05 奇跡の少女 -3-
「地下道の絵、だと……?」
こういうとき、きちんとした身分があるというのは便利だった。えーラヴェンデル帝国の帝国美術館のものです、と名乗ると「ああ、あの」と大体の人間は言う。
デカい国の観光スポットとしても超有名な「ラヴェンデル帝国美術館」のネームバリューというものが他国にいたとしても大体通用するのだった。
ただ【画商】と名乗ると、怪訝そうな顔をするので、美術品収蔵のため買い付けなどを行っているんです、と補足するのが常だ。
で、あのミレッティの絵の権利者らしき人物は、街の有力者――市長だった。
地下道に放置されている壁画が名のある画家の描いた作品だと告げると驚いたようすではあったがオリヴィエが「あの絵をぜひ帝国美術館に寄贈いただけませんか」と話すと当然ながら渋った。
「寄贈、というとあれですけどもちろん協力金と言う形で対価はお支払いしますので……」
「この町からあの絵を掻っ攫おうとするなら容赦はしないぞ!」
どうやらオリヴィエが火に油を注いでしまったようで、市長はいきなり怒り始めてしまった。まあよくある態度と言えば態度なのだが。
それにしても「まあまあまあ、帰る前にとりあえず諦めないで交渉してみようや」と襟首掴んで引っ張って来たリゲルは一言も口をきかず置物のようになっていた。見た目がいいからさながらビスクドールのようでさえある。美術館に展示してやろうか。
「いや、あの市長さん、一旦落ち着いてください……大事な絵だというのなら保護措置を講じましょうよ。あのままでは壁画が傷んでいく一方ですよ」
「要らん! なんだかんだ言いくるめて権利を奪うつもりだろう。大体あれはミレッティのものではない。この町を訪れた救世主が残した『奇跡の少女』の絵だ」
「救世主……? 『奇跡の少女』?」
なんだか妙な話になって来たな、と思いながらも置物と化していたリゲルが「救世主とはどういう意味でしょうか?」といきなり口を挟んで来た。
市長の話によれば、数百年ほど前にこの町を攻めてきた異国の軍隊だか怪物だかを追い返したとか。八十年前の水害から守ったとか、なにやらいわくつきの人物がおり、そのひとがあの地下道の壁画を描き残したという。
それが「救世主」だ、と。
その「救世主」を支えたのが「奇跡の少女」であり、あの絵では人魚の姿で描かれている少女なのだと町長は熱のこもった声音で語った。
「あのお方は自らのことを『画家』としか名乗らず、結局この話も伝説のようになっておるから……正確なことは誰にもわからないのだ」
「さ、さようでございますか……」
数百年前の人物と八十年前の人物が一致しているとは考えにくいが――どちらも「救世主」で「画家」というキーワードで語り継がれていることから、いつのまにか同一視され神聖視されるようになったのだろう。
「『救世主』のことを忘れないようにずっと、この町の誰もがあの絵を見られる場所に置いておかねばならないのだ」
信仰の対象のようになっているから、値段をつけることもできないし、持ち去ることは許さないということのようだ。
【画商】といってもオリヴィエは学芸員であり、盗賊ではない。強引にあの絵を奪うことはできない――いくらラヴェンデル帝国が大国とはいえ外交問題にも発展しちゃうし。
そもそもあの壁画が数百年前からこの町にあったというのなら、レオニス・ミレッティの作品ではないだろう。ミレッティが没したとされているのはおよそ十年ほど前の話で――数百年前の「救世主」の作だとすればあれがミレッティのものであるはずがない。
可能性としては八十年前の「救世主」がミレッティであった――というものだが。そもそも「救世主」という存在自体が町長の話からして眉唾ものといった印象だ。
この話のせいで、ミレッティの作品として回収できる可能性は、ぐん、と低くなった。
まさかここまで見越していたんじゃないだろうな、と傍らでふたたび置物に戻ってしまった同僚をオリヴィエは、ちら、と見たが相変わらず読めない表情でどこか遠くを見つめていた。
それにしても環境のせいもあるし、経年のせいもあるだろうが地下道の絵はあまり良い状態とは言えない。なんとかして補修、保護のための設備を整えたいところだが――。でも美術館に収蔵できないとなると予算も使えないし。
市庁舎を追い出され、行き交う観光客の中でオリヴィエは茫然と佇んでいた。
あの絵を持ち帰りたい、出来ることなら。
ただ壁ごと切り取るにしてもかなり大掛かりな手続きと工事が必要になる。それくらいならミレッティではありませんでしたーということにしてしまった方が楽なのだ。
だが――【画商】としての自分はあれをミレッティの真作だと認めている。他の誰がなんと言おうと……。
「オリヴィエ」
ふいにリゲルが声を掛けてきた。あまり名前を呼ばれることがないから少し驚いてしまって、反応が遅れる。
「あー、うん、リゲルくん。どしたん」
「――地下道に行くぞ」
「え……あ、待ってよ!」
踵を返し、歩いていくリゲルをオリヴィエは追いかけた。
階段を下り、湿った黴臭い通路を歩いていくとふたたび突き当りに蛍光塗料で描かれた巨大な壁画が見えてくる。
この光の具合はヒカリガイをすり潰したものを使っているのだろう。濃淡もはっきりと示されていて海が星の明かりに照り映えるさままで見事に描き取っている。
そして印象的なのは物憂げな表情で歌う人魚の少女だ。伏せられた長い睫の一本一本まで繊細に描かれていて、ため息まで聞こえて来そうだった。
オリヴィエは遠目でぼんやりと絵を見つめていたときだった。
ゆらり、と絵が動いた。
ぞくっと背筋が寒くなる。
水飛沫があがる音、ぴちゃんと滴り落ちる水滴。ざざん、と岩場に打ち寄せる波の音。まるで今朝見た夢のような情景が目の前に迫って来る。
絵から抜け出したかのように、音が立体的に地下空間に反響する。
するり、と暗闇の中を泳ぐように人魚がオリヴィエの目の前に現れた。
――あなたが探しているのは、なあに?
問いかけてくる蠱惑的な瞳に、一瞬で魅入られる。
手を伸ばし彼女に触れる寸前で、ごつん、と頭に衝撃が走った。
「はァい、そこのおにいさーん! お触り禁止でぇす♡」
い、痛い……。まだ触ってもいないのに、何……? オリヴィエ、とリゲルの声がぐわんぐわん頭に響く。べしゃりと濡れた通路に横たわり、あれ、なにこれ既視感――と思いながらも、気を失った。
✦·⋆⋆·✦
「あら、また会ったわね?」
「……おまえは何者だ」
リゲルの問いに、かつて目にした細身のホルターネックベストにショートパンツ姿の少女はにっこりと微笑んだ。杖を握っているから、それでオリヴィエを殴打したのだろう。身の危険を感じて、リゲルはわずかに後退った。
「学芸員よ。【画商】さん――そうねえ、ダリアとでも呼んでもらおうかしら」
くるりとリゲルから向きを変えると、ダリアは人魚に語りかける。ふわんふわんと泡のように揺れる少女がぼんやりした表情でダリアを見つめていた。
「ねえ、あなた――お父様のところに帰りましょう」
「お父様というのはなんだ、やはりこの絵はミレッティなんだろう⁉」
ああもう、うるさいなあ。そう言ってダリアは眉を顰めてリゲルを睨みつけた。
「あなたも眠っていなさい!」
手にした杖を向けられると、急に手足から力が抜けた。ぐわんぐわんと頭を揺らされているような感覚に吐き気をおぼえる。
「っ、待て……」
「バーイ、おやすみ――☆」
ちゅ、と謎の女が手指でキスを投げる姿が、地下道でのリゲルの最後の記憶だった。
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