02 港町ホルツにて -2-

「うがー! またダメっ」

「……下品なうめき声を上げないでくれないか。頭痛がするから」


 観光客ではなさそうな、地元民らしき風貌の者や、土産店の店主など適当に辺りをつけて情報収集をしていたのだがまるで成果がない。そして何よりこのリゲルの態度――誰とでも仲良くやっていけるオリヴィエであっても半ばキレそうになっていた。感じ悪すぎだろ。


「聞き込みもしないでおまえはきょろきょろ周り見てるだけじゃん。観光しにきたじゃないんだぞぉ?」

「観光気分はおまえのほうだろう。さっき工芸品のアクセサリー買ってたじゃないか」


 ぎくり。他人に興味なさそうに見えて意外と目敏いな、こいつ。


「あ、あれはぁ……俺のじゃないしぃ。大体、情報引き出すのに金落とさないなんて失礼だろうが!」


 とはいえ「ミレッティを探している」と言えば、誰もかれもが不思議そうにこちらを見返すばかりだった。大笑いして「レオニス・ミレッティの真作だって⁉ あったら俺が教えてほしいね」とオリヴィエの肩を叩いた者もいたし、「これだよ」とそっと明らかな贋作を奥の倉庫から大事そうに取り出してきて者もいた。

 まったくどういうつもりでホルツまで来たんだ、リゲルは。


「……あれ?」


 次に聞き込みに向かう相手をあたりをきょろきょろ見回して物色していたとき。

 ついさっきまで隣にいた夜色髪の男の姿がいつのまにか消えていることに気付いたのだった。



✦·⋆⋆·✦



 ぴちゃり、と薄暗がりに水音が響いた。

 こっちよ、と誘うように――裏路地にぱっくりと口を開けた地下道へと導く、蠱惑的な女の声音。

 思わずリゲルは足を向けていた。かつんかつんと長靴の足音が濡れた石の通路に響いている。明かりこそ数歩おきぐらいにそなえつけられているが暗いのは間違いない。滑らないように気をつけながらリゲルは慎重に歩みを進めた。


 必死にオリヴィエは聞き込み調査をしていたようだったがリゲルは最初からあてになどしていなかった。ミレッティの真作を探している、と尋ねるのではなく本当はこう訊くべきだったのだ。


 ――この町で、女に係る不可思議な現象は起きていないか。

 ――たとえば、人魚を見た、とか。


 ルーデル公国のホルツには人魚が出る、という噂話を耳にしたのは前回の収集先であった帝国内のギャラリーだった。いちはやく手放したい、とぶるぶる震えながらいうオーナーにそれ相応の金額を提示し、絵を貰い受けた。

 残念ながらそのときも探しているモノではなかったのだが――このホルツでの噂話を仕入れられたことだけは僥倖と言えよう。


 人魚――海辺の町ホルツにふさわしい伝説だ。


 先に調べた話によれば、ホルツにおいて「人魚」はしばしば目撃されているようだった。

 その人魚とやらはリゲルが知るように歌が上手く、下半身は魚。上半身は美しい女の姿をしているらしい。


 夜の海や、街の暗がりなどふとした瞬間に「こっちへおいで」と誘う女の甘く美しい声が響くのだ、と。そちらの方に向かってみても、誰も姿は見えず闇の中にくすくすという笑い声がこだましているだけだったという話もある。


 声が聞こえた海の波間にきらきら光る鱗を確かに見たという証言や、何か大きな魚の尾が水面に見えたと言っている眉唾物の話も事前に仕入れていた。

 

 今度こそ、とは思ったのだが情報などあてにならないものだ。百の情報を得たとしても、正確なものはそのうちのひとつかふたつ、それも、劣化して正しくなくなった情報である可能性もある。


 リゲルはつきつきと痛むこめかみを揉んだ。

 地下道に入って幾分かマシにはなったが、自分にはホルツの日差しが強すぎるのだ。雪国育ちの色白の肌が、調理台の火で炙られているような気さえしていた。


「ねえ、あんた」


 人気がないと思っていた地下道の闇の中から、誰かが声をかけてきた。

 若い女の声ではあったが追剥の可能性だってある。

 思わず身構えると、何も取りはしないよ、と女――否、少女は肩を竦めた。


 まるでカジノのディーラーのような衣装を身に纏っている。

 トップハットに細い腰を締め付けるコルセットのようなベストに合わせたショートパンツ。美しい脚を惜しげもなく晒している。

 それなのに、不思議といかがわしさはないのは彼女の容姿がまだあどけなさを残した少女だからかもしれなかった。


「なにかお探し?」


 茫然としたリゲルに艶やかな黒髪を肩のところで切りそろえた少女が訪ねてくる。答えあぐねていると、少女は、に、と赤い紅で彩られた唇に笑みを刻んだ。


「なぁに。ああ、もしかしてわたしの美貌に見惚れちゃった?」


 くす、と絡みつくような笑声が少女の小さな唇から発せられてぎくりとしてしまう。自分より五歳以上は年下と思われる少女から、女の色香めいたものが漂っている。


「ああ……美しいな、きみは」


 否定すべきなのだろうが、すなおに認めてしまった。

 彼女は、とても美しかった。可愛らしいという子供ならではの加算点を除いたとしても美少女と言って差し支えない刹那の美貌をたたえている。もし、自分に技術さえあればこの一瞬を切り取り永遠にする……そんな絵画を描こうとしたかもしれない。


「あら。正直なのね、わたし、あなたのことが気に入ったわおにーさん」


 少女は、にこ、と晴れやかな笑みを浮かべる。


「レオニス・ミレッティ」


 紡いだ言葉はまるでまろやかな弦楽器の響きのようだった。


「探しているんでしょう?」


 なぜそれを知っている。つぶやいたリゲルに「こっちよ」と言って地下道の奥へと駆けだした。ぴしゃぱしゃと少女の小さな足が水たまりをつぶして駆けていく足音が地下道に響く。


「っ、待て……!」


 慌ててリゲルは少女の後を追った。なんの確証もなかったが彼女を逃してはなる者かと足が勝手に動いている。あの子はなにかを知っている。

 レオニスのことも――リリーヴィエラのことも。

 ただの直感に過ぎなかったが、なぜかそんな気がしたのだ。


「行き止まり……?」


 しばらく走らされたのち、地下道は壁にぶち当たった。

 そして黒髪の少女はどこにも見当たらなかった。壁に触れて確かめてはみたが抜け穴のようなものはなさそうだ――ということは。


 あの少女は、間違いなく消えたのだ。


 そのとき、突き当たりの壁がきらきらと光り輝いているのがわかった。

 一歩、二歩、三歩と下がるうちに「それ」がなんであるのかリゲルは理解した。


 一枚の絵画である。


 まだあどけなさの残る顔立ちの、少女が描かれたもの。


 絵具ではなく、蛍光塗料を使って描かれたと思われるのだが――はっと、思わず立ち止まらせる力がある。


 人魚を思わせる鱗のある下半身。ぬめぬめとした質感や光沢まで、表現されている。埋め込まれた硝子が砕ける白波を表しているようだった。


 ただあまり状態が良いとは言えず、風雨にさらされて劣化している。ただ作者は間違いなく、リゲルが探していたものだった。


 レオニス・ミレッティ。


 おそらくこの画風は初期のものだろうか。大胆な筆使いで鮮やかな海の情景を描いている。しかも女性を描いたものは人気が高く、蒐集家の間でも高値で取引されている。


 贋作が多い画家として知られてはいるが、この絵は間違いなくレオニスのものだとリゲルは直感した。所有者と交渉し、しかるべき保存方法で保管するべきものだ。劣化が著しい。

 このままにしておくにはさすがに忍びない――「彼女」にとっても気の毒だろう。


 闇の中で少女の笑い声が聞こえたような気がした。

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