02 画商は列車に乗って -2-

 夜がけぶる車内で、星明りが窓から忍んで来る。夜半過ぎだというのにオリヴィエが眠りに付けずにいたのは正面の座席でぐうぐう寝こけているリゲル・フォン・リヒトホーフェンのせいだった。


「ただの雑談の程度を超えるんだよな、そういう重たいのは」


 ひとの生き死に、にまつわる出来事は話題にしたりされたりするだけでどっと疲れてしまう。架空の物語だと言ってもらえたら楽なのに、正真正銘目の前にいる同僚の家族の話だというのがなんとも。


 取り出した煙草にマッチで火をつける。

 くゆらせると白い煙が淡い夜色に染まったかのようだった。列車のこの客室一杯に満ちた深い夜にたちどころに浸されたせいなのだろう。さやかな月影と星屑の煌めきだけが明かりで、規則どおりの列車の旋律と鼓動に身を任せていると心地好くなってくる。このまま寝煙草なんてシャレにもならない真似をするわけにもいかない。

 銀色の携帯灰皿に火を押し付けて消すと、リゲルと目が合った。


「おまえいつの間に起きてたんだよ」

「オリヴィエが煙草に火をつけた頃だ」


 重たいだのなんだの言ってしまった直後か。聞いていなかったのならまあいい。

 煙たいと苦情を言われたので、窓を少し開けた。もっと深い夜が列車の中に流れ込んでくる。肺をすうっと冷たくする空気に膝にかけていたブランケットを胸まで手繰り寄せた。


「吸うんだな煙草」

「ああ、まあくせみたいなもんだよ。それにさちょっとカッコよくない? いまチュウすると、煙草のにおいがするんだぜ」

「それのどこが格好いいのかわからないが」

「キスのとき、においでも印象付けられるってこと。初恋が檸檬味みたいにさ、フレーバーがあったほうが思い出はキレイになる」

「小細工じゃないか」

「小細工だよ。おまえほど顔面が整っていないんでね、素材以外のところで勝負しないと」


 そのとき、客室のドアが勢いよく蹴られた。うるさいということらしい。そりゃそうだ、皆さんお休み中ですよね。へえへえすんません、修学旅行の学生みたいなノリで話し込んじゃってさ。


 しい、と人差し指を唇の前に立ててお喋りをやめると、どっかと脚を組んでオリヴィエは目を閉じた。リゲルがなにかぼそぼそと言っていたような気がしたけれど、嗅ぎ慣れた煙草のにおいに包まれたおかげでさっきよりはいくらか眠りに落ちるのは容易かったらしい。

 そのまま、日が昇るまで目は醒めなかった。



 がつん、と腰かけた座席を蹴られオリヴィエはひえ、と飛び起きた。

 すると目の前にすました表情のリゲルがいた。


「……いまやったのリゲルくん?」

「さてな」


 ひどい挨拶じゃないか。冷凍ミカンの恩はもう忘れてしまったらしい。最近の若い子はこれだからもう。

 がたたたん、と盛大に列車がとリゲルはひっと喉の奥を狭めたような悲鳴を上げた。ざまあみろ。


 何気なく外に目を向ければちょうど朝日が昇るところだった。腕時計を見れば朝五時すぎ――ふあ。欲を言えばもう少し眠っていたかったがでっかくて真っ平な草原が赤く燃えるようになっているのは息を呑む美しさだった。


 ラヴェンデル帝国西のトゥルペ平原。野生動物も多く住み、農耕がさかんなド田舎であるが何もないからこそ、こんなにも鮮やかな朝日が見られたのだろう。


 ふと視線を正面に向けるとリゲルもおなじ光景を食い入るように見ていた。こういうときオリヴィエとリゲルはおんなじなんだな、と実感する。

 なによりも美しいものが好きで――心に残る輝きを見つけた瞬間に、いまこの一瞬を切り取ることが出来たらいいのに、そう願わずにはいられない人種。


 ちょっとだけしんみりした日の出の後すぐに、列車はド田舎にふさわしい絶妙にさびれた駅を通過していった。あらら、改装も間に合ってないらしく駅舎もぼろぼろだ。利用者もあまりいないのだろう。

 目に入ったのは、ホームに佇む麦わら帽子を被ったおさげ姿の少女だ。じっと遠ざかっていく列車を見つめている。


 そのときおもむろにリゲルが立ち上がった。


「えっ何?」

「いま通過したのはどこだ……⁉」

「あ、うーんと――ネルケって車内アナウンスが流れてたけど、も」


 リゲルは慌てて椅子の下に放り込んであった荷物を整理し始めた。


「あのリゲルくん」

「なんだ」


 忙しそうでこっちに目を向けてもくれなかった。おにーさん、ちょっとさみしい……。


「なにしてるのかな、って」

「降りる準備だ」

「は? いや待って気が早すぎるってば。帝都まであと三時間ぐらいはかかるっつうの!」

「次の駅に停車するのはあと数分後だろう」

「次⁉」


 車内アナウンスが「えー、次の停車駅はトゥルペ中央、トゥルペ中央」と案内を確かに始めてはいるのだけれど。


「あのさあ、いちおう聞きたいんだけどトゥルペ中央駅で降りてどーすんの……?」

「決まっているだろう、乗り換えるんだ」


 別に決まってはいないと思いますけどね、と言いたい気持ちをぐっとこらえてオリヴィエも慌てて荷物をまとめる。

 乗り換えてどこへ行くつもりなのか、尋ねている余裕はトゥルペ中央へ到着一分前のいま現在には存在しないのだった。

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