだ。

 しかし、今日の時間の流れはあっという間に感じた。どうやら俺は、この誕生日パーティーを楽しめていたらしい。


 すると、前橋と理央がおもむろに立ち上がった。


「ん? 2人ともどうした?」

「伊崎くんはそこで目を瞑って、しばらく待っていてください」

「目を瞑って?」

「そうそう。ほら、いっくん! 早く目を瞑って!」

「あ、あぁ」


 言われた通りに目を瞑る。足音を聞く限りだと、前橋と理央は別の部屋に移動したことが分かった。それから数秒して、再び2人足音が近づいてきた。何やらカサカサという音も近づいてきている。


「伊崎くん。目を開けてください」


 前橋の透き通った声が聞こえた。

 俺はゆっくりと目を開ける。目の前には、きれいにラッピングされた袋を持った前橋が立っていた。そういえば、プレゼントをまだ貰っていなかった。


「改めて、お誕生日おめでとうございます」


 そう言って、前橋はその袋を手渡してきた。


「これって、プレゼントか?」

「……はい。気に入ってもらえるといいのですが」

「開けてもいいか?」

「どうぞ」


 俺は丁寧に袋を開けた。中を見てみると、袋の中身は「魔法使いシリーズ」の第4巻だった。


「これって、凄い人気で中々手に入らないやつじゃないのか?」

「はい。色々な店を回って、10店舗目で買えました」


 10店舗目……。隣町まで行ってきてくれたのか。


「その……どうですか?」


 前橋が不安げに聞いてくる。


「どうもなにも、凄い嬉しいよ! ありがとう、前橋」

「っ! 良かったです」


 前橋は胸をなでおろし、嬉しそうに微笑んでいた。


「第4巻読みたいと思ってたんだよ。早速帰りのバスの中で読もうかな」

「あっ! そ、それはやめてください!」


 前橋が慌てて言った。そのまま俺の方に近づき、俺の腕を掴んだ。何やら頬を染め上げて、目がぷるぷると震えている。


「か、必ず、伊崎くんの家の、伊崎くんの部屋で読んでください」


 説得するかのような言い方だった。


「わ、分かった」


 前橋の勢いに押されたまま答える。


「それじゃあ、次は私だね。はい、いっくん。誕生日おめでとう!」


 そう言って、理央は綺麗な柄の箱を渡してきた。


「これはなんだ?」

「プリンだよ! 学校の近くにケーキ屋さんがあるでしょ? そのケーキ屋さんの、先着5名限定のプリン。賞味期限2日後だから、早く食べてね」

「分かった。そんなレアなものをわざわざ買ってくれて、本当にありがとう」

「本当に大変だったんだよ? 土曜日に早く起きて、長い時間ケーキ屋さんの前で並んで。だから、しっかりと味わって食べてね」

「分かったよ」

「それと、お返しは高級なものをよろしくね」

「最後の一言は余計だ」

「えへへへ」


 こうして2人から誕生日プレゼントを貰って、俺は帰ることにした。理央とは帰り道が同じなので、一緒に帰ることになった。

 俺と理央は前橋から没収されていたスマホを受け取り玄関へ向かう。

 玄関を出て、前橋の家の門を開けた。


「お邪魔しました」

「いえいえ。伊崎くんの誕生日を祝えてとても良かったです」

「そう言えば、前橋の誕生日はいつだ?」

「2月11日です」

「そうか。それじゃあ、今度は俺が前橋を祝うよ」

「ふふっ。楽しみにしてます」


 前橋が子供のように微笑む。


「私もコットンの誕生日パーティー参加するからね!」


 俺の後ろで理央が近所迷惑になりそうな大声で言った。


「はい、ぜひりっちゃんも来てください!」

「絶対行くよ! じゃあね、コットン!」

「じゃあな、前橋」

「はい。2人とも、さようなら。また明日会いましょう」


 俺と理央は、前橋に手を振りながら歩きだした。前橋も俺と理央に見えるように大きく手を降ってくれていた。


「楽しかったね」


 俺の右隣を歩く理央が言った。


「そうだな」


 返事をしながら、俺はとあることについてをスマホで調べる。調べた結果は、俺の予想通りにだった。 

 俺はため息を吐きつつ、バス停の前を通り過ぎる。

 

「あれ? バス乗らないの?」


 理央がバス停で立ち止まり、不思議そうに聞いてきた。


「あぁ。歩いて帰ろうと思って」

「……まぁ、良いけど」


 理央がトコトコと後ろからついてきた。そして再び、俺の横についた。


「なぁ、理央。もう1回罰ゲーム付きのゲームをしないか?」

「どんな?」

「まぁ、ジャンケンだな。勝ったら、負けた人になんでも1つだけ命令できるってルールで」

「あっ! もしかして、私のスリーサイズ知りたくなったの? もぉ、コットンがいないところで聞くなんて、いっくんのエッチ」

「そんなことはどうでもいい。それより、やるのか? やらないのか?」

「……やる」


 そうして俺と理央はじゃんけんをした。理央とは幼馴染だ。だからこそ今までの経験上、理央が一番最初に出すのはグーだと分かっていた。


「あーー、私の負けかぁ。それで、私に何をしてほしいの?」


 俺はとある決意をした。そして、理央の目を見て言った。


「足を見せろ」

「え? もしかして、本当にエッチな要求? いくら幼馴染だからってそれは」

「膝まででいい」

「……」


 理央の表情が一瞬で変化した。それはまるで、綺麗に咲いていた花が突然枯れるかのようで、凄まじい変化だった。


 理央は目線をそらした。

 そして、俺の命令通り、長ズボンをまくって足を見せた。傷1つない、真っ白で綺麗な足を。


 俺の頭の中で確証が生まれた。俺は理央に向けて真っ直ぐに言った。


「お前、長い間、部活をズル休みしてたんだな」



 3



 静かな住宅街に、俺の言葉が重く深く響いた。

 理央は、俺と目を合わせないままだった。


「……なんでいっくんは、私が部活をズル休みしてると思ったの?」

「お前の傷1つない足を見ればすぐに分かる。『打たれたコースがキツイと、どうしても飛び込んでとらないといけない』って、自分で言ってただろ」

「でも、たまたま怪我してなかっただけで、ズル休みしてたとは言えないじゃん」

「それじゃあ、なんで部活に行かずに俺の誕生日パーティーなんかに来てるんだよ」

「だから、それはたまたま部活が休みだったから」


 理央の口調がどんどんと荒々しくなっていた。まるで、俺に、これ以上聞くなと威嚇をしているかのようだ。


 このまま理央の言い訳を一つ一つ聞いていても埒が明かない。ここはさっさと王手をかけるべきだろう。

 理央の口調とは対象的に、落ち着いた口調で言った。


「調べてみたら、今日はバレーボール大会の予選の日だったらしいぞ」

「……」


 理央は黙り込んでしまった。どうやら、俺の予想は完璧に当たったらしい。


「もう1度訊くぞ。お前は部活をズル休みしてたんだな」

「……うん」


 弱々しい返事だった。でも、俺と目線は合わせていた。どうやらこれ以上、嘘をつくつもりは無いようだ。


「……いっくんは、どうして私がズル休みしてるって気づいたの?」


 理央は何かから開放されたかのように、安堵した表情で尋ねてきた。


「お前が普段と違って怪しすぎたんだ。

 まず第1に、スマホの没収。あれは、俺と前橋に大会の日程を調べさせないためだろ?」

 

 理央はこくりとうなずいた。


「第2に、パーティーでのお前の会話と行動だ。何かとバレーボールの話題から逸らそうとしていたし、感想もまともに言えない位には映画をぼーっと眺めているだけだったからな」

「あの映画は、できれば真剣に見たかったんだけどね。えへへへ」


 理央は困ったように微笑んでいた。


「そして、第3に、今日以外の日で、お前が暇を持て余していたからだ。2学期最初の金曜日の放課後。俺はお前と生徒玄関で会ったよな。よくよく考えてみれば、部活動が始まっている時間にお前が生徒玄関にいるのはおかしい」

「いっくん、よくその日を的確に覚えてたね」

「そ、それは俺にとってそれなりに印象深い日だったからな」


 あの日は前橋との関係を戻せるかどうかでかなり思い詰めていたので、かなりハッキリと記憶に残っていた。それが、まさかこのような形で役に立つとは夢にも思わなかったが。


「それに、俺のために買ってきてくれたプレゼントもそうだ。お前の話が正しければ、暇じゃなければ買えない物のはずだ」

「そうだよね。詳しく説明するんじゃなかったなぁ」


 夜空を見上げながら、理央はそう言った。


「理央。お前、なんでズル休みなんてしたんだ。お前、バレーボールは嫌いじゃないだろ? だったら、なんでズル休みなんて」

「私だって、やりたくてやったわけじゃないよっ!」

「……」


 理央が荒げた声で言った。その目は、涙で埋まっていた。


 理央の様子を伺いながら問いかける。


「何があったんだ?」


 理央は鼻をすすりながら、事情を話しだした。


「……夏休み頃に、大会に出場するメンバー決めがあったの。前回の大会は、顧問の先生が学年関係なく、上手い人を選んだから、当然私も選ばれたの。でも、今回の大会は、生徒同士の話し合いの結果で、部長が決めるようにって顧問の先生に言われたの。3年生にとっては、これが最後の大会になるから」


 理央の言葉を聞いて、何となく察しがついた。恐らく理央は、メンバーに選ばれなかったのだ。


 でも、それだけで理央が部活をズル休みする理由は分からない。いくら理央でも、メンバーに選ばれなかったからと言って、ズル休みするような奴ではないはずだ。


「話し合いはあるようでないような、すごく短いものだった。

 例年、3年生が優先されて選ばれてるから。私のポジションはリベロっていうんだけど、3年生の先輩の中にもリベロがいるの。だから、私よりも先輩の方が優先されちゃうんだ。結果、メンバーは全員3年生で埋まったの。

 もちろん、そういう結果になることは分かってたし、その結果を受け止めようとするつもりもあったんだよ。でも……」


 理央が突然喋るのをやめた。まるで、何かを言うことを躊躇っているようだった。

 しかし、理央は必死に拳を握って、堪えるようにして話を続けた。


「でもっ、その短い話し合いの後に、その3年生の先輩が申し訳無さそうに言ってきたの。『理央ちゃんごめんね。理央ちゃんが一生懸命練習してるのは知ってるし、技術も私より遥かに上なのも知ってる。できるものなら、メンバー変わってあげたいんだけど』って。

 私、それを聞いて、思わず言っちゃったの」


 嫌な汗がだらりと俺の背中を流れる。


 まさかと思った。

 大会間近の部活動でよくある先輩と後輩の会話の中で、理央が次に言ってしまうであろう言葉が、どれほど言ってはいけないものか知っているからだ。

 俺は思わず息を呑んだ。俺の予想が当たらないでほしいと無意味に願った。


 しかし、理央の発した言葉は、俺の予想通りのものとなってしまった。


「『なら、今すぐに変わってください』って」


 そう言うと、まるで何かの魔法が解けたかのように、溢れんばかりの涙が理央の目から流れ出した。


「おいおい!」


 慌てて理央に近づいて、理央を抱き寄せた。理央は、俺の胸に顔を押し当てながら、幼稚園児のようにえんえんと泣き続ける。


 どうにか理央が泣き止むように言葉をかける。


「お前の言いたくないことを無理に言わせるようにしちゃったな。本当にごめん」

「ん、ううん。……グスっ、いっ、いっくんの、せいじゃ、グスっ、ない、よ。私が、私がいつか、グスっ、話さなくちゃ、いけないことだったの! 私、その後、グスっ、自分の、言ったことの、意味に、気づいてね、グスっ」


 理央は鼻を何度も何度もすすって、話を続けようとする。だが、話せば話すほど、理央の体からは力が抜けていて、その場に倒れ込んでしまいそうだった。


 理央の体を支えながら、どうにか背中をさすって落ち着かせる。


「もう言わなくても大丈夫だ。後は大体想像がつくから」


 恐らく、自分の言ったことの意味を理解して、その場から逃げてしまったのだ。そして、戻ろうにも戻れなくなり、ズル休みをすることになったのだろう。


「私が、あんなこと言っちゃったから、あんなこと言わなければ……」


 俺の胸の中で、理央は嗚咽を漏らしながらも喋り続けている。俺は理央の耳元で、泣いている赤ん坊をあやすかのように囁く。


「理央は悪くないよ。間違ったことなんて1つもしてない」

「グスっ、本当?」

「あぁ。本当だよ。幼馴染の俺が保証する」

「グスっ、なにそれ」


 泣きながらも理央が微笑んでいた。どうやら少しは落ち着いたようだ。 


 理央から離れると、ゆっくりと歩きだした。理央も、俺の隣を歩きだす。


「……ねぇ、いっくんは、私が部活に戻ってもいいと思う?」

「ん? まぁ、良いんじゃないの?」

「でも、私、結構酷いこと言ったんだよ? 何ていうか、罰は受けなきゃ駄目なんじゃないかなって思って」

「罰なら十分受けただろ? 長い期間練習サボったんだからな。その間に、自分としっかり向き合えたんだろ?」


 理央はきっと、反省していたのだ。自分の行いを。そして、向き合おうと決心をしたはずなのだ。でなければ、サボりがバレる可能性がある今日の誕生日パーティーに来るはずがない。


「で、でも」

「戻っても戻らなくてもどっちでもいいよ。理央の好きな方を選べ。どちらにせよ、俺はお前の味方だから」

「……ん。分かった」


 こうして、俺は理央を家まで送り届けるのだった。

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