04 あなたに花を -2-

「お花、買ってくれない?」


 リゲルが駅員と話している間、オリヴィエはぼうっと駅舎の中を歩いていた。さびれた駅のわりに待合室の他にホールのような場所があった。ちょっとした集会ぐらいならできそうな広さだ。

 そこを覗き込んでいたとき、ぐい、とジャケットの裾が引っ張られた。

 振り返ると、十二、三歳ぐらいの少女が立っている。


「なんだいお嬢ちゃん、お花売ってるのかい」

「わたし、サシャよ」


 麦わら帽子をかぶった少女はリボンで結わえた小さな菫の花束をすっと花籠からオリヴィエに差し出した。確かに可愛らしいとは思うが使い道がない。可愛い子リゲルちゃんに「はいどーぞ」と差し出したところでむっとされるだけだろう。


「サシャちゃん」

「なあに」

「買ってあげたいのはやまやまなんだけどね……いや、まあいいか。おいくら?」


 買われた後のお花が萎れようが枯れようが関係はない。この子たちはお金が必要なのだ。それぐらいオリヴィエだって理解している。言われたとおりの銀貨を少女の手に握らせると、にっこりと愛らしく微笑んで菫の花束を手渡してきた。


「ありがとう、素敵な紳士のお兄さん」

「いえいえ。サシャちゃんはこの町の、ネルケの子?」

「そうよ」


 ちょうどよかった。駅員の爺さんじゃ心もとないし、もう少しミレッティの絵の情報を仕入れておきたかったところだ。


「お兄さん、旅行者でしょう? この町を案内してあげましょうか」

「おお、いいね。ただ俺、連れがいてさ……」


 待合室でイライラしながら駅員と話しているリゲルをオリヴィエはちらっと見た。いま声を掛けるとあの怒りがこちらに向く可能性がある。よし、いまのうちに出掛けてきちゃおっかな。すまねえな、リゲル。爺さんの相手はお前に任せた!


「サシャちゃん、じゃあお願いするよ」

「ガイド料金は銀貨三枚ね」

「……あはは」


 ちゃっかりしているなあ、と財布から銀貨を取り出して少女の掌に落とした。


 駅舎を出るとびゅう、と強い風がオリヴィエの髪を搔き上げた。ああ丹念にセットした前髪が乱れてしまう――いや、違うんです薄いとかじゃないよ。額が広めとかじゃなくてチャームポイントとしてのおでこを大切にしているんだ、うん。


 サシャは吹きすさぶ風の中、踊るように軽やかなステップを踏んでいた。若いっていいなあ、そんなふうに思い始めたけれど遅れないようについていった。


 ネルケは見たままの小さな町だった。


 北部にあるネルケ駅から南に向かって人家や商店がひろがっている。嬉々とした表情でここが教会、ここが集会所、それから道具屋と紹介してくれるがとりたてて何か気になる場所があるわけでもない。

 ふうん、と気のない相槌を打ちながら散歩していたところでサシャが此方をちらちらと見ていることに気が付いた。


「どうかしたかい?」

「あのね……ネルケはどう? あなたにはどう見える?」

「うーん……」


 腕組みをして考える。住んでみたいか、と言われればノーだ。頻繁に遊びに来たいか? という問いにもおなじく首を横に振っていただろう。

 でも。


「いいところだね」


 とりたてて何もない、ように見えるというのは治安がものすごくよいということではあるのだろう。町の人はすれ違うたびに挨拶をしているし、ぼんやりきょろきょろしながらうろついていたオリヴィエにも親切だった。


 帝都から来た学芸員だと職員証を見せながら話すと、帝国美術館に昔行ったことがあるという男が自慢話を始め、それに仲間たちが乗っかって盛り上がった。


「すごいな、君はいろんなところに行くんだろう。ラヴェンデルにとどまらず遠い外国にだって」

「ええまあ、そうですね」

「羨ましいな、私も旅に出てみたいよ」

「行ってみると楽しいものですよ」


 いかがですか、と促すと「とんでもない」と彼らは口をそろえて言って苦笑した。お金がない、時間がない、余裕がない。そんな理由を口にしてそっと離れていく。


「みんなこの町を出たがらないんだね」


 いいな、羨ましいな、そんな言葉を口にするわりにはこの町の生活を離れたくない。現状を変えたくない、そう思っているのが表情にも滲み出ていた。出来もしない、やるつもりもないことを口にして、いいなあ、と反射のように口にしている。


 サシャに言うと「そうかもね」と呟いて数歩先を歩いていってしまった。

 う、さすがに子供相手にひねくれたことを言いすぎたか、と反省しているとサシャがぼそりと言った。


「だって、わたしもそうだもの」

「この町を出たくないの?」

「……出られないの。出たいと思うことさえ許されない」

「外に出てみると、傷つくかもしれないけれど見える景色は変わるよ。つまらない、と思っていたことが楽しく思えることだってある、かも……」


 自分が人様のお子さんにえらそうに言えるような立場ではないことを思い出して尻すぼみになってしまった。でも出られない、と言ったサシャが悲しそうに見えたからなんとなく言ってあげたくなった。

 こんな見ず知らずの他人の言葉に、影響されることもないんだろうけどね。


「あなたもおんなじこと言うのね」

「……あはは、説教くさいことばっか言う大人ってダサいよね」


 ううん、とサシャは小さく首を横に振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る