01 画商は列車に乗って -1-

 がたんごとん、と振動に身を委ねていると瞼が重くなってきた。

 優雅な列車の旅は奮発して客室をいつもより上等なものにしたおかげで長い脚を存分に伸ばせて快適である。

 窓を開けると海沿いを走る列車の潮風がぶわりと吹き込んで、美しい景色と共に気分を高揚させ――。


「うぉぇ……」

「り、リリリゲルくん⁉ 列車だよ! リゲルくんの大好きながたんごとんだよ?」


 吐く一歩手前で窓枠をつかみ、すうはあすうはあ荒い呼吸を繰り返す同僚を見て、オリヴィエはドン引きした。盛り下がるにもほどがある。顔色は青く、もとから色白だから体調が悪いときはもはや死人のようでさえある。目の前で死んでくれるなよ、頼むから。


「ぼくは、船がにがてなだけで、れっしゃがすきとは、うぉえ……」

「わーっ、もうリゲルくん喋らなくていいから!」


 リゲルとオリヴィエは、港町ホルツからラヴェンデルの帝都に戻る途中だった。


 どうせ近場だ、と甘く見てあまり旅支度を整えて来なかったし、オリヴィエの一張羅は完全に水没、靴もひどい有様だったのでいったんお家帰るからね! と声高に主張した。

 ラヴェンデル帝国美術館の管理部に行って「泡沫乙女」に関する報告と共同管理の申請、予算の支出とかの交渉も必要だしね。


 そのままふらりとどっか行きそうだったリゲルの首根っこを掴んで意気揚々と列車に乗り込めば――これである。ねえ行きは平気そうだったのになんで?


「うぷ……ホルツから帝都へのルートだとレールの軋み具合が絶妙に最悪でダメなんだ」


 ちょっと元気になって来たのか、ろれつが回るようになってきた。言ってることは残念極まりないが。


「まあ繊細。お気の毒だねえ――冷凍ミカンでも買ってあげようか」

「……要らん」


 食べるんじゃなくて、冷やすと気持ちいいでしょーが。車内販売のワゴンを押していた乗務員のお姉さんを呼び止め、買い求めたみかんをリゲルに握らせると「ちべた」と可愛らしい悲鳴を上げた。


「ほれ、手首とか冷やしな。気休めだけどさー、冷たいとすっきりするじゃん。んで食欲出てきたら食いな……いまは無理だろうけど」


 ぐったりと目を閉じたリゲルを見遣りながら、オリヴィエは息を吐いた。

 しばらくすると本当に眠ってしまったようで規則的な寝息が聞こえてきた。たたたん、と振動も緩やかでリゲルのいうところのレールの軋みなんてまったく感じられやしない。

 握りしめたみかんが汗を掻き始め、ひんやりからぬるくなってくるころ、リゲルは目を醒ました。


「おはよーさん。まあもう昼過ぎだけど」

「ああ……」


 もごもごと、すじを丁寧にとったみかんの房を口の中に入れながらリゲルは答えた。挨拶もロクに出来ないんかい、この僕ちゃんは。


「いま、どのあたりだ――」

「うーんと……ちょうど国境越えたあたり、だって。さっきアナウンスがあったぞー、もう此処は我らが故郷ラヴェンデル!」

「……そうか」


 寝ぼけているのかいつもの数割増しでぽやぽやしている。まだ幼い感じあるな、こうやって見ると。長い睫がぱちぱちと揺れ動くさまはまるで貴婦人の扇のはためきのよう――って、いかんいかん。学芸員だからって美術品鑑賞するようなで同僚見るのはどうなんだよ。


 代わりに、視線を窓の外へと向けた。

 ひゅう、と景色が飛ぶように過ぎていく。車窓から見える風景は次々と移り変わり見事な牧草地と濃緑の森が見えた。


「リゲルくんち、ってさあ。お金持ちなんだろ?」

「下世話なことを訊いてくれるなよ……」


 車窓に視線を向けたまま言うと、嫌そうな声が聞こえた。


「いやいや、うちんとこの部署みんな気になってることだからさ。こないだ俺が代表して聞いといてやるって言っちゃったんだよ」

「それはお前の都合だろう」

「俺の都合だな……」


 野次馬根性というのもある。なにしろ、リゲル・フォン・リヒトホーフェン様である。リヒトホーフェン家といえばラヴェンデル北部を代々領地としてきたお貴族様であり、貴族という名前が名目上のものとなりつつある現在いまでも出身者が各界の要人であったりするリヒトホーフェン家である。


「暮らしに困ったことはない。幸いなことに」

「そりゃいいね、うちとは大違いだ。うちきょうだい多いからさ、毎日食事のときなんて大騒ぎで……」

「そうか」

「そうなんだよ」


 がたたんごととん、と列車の音が響き渡る。

 いや本当にキャッチボール苦手な奴と話しているとひたすら会話の糸口を提供し続けないといけないから大変だな。まあリゲルの方も話したくないことを話しているわけだし当然と言えば当然だった。


 だからぼそりとリゲルが口にした言葉が意外ではあったのだ。


「僕にも妹がいた」

「へー、いいなあ。可愛いんだろうな、リゲルくんに似てるんならさ」


 今度紹介してよ、と言いかけたときに気付いた。

 リゲルは妹が「いる」じゃなくて「いた」とあえて過去形で話したことに。


「父母が言うにはよく似ていたらしい――あの子は十歳の時に病で死んでしまうまでは、よく帝国美術館に連れて行ったんだ」

「そ、っか」


 なんて言えばいいのかわからず、オリヴィエは口を噤んでしまった。そんな中も帝都行きの列車はがたたんと規則的なリズムを刻み続けていた。

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