序章-4
「最後にあと一つだけいいか。オレは王国の王子で、君はそこの従者だったんだよな。その割には、何だか態度が冷たい気がするんだけど――。仲が悪かったんだろうか」
記憶がない以上、この先当面の間、彼女に依存することが避けられそうにない。であれば、可能な限り、わだかまりは解消しておくべきだという判断だ。
機嫌を損ねないよう、なるべく控えめにそう言うと、予想に反してルノアは、頬を赤くして、目を伏せた。
「いえ、決してそういうわけでは――」
そのまましばらく悩んでいたように見えたが、やがてあきらめたように目線を上げた。
「ただの――自己嫌悪です。八つ当たりです」
それからしばらく悩む様子を見せていたが、何かを決意したように一度うなずき、静かに話し始めた。
アンジェニュー王には三人の子供がいた。
ルノアは、そのうちの長女と、次男であるレーヴのアビリティの家庭教師だったそうだが、彼は驚くほど臆病で繊細だった。オークのような
「あれこれ試したんです。なだめたり、おだてたり。でも無駄でした」
当初は、自分の意思疎通能力のなさに落ち込んでいたが、やがてそれは相手が悪いのだと、そう考えるようになった。
「意見をはっきり口にする六つ上のお兄様、優秀なソーサラーだった三つ上のお姉様と事あるごとに比較されては、従者たちからも陰口を叩かれていましたから。それに便乗して、自分の責任を転嫁したかったんです」
黙ったレーヴを見て、慌てたように続けた。
「ですが、何の取り柄もなかったわけじゃない。本はたくさん読んでいたみたいです。体力と度胸さえあれば、もう少しましになれたはずですよ」
だが、結局、一度も心を通わせることのないまま、レーヴは戦禍の中に散り、そして蘇った。別人として。
「死んだときのこと、教えてもらえるか」
「姉上が、あなたを逃がすため、近くの敵をすべて引きつけてくださったのですが、運悪く、高度カレンダーの崩落に巻き込まれたのです」
「高度カレンダー?」
「時計塔の最上部にあった、日時計の一種です。正午の太陽の高さで日付を確認します。国に一つしかないので、現状、王都の人たちは月日を正確に確認することもままならない事態なのです」
前を行くルノアは、そこで言葉を区切った。
「ちなみに――オレもアビリティを使えたりするんだろうか」
「え?さっき、オークを倒したのはあなたではないのですか?」
「やっぱりあれがそうなんだ。あのときは、ほとんど無意識だったんだ。咄嗟というか、必死というか」
「ふむ。危機に瀕して、記憶の一部が戻ったってところでしょうか。もちろん、備わっていますよ。王族がなぜその立場になったか、という歴史です。スタイルを持つ子供の生まれる確率が、一般の人たちに比べて圧倒的に高い血筋だったのです。確認しましょう。エーテルは通常、その存在を意識することはありませんが、逆に言えば、意識さえすれば、いつでも掴み取ることができます。腕を前に突き出して下さい。水中で手を動かすと、抵抗がありますよね。そんな感覚です」
その言葉にはっとした。まさにさっき、似た感覚を経験したばかりだったのだ。
「では、詠唱して下さい」
「――何を?」
「ええっ?
「確かこう――」
目を閉じ、あのときを思い出した。
空に向けて右手を上げる。
水の中にいるときのような――。そう考えた瞬間、何か懐かしさがこみ上げてきた。
同時に手のひらが熱くなる。さっきは、それを弾き飛ばしたんだっけ。
同じイメージを頭に浮かべたとき、すぐそばで「きゃあっ」と悲鳴が聞こえた。
慌てて目を開けると、隣にいたはずのルノアが帽子を飛ばし、尻もちをついていた。
上空では、大きな火の玉が、天に向かってかなりの速度で遠ざかっている。やがてそれは視界からはるか先で燃え尽き、周囲の雲と同化した。
彼女は口を開けたまま、それをぼう然と見上げていたが、やがて、はっとしたように立ち上がると、口をぎゅっと閉じ、厳しい表情でレーヴに向き直った。
「危ないじゃないですかっ――っていうか、何だって泣いてるんですか。危うく殺されかけたのはこっちですよ」
そう言われて、手の甲で頬に触れると、涙のあとがあった。
「よくわからない。水を意識した瞬間、何だか悲しいような、懐かしいような、そんな気分になった」
足元にあった帽子を差し出すと、彼女は腰の草を払いながら、それを受け取った。
「はあ、何が懐かしいのか、さっぱりわかりませんが――。いや、それよりも、無詠唱でアビリティを使うとか、聞いたことないんですけど」
その力は、神代に創造主が戯れに使った超常現象が、系譜の最初だそうだ。故に、その発動には、今も古語が用いられるのだという。
それから、彼女が口にしたのは、目覚めてから何度か聞いた謎の言葉だった。
「古より連綿と伝わる神の御言によりて、その霊験なる力を顕現せよ、という意味です。ソーサラーは、神の力を一時的に借り受けている存在なのです」
それは、アビリティを使う者のことを指すらしい。
「とりあえず、先を急ぎましょう」
それから、行軍を再開した。
アビリティを披露したことで、距離が縮まったのか、ルノアはそれ以前よりは刺々しさがなくなり、会話が少しずつ広がった。
「拙者の両親は、北の国境沿いのエルミオニという小さな村の平民で、裕福というわけでもありませんでした。ただ、幸運なことに、拙者には子供の頃からスタイルの素養があり、領主のいる町で、アビリティを学ぶ機会を与えられたのです。当地から出た初めてのソーサラーだったこともあって、かかる費用は住人が協力して出してくれました。その後、拙者は
「十九歳か。オレより年下かと思っていた」
「は?拙者の背が低いって言いたいのですか?というか、あなたは自分の年齢を覚えているのですか?」
「いや――そう言われれば、知らないな。どうしてそう思ったんだろ」
「ちなみに十六歳ですが――そんなに素早く計算ができる人じゃなかったような」
首を傾げる彼女を見て、胸の中の違和感がまた一つ積み重なる。
死んで生き返るなど、それなりに異例のことだろう。その手続きに何か間違いがあったとして、何の不思議もないのだと思う。
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