01 港町ホルツにて -1-
べたついた潮風が肌を打ち、オリヴィエは眉をひそめた。
内陸育ちの身にはいつまで経っても慣れない気持ちの悪さではある。身内などはこの手の海際の風景を特別好み、海が見えるだけできゃっきゃとはしゃぐがどうもオリヴィエはそういった情動とは無縁らしい。変なの、と姉や母には言われるのだが個人の趣味嗜好に口出しされる筋合いはない。
まあオリヴィエが海が好きかどうかはこの際どうでもいいのだ。
だってお仕事だもん、仕方がないじゃん。ついていく、と決めたのは自分であるしそんな快不快の感情をあらわにするほどお子ちゃまじゃない。
なにしろ学芸員とは名ばかりで【画商】は内勤とは無縁なのだ――帝国美術館の中にいるよりも、各国を旅していることの方が多いくらいだ。旅が仕事、なんていうと聞こえはいいが結局のところ各国を周遊しながらレオニスを中心としてラヴェンデル帝国美術館にふさわしい作品を探す――基本は、あてもない旅だ。
ところが今回はあてがある――リゲルというあてが。こいつにくっついていればレオニスの未発表作を発掘するのも夢じゃない。複数点見つけられればおこぼれを頂戴するのも夢ではない。共同で見つけた、ということにしてくれるかもしれないしね。
さてルーデル公国ホルツは漁師町というよりかは賑やかな観光地といった場所だった。
山に面したなだらかな段々の畑が「映える」と評判で、レオニスだけでなく多くの絵描き、文筆家などがこぞって訪れるうえ、こんこんと温泉も湧き出ている。温泉付きの宿に長期滞在しながら数々の名作が生まれたという歴史があった。
その一大ブームを作ったのも、ほぼ間違いなくレオニス・ミレッティだろう。ミレッティが残した風景画のうち十点ほどがこの町を描いたものだ。よほど気に入ったのか、スケッチなどの習作も何点か残されている。
土産物屋にも複製や贋作と思われるレオニスの作品が並んでいて、そうと知って観光客は買っていく。
いかにもな古道具屋や画廊などもあるのだが、ほとんどが狩りつくされていて真作など残っているなんて期待するのも愚かなので基本スルーが【画商】仲間の常識であった。うーん、だから正直リゲルがホルツに向かうと知ってちょっと悩んだのだ。不発に終わる可能性も十分にあるので。
ま、なんとかなるっしょ。頼んだぞリゲル大先生!
ホルツは観光地ということもあってそこそこ賑わっているが、リゲルが酔うほどの人混みではなかった。涼しい顔で歩いていくリゲルの隣を歩きながら、やはり注目を集めていることをオリヴィエは実感していた。
「はーあ、この顔面偏差値75が……」
「なんか言ったか」
「いんや、なんにも。おまえさー、どうしてそんなに美人なの。女の子に生まれてきたら俺ぜってー告ってたのにな」
「……薔薇に何故そんなに赤いのか、と訊くような問いをするな」
ほー。
つまり当然のことを訊くなってつまりそゆこと。あれま、意外とナルシストのナルちゃんだねえ、リゲルさんよお。
そこはかとなくイラっとしながらオリヴィエはぎぎぎと歯を食いしばった。我慢だオリヴィエ、ここでこいつの機嫌を損ねると面倒だ。
なにしろリゲル・フォン・リヒトホーフェンという男は【画商】仲間とのあいだで非公式につけている蒐集成績が毎月一位に輝くトップ様なのである。
ちなみに帝国美術館の一部門、その中でもエリートと言われる特別学芸員【画商】は、レオニス作品を中心に蒐集しているわけだが――他にも希少な名画やいまだ見出されなかった作品を見つける、という仕事もしている。レオニス作品、プラスでそのほかの作品の回収実績をいわゆる「営業」に見立てて、成績をつけているのだ。
壁に貼りつけた紙に獲得した収蔵作品の点数ごとに花丸のシールを張り付けて。
業腹だから言いたくはないのだけれど、地味にいろんなところに手を回してなんとか二位に食い込んでいるオリヴィエとの間とは、およそシール十枚ほどの差が毎月ついているのだった。くっそ、やっぱ腹立つな。
「俺の顔で女だったら――相当の美人に決まっているだろう」
「へえへえそうですねえ」
リゲルの自信満々な発言を流しながらホルツの町を歩いていたときだった。
ぴちゃん、と水が滴るような音が聞こえて足を止めた。なにげなく視線を音の方向に向ける。
すると、ふわ、と青色の影みたいなのが路地の暗がりに見えた。
んん、なんだなんだと目を凝らしてみると、なんてことはないふつうの路地裏だったのだけれど。いやでもさあ、確かにいまそこに何かがいたような……。
「オリヴィエ、何を遊んでいるんだ」
「や、べつに俺はいつだって真剣なんだけど……いまそこに誰かがいたよーな?」
「何だと」
勢いよくリゲルがオリヴィエを押しのけ(むしろ突き飛ばす勢いだった)、路地裏を覗き込んだ――が、すぐに「何もいないじゃないか」とため息を吐いた。いや、なんというか、おまえって結構、感じが悪いやつだな!
すぐに興味を失くしたとばかりに歩き始めたリゲルのあとをオリヴィエは追いかけたのだった。
いつかぜってー
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