第4話 読本懐古厨

 どーも、すべてにおける懐古厨(上位種)、Σ T.Y.P.E.でございます。


 急な話になりますが、結構でかい古本屋に行ってきました。いやー部屋n十個分あって相当広かったですね。店主さんの話によると、これくらいの規模でやっているのはもう一店舗ぐらいしかないという話です。すごい店に来てしまったようだ。

 

 さていきなりにはなりますが、古本屋の醍醐味とは何でしょうか。いろいろ脳をよぎります。値段、希少性、アーカイブ、所蔵量、年代……。数え上げるときりがありません。そもそも、図書館と同じように、歩いて回るだけで楽しいのですから。


 ジャケット買いしかできない状況に置かれた私たちは、もはや書店には流通していない代物を自分の手に置くことができます。さらに、古い本となると、保存目的のために図書館が問答無用で閉架書庫行きにすることがよくあります。その本をレファレンスする機会がなければ、こうしたジャケット買いすらできないのです。古本屋は、ただ中古の本を売るだけにはとどまらない独自の価値を持っています。


 というか歴史すら感じられるのですよ。実は今回買った本の中に「ロリータ・コンプレックス」という本があります。この本見るからに古いのですが、執筆が1968年だそう。つまり、現代のロリコンの黎明期の本です。

 凄くないですか!?!?!?!?

 ちなみにこの本結びの章にロリコンは救われざる存在と書いているので、当時はすっごい厳しい視線が向けられていたようです。まあ今も変わらないけどね!(児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律)


 そうだ、こんなことを語りたいんじゃない(失礼)。私が語りたいことはもっと別の方向にありまして。それは昔の本の形式のことです。それも日本の本に限定します。


 大正明治ごろになるとちょっと古すぎますが、大体昭和の前期ごろになってくると、僕たちがよく知る「堅苦しい本」の形式が出てきます。といっても、現代の出版物ではもう見かけませんが。とにかく、それはハードカバーの装丁と、妙に小さくて厳かなフォントを持つ本です。

 ただし、現代本とは一線を画した領域があります。

 当たり前のようにページとして織り込まれている透き紙です。本編のページには出てきませんが、前書きの前の、本当に本を開いたときに目に飛び込んでくる位置にいます。自分はこれに衝撃を受けましてん。

 

 その透き紙には文字が書いてあったのですね。それだけではまぁ、ふーんしゃれてる作りだねと思うだけなのですが、次ページを見てみます。森の写真がありました。モノクロの写真があって、これまた古いなぁと思ったのですが、ふと透き紙を重ねてみたのです。


 するとどうでしょうか。文字が写真に重なって、写真は少しぼかされます。そこにどんな言葉が書かれていたか忘れましたが、まるで現代の広告のように写真の上に文字があると認識した瞬間、その本のページ全体が厳かな雰囲気になり、神さびたのです。

 ぼくはその時情動が動くのを感じました。感動したのです。人類史に直に触れてきたような気持になり、その場で静かに震えたのです。


 現代になって消えてしまった透き紙ですが、その表現はまだまだ研究されていないと見ます。ぜひ皆さんにも知っていただきたい文化です。


 もし本を出版することになったら、透き紙を使ってみることを出版社と相談してみてはいかがでしょうか?

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小言草。 Σ T.Y.P.E. @whydontyouxxx2153

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