みけ猫ハンザ

@aono-haiji

第1話 みけ猫ハンザ

                  1


僕は三毛猫、でも、体のほとんどは白で、額に黒の八割れ。そして、長い尻尾の先にほんの一か所だけ茶色がある。一か所でも茶色があるから、やっぱり僕は三毛猫なんだ。でもね、僕はオスなんだな。つまりオス三毛。オスの三毛は丈夫で、そして強いんだよ。

 名前は「ハンザ」ドイツ人なのか、江戸時代なのか、よく分からない名前だ。変な名前だけど、僕は気に入ってる。だって、僕を拾ってくれた大好きなタクト君がつけてくれた名前だから。

 僕は今たぶん3才くらい。タクト君に会ったのは2才の時。もう僕は大人だった。

人間に飼われてたんだけど、オスの2才は冒険がしたい盛り。それで、前の飼い主の家を飛び出し、帰れなくなっていたんだ。

夕暮れの公園で、僕はタクト君に会った。僕はもともと人間が好きだったから、すぐにそばに行ったよ。それで、一目見て感じた。ああ、この子は、僕に好意を持ってくれてるって。

 タクト君は腹ばいになって、ハナをツンとする挨拶をしてくれた。それからポケットから小さな箱を出し、ビニールを破いてエサをくれた。僕はお腹がすいてたまらなかったから必死になって食べたよ。後から分かったんだけど、それは金魚のエサだったんだけどね。


 タクト君の家族は、4人。タクト君と妹のエミちゃん。おかあさんとおとうさん。

みんな僕のことをかわいがってくれた。がりがりだった僕は、すぐにポッテリ体型になったよ。タクト君は、そんな僕を抱っこするのが好きだった。一緒に窓際に行って、並んで外を見ていた。僕の大好きな時間だ。僕はスキンシップ好きだったけど、おかあさんのだけは、ちょっと。特に、おとうさんが仕事に、タクト君とエミちゃんが学校に行った後、二人きりになった時のおかあさんのそれは、尋常じゃなかった。

訳の分からないネコ語を発しながら近づいてくると、いきなり僕をひっくり返し、僕の胸に顔を埋めてくる。そのままいつまでもスーハースーハー。けっこう、あれ寒いんだよ。それから僕の両手を抑え、頭といわず顔といわず頬ずりしてくる。少しは我慢するけど、あんまりしつこいと僕も怒る。爪を出さないパンチをして逃げる。離れたところで香箱座りして、しっぽをフッタンフッタンして怒ってるのに、また後ろからやってきて、背中を包むようにして顔を埋めてくる。まあ、おかあさんが主にご飯くれるんだから、我慢しなきゃいけないんだろうけど。ほどほどにしてほしいな。

でも、おかあさんも好きだけどね。


 僕はウチにだけはいられないタイプで、よく外に出た。じきに近所の猫たちとも顔馴染みになった。最近は外へ出てこないネコが増えたから、外ネコはそんなに多くない。僕は体が大きかったから、すぐに近所ネコの中でナンバー2になれた。ナンバー1は「ワジャ」というサビ猫。でも、もう年だから、僕がナンバー1になれる日も遠くないと思う。


そんなある日のことだった。満月の晩だったと思う。夜空の高い所に、真ん丸な月が煌煌と輝いてた。僕は、だれかネコ友達が来てないかな、と思って公園に来ていた。

ネコが夜中に遊ぶのはあたりまえのことだ。

でも、ネコは一匹も来てなかった。僕は仕方ないので、ベンチの上で、真ん丸な月を見上げていたよ。

 すると、僕の後ろで人の気配がする。誰もいなかったはずなのに。慌てて振り向くと、そこに黒のシルクハット、黒のマントという、古典的な悪魔スタイルの男が立っていた。ふところから出した鎖付きの懐中時計を見ている。でも、指でさかんにスワイプしてるぞ。あれはスマホか?

それにしても、あれは悪魔のコスプレだよね。こんな誰もいない所でコスプレなんかして変な奴だな…。

 僕がじっと見てると、その男、僕のことに気づいた。「おお、かわいいネコちゃんだな。太めで俺の好みだ」たぶん、そんなことを言ったような気がする。


 僕は尻尾を立てて近づいていった。あやしい奴なんだけど、僕の人間好きな性分は変えられない。その男、そばで見ると、まだ若いように見えるし、けっこうなイケメンだ。でも、青白い顔で、とても普通の人間には見えない。僕は彼の足元で立ち止まってしまった。

 彼はしゃがんで、僕の方に手を伸ばした。僕は彼のその動作に少し安心して、その指の先を嗅ぎ、体をすり寄せていった。彼は僕の頭をなでながらつぶやいた。

「珍しい奴だな。俺にすり寄ってくるなんて…」

彼はしばらく僕をなでていたが、その手を止め、ふと思いついたように言った。

「そうか………その手があったか……」

彼は立ち上がると、長い髪をかきわけ、左手で自分の左の眼から、コンタクトのようなレンズを外した。そして、反対の右手をパチンと鳴らす。すると、なんとその手には、僕の大好きな赤いパッケージのチュールが握られているではないか。

 チュ、チュール!大好きなチュール!おかあさんが、僕の気を引くために使う最終手段、そして、けして、あがなえない最強兵器!

もう、僕はチュールしか見ていなかった。その、最大限に開いた僕の右目の瞳孔に、その男は、自分の左目から外したコンタクトをぴとっと貼りつけた。

な、なに?なにがあったの?……


 彼はまたしゃがみこみ、僕の眼を見て静かに言った。

「いいかい…ネコちゃん。俺の言葉が分かるだろ? 今君の眼に張りついたコンタクトは特別なものでね。それがくっついていると、君は人間の言葉が分かるし、人間のものの考え方が理解できる。つまり、見た目はネコだけど、中身は人間になったんだ。なにか、俺に語りかけてごらん。心の中でいいから」

僕はとまどったけど、すぐに心の中に言葉が浮かんだ。

「ど、どうしてこんなことを…」

「ほらね、今君は人間の言葉で考え、人間の言葉で僕に語りかけた」

「だから、どうしてこんなことをしたの?…」

「うん、まあ、落ち着きたまえ」


 彼はベンチに座り、僕を抱き上げて膝の上に乗せた。そして僕をなでながら話し始めた。

「俺はかの有名なメフィストフェレスのひ孫で、ルフトという。俺たちは代々、社会になじめない人間と、その魂を買い取るという契約をし、買い取った魂をサタンのところへ売り飛ばすという仕事をしている。親父の代くらいまでは、真面目にそんなことやってたけど、もう俺の代になったら、そんなめんどくさいことしない。最近は、ハイテクというか、A I の技術が進んでてさ、俺の、この眼、ああ…君の右目にくっついているコンタクト。それを愛情をもって見つめるだけで、その人の魂を奪い取ることができるんだ…」

 この男、とんでもないことをさりげなく言ってるぞ。彼はかまわずに続けた。

「このやり方は、俺にとって都合がいいんだ。俺みたいなイケメンだと、女の子がいくらでもそばに来る。そして、俺がじっと見つめるだけで、その子は最大限の愛情で俺の眼を見つめ返す。それだけで、魂がもらえちゃうんだ。まったくいい時代になったもんだ…」


 僕は少し腹が立って、彼のことをにらみつけた。彼は「ん?」と見下ろし、再び僕の頭をなでながら言った。

「ネコちゃん、君が何か言いたい気持ちは分かるよ。君は人間が大好きみたいだし、でもね、これも仕事なんだ。それに、これを忘れちゃいけない、ネコちゃん。その仕事は、今、君に引き継がれてるんだよ。君の右目のコンタクトで仕事をしてほしいんだ。俺は今月中に8人の魂をサタンに売り渡さなきゃならなかった。俺は今月分達成してると思ってたんだけど、勘違いだったんだ。さっきサタン様からラインが来て、

7人しか届いてないらしい。だから今夜中にもう一人、魂をゲットしなきゃいけない。でもね、実は今日、パーティーがあるんだよ。俺、どうしてもそっち行きたいんだ。だから、ネコちゃん。そのコンタクトで、何とか一人分、魂ゲットして。君なら大丈夫。人なつこくて、人間にモテモテのタイプだから。誰か一人、君の眼を見て、可愛い、大好きって思ってくれたら、それでいいんだ。それで魂が得られる。簡単だろ?」

 

 彼はそう言うと、僕をベンチにおいて立ち上がり、ぶばっとマントを羽おり直す。

「さあ、もう行かなくちゃ…あっ、そうそう。今、今夜中にって言ったけど、俺たちの一日は君たちの世界では一か月だから。あせらなくていいよ。一か月の間に一人。楽勝だよ。一か月後の満月の夜に、俺ここに帰ってくるから。それまでに一人、なんとかしてくれたらいいよ。もし出来なかったら、そのコンタクトははがしてやらない。誰か一人の魂を捕まえるまで永遠にだ。じゃあね!ネコちゃん…」

 猛烈な一陣の風が起こり、僕は目を開けられなかった。そしてやっと目を開けた時、もう彼は何処にもいなかった。


                  2


 翌朝、タクト君の布団の中で目覚めた僕。タクト君はまだ眠っている。大好きなタクト君。可愛い寝顔だ。僕はタクト君のほっぺたをなめる。タクト君は「ううん」と言って目を覚ましそうになる。そこでハッと気づいた。昨夜あったこと。あれは夢だったのだろうか。でも、何かが違う。今の僕は、ただの猫じゃなく、とても人間的にものを考えている。そんな気がする。タクト君の枕元に本が置いてあるのが目に入った。タイトルの文字「エルマーのぼうけん」読めた!ぼ、僕は、ネコなのに、人間の文字を読めている。これは、このことは、昨夜の出来事が夢じゃない証拠だよね。

だとすると、大変なことだ。タクト君が僕の眼を見て「かわいい」と思ったら、僕はタクト君の魂を奪ってしまう。 僕はタクト君を起こさないよう、そっと布団を抜け出した。


 おかあさんはもう起きていた。台所からはトーストの焼ける匂いがしていた。

「ハンザ、おはよう」「ニヤーオ」

人間の言葉が分かっても、しゃべれるわけじゃない。僕はおかあさんと目を合わせないように、下を向いて足元をすり抜けた。給水器で水をペロペロしてると、後ろからおかあさんに抱き上げられた。おかあさんは自分の方に僕の顔を向けるけど、僕は固く目を閉じたまま。

「なんだ、まだ寝てんの、あんた…」放り投げられる。それでいい。

 しばらくしてタクト君も起きてきた。「ハンザおはよう」僕の顔に顔をくっつけてくれた。僕は目を閉じたまま顎をクイクイとあげてそれに応える。朝は忙しいから、そのまま学校に行ってくれた。ほっとする。

 一度学校へ出発したかに見えた妹のエミちゃん。バタバタと戻ってきて、乱暴に僕の瞼を開けようとする。「おめめ、どした?」僕は白目しか見せない。


 きほん家の中では薄目で過ごした。動物ネコの感覚はそのままあるのだから。特に不自由はしない。でも、お母さんは鋭い目を僕から離さない。もう、翌日の夕方には家族会議が開かれた。衆議一決「動物病院!」まあ、そうなるわな…。

「明日の午前中、私が連れてく」おかあさん、僕、あなたたちの言葉分かるんです。

翌朝早くから、僕は家にいなかった。


 別の日、さすがに人間は、色々と考えてくる。キャリーバッグがいつもと違う所にある。おかあさんがいつもよりずっと優しく僕を抱く。そおっと、キャリーバッグのそばに座る。おとうさんがスマホをいじるふりをしてキャリーバッグの横に立つ。

ドワッとお母さんを蹴っ飛ばして僕は逃げた。あなたたちに爪は立てたくないしね。

でも、また別の日、僕は考えた。僕の眼を見て魂を吸い取られるのは、愛情をもって見つめてくる時だと魔族ルフトは言った。なら、獣医さんは大丈夫かな。僕は素直にキャリーバッグに入れられ獣医へ行った。ルフトの貼りつけたコンタクト、人間には見えない。獣医さんはじっくりと僕の眼を見て、「何処も悪くないですねえ、そういうタイプのネコちゃんなんじゃないですか?」僕は声を大にして言いたかった。

「そういうタイプのネコです!」


 でも、ある夜、ネコベッドで僕が寝てると、タクト君がそっとそばに来た。だまって僕の体に腕を回し、静かに頬を寄せてきた。何も言わないけど、じわじわ、心が伝わってきた。ほんとに心配してくれてるんだ。ほんとに愛してくれてるんだ。

タクト君の眼を見て、それに応えたかった。僕も愛してるって伝えたかった。でも、それだけは出来ない。それをしてしまったらタクト君の魂が……。

その時、僕の閉じた両目から、涙がこぼれてきた。ただのネコだった時には経験したことがない。つぎからつぎに涙があふれてくる。ごめんね……タクト君。


                  3


 僕は元々野良ネコだった。初めに戻る、それだけのことなんだよ。僕がここにいることが間違いだったのかもしれない。きっと神様がそれを教えてくれたんだよ。僕はついに、この家を出る決心をした。ある夜僕はタクト君の家を出て、ひたすら歩いていった。丘を越え、踏切を越え、海岸の淵を歩き、広い田んぼの中の道を歩き、遠い岬の先まで来た。たくさんの人とすれ違った。ネコ好きの人たちに何度も声をかけられた。でも、僕はそばに行かなかった。ほんとは行きたかったけど。

 餌をもらえないネコが生きていくのは本当に難しい。僕はすぐガリガリになった。

岬の先まで来たとき、ああ…僕はもう終わりなのかなと思った。岬の先から広い海にジャンプ、それも悪くない。普通のネコは考えないこと。やっぱり随分人間っぽくなってるのかも。岬の先にはきれいな水仙がいっぱい咲いていた。水仙の林を通り抜けて、ごつごつした岩場の突端に出た時、そこに誰かの人影が見えた。


 だれ? うそ……どうして? なんで? タクト君?……………………

タクト君がそこにいた。僕はもう目を閉じなかった。まっすぐにタクト君を見て駆けていった。今は大丈夫。だって、涙で半分見えないから。

僕はおもいっきりタクト君の胸に飛び込んだよ。タクト君…………………………。

タクト君は、やさしく、ゆっくり抱きしめてくれた。それから僕の耳元で囁いた。

「ゆうべの僕の夢に、この岬が見えたんだ。だから、きっとここだと思って」

「ニィヤオ」

「きっと、わけがあるんだね。目を開けないのは。いいんだよ。無理しないで。そのままのハンザでいて。目を開けたくないなら、僕がハンザの目になってあげる。一緒にいようよ。僕をそばにいさせて」

タクト君の言葉は全部わかる。分かるから、全部分かるから、涙が止まらない。

「おとうさんの車で来たんだ。みんな下で待ってるから、帰ろ…………」


 ウチのみんなは、僕が目を開けないこと、あまり気にしなくなった。そして、人が見てない所で僕が目を開けてることも知っていた。僕が、そういうネコであることを認めてくれたんだ。落ち着きを取り戻したある日、僕は、おかあさんが鏡に向かって化粧をしているのを見て、ふと思いついた。鏡…………僕が、鏡を見て僕の眼を見たら、どうなるんだろう。やっぱり、僕の右目を見て、魂を吸い取られるのだろうか。

でも、ルフトは、愛情をもって見つめなきゃだめだと言ってた。僕は、自分に対して愛情は持ってない。なら大丈夫だね。いっぺんやってみようか。

おかあさんの鏡の前は化粧品がいっぱいあって、一度そこに飛び乗ってぐちゃぐちゃにして、ひどく叱られたことがある。あの鏡はだめだな。そういえば、エミちゃんも机の上に鏡を持っている。あれをのぞいてみよう。


 僕はエミちゃんの机に飛び乗り、そこにあった鏡をのぞいてみた。ああ…ネコが映ってる。これが僕なんだ…………。僕がただのネコだったころは考えもしないことだけど、この、鏡に映った僕、全然かわいくない。ぶさいくなネコだ。タクト君は、こんな僕を愛してくれた。なんで?でも、タクト君は言ってたな。ハンザはハンザのままでいてほしいって。僕が僕のまま、自分が自分のままでいる、それが大事なんだ。

そのためには、自分を愛せなきゃいけない。なによりも自分を大切にできなきゃ、こんな僕を愛してくれるタクト君に申し訳ないし、恥かしいよ。そうなんだ、僕が僕を愛する、それが、自分の命を受けとめることなんだよな。


 鏡を見て、一つだけ不思議なことがあった。ルフトは僕の右目に薄い水色のコンタクトを張りつけた。でも、鏡の中の僕は左目にコンタクトをしてるぞ。これはなぜ?鏡に映るこいつ、僕なのか、僕じゃないのか、よくわからない。でも、いいや。

こうやってじっと見てると、そんなに悪くないかな…。僕は、鏡に映る自分を愛してあげられる気持ちになっていた。鏡の中の、もう一人の自分も、きっと同じ気持ちになっているみたいだ。


すると…………不思議なことに、鏡の中の僕が、少しずつぼんやりとして薄くなり、

やがて消えてしまった。


                 4


 ルフトはパーティーの一夜を過ごし、夜の公園に帰ってきた。地上では一か月が経ち、頭上には、また満月が出ている。

「さあて、あのネコの野郎、うまく誰かの魂を奪い取ることができたのかな……」

 ルフトは懐中時計のスマホを確かめている。

「サタン様からのライン……何?……ネコ一匹だって?」

「にやあ…」

 暗がりからネコが現れた。ハンザだ。

「おっ、ニャンコ。お前、なんだ?ネコ一匹の魂を奪っただけなのか?」

「にやあ」

「しょうがないな……仕方ない。ネコに頼んだ俺が間違いだった。コンタクトはがしてやるよ」


 コンタクトをはがされたハンザは、元の、ただのネコに戻った。人間の心を持っていた時の記憶はなくなってしまった。でも、ハンザはもとのようにしっかりと目を開いてタクト君を見つめられる生活を取りもどしていた。すべては、もとの幸せに。

ただ、一点だけ前とは違うことがあった。それは、ハンザが鏡の前に立っても何も映らない、それだけだった。


 


 

 

 

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