『最終戦前、昼休み』

 第二回戦を終え、大会に参加する生徒たちは昼食休憩の時間に入っていた。そして雪花せっかはホール隅のパイプ椅子の上で、三日ほど太陽にさらされた雪だるまのような有様になっていた。全身余すことなく重力に引っ張られ、辛うじて椅子の背もたれに引っ掛かっている。


 コンビニで抱えるほどのスイーツを買ってきた天涅あまねは、その前に立ったものの、すぐに言葉をかけられなかった。


「……負けたの、半人?」

「はっ!?」


 天涅への反発心だけで人の形を取り戻した雪花は、天涅に目の焦点を合わせる。


「あんた、なによそのお菓子の山! あたしが必死こいて戦ってたっていうのに……! ちょっと分けなさい!」

「そんなことより、勝ったの? 負けたの?」


 迫ってくる手をかわし、天涅は再度問いただす。雪花の顔ににんまりと笑みが広がった。彼女はしきりに鼻の頭をこすり、ホワイトボードを指し示す。そこには伊那いな高の勝利を示す二つの丸印が記されていた。


 雪花は陶酔するように両眼を閉じ、気取ったポーズで机に手をつく。思ったところに机がなくて盛大にずっこけたが、懲りずに机の下から勝ち誇った。


「文句なしの快勝っていうか? ま、あたしにかかれば、ざっとこんなもんよ!」


 実際のところは、そうそう見られないような、泥沼の大激戦だった。


 きようと暴れ回る雪花と、殺そうと抑え込む相手。双方、ミスだらけの拙い攻防ではあった。だが、紛れもなく全身全霊のぶつかり合いだった。


 この死闘を雪花が制したのは、執念の賜物と言う他ない。


 机の下から這い上がり、彼女は得意がる。


「あんたにも見せたかったわ~。あたしの手がバチクソ冴え渡ってたところ!」

「そう。興味ない」

「あんたね! ちょっとは褒めるなり労わるなり、あってもいいんじゃないの? 囲碁を覚えて一か月のあたしが、二勝もあげてんのよ? 二勝も!」


 天涅は山のようなスイーツの中から十円のチョコを放り、鷹揚に手を叩いた。


「御苦労。よくやった」

「前言撤回。あんたに労わられても、ムカつくだけだわ! あー、早くステラ来ないかなぁ」


 言ってしまって、一気にテンションが落ちる。いまだにステラが会場に現れる気配はない。漆羽うるしば神社での対局が長引いているに違いない。


「やっぱり漆羽様、めっちゃ囲碁強いんだろうな。このままじゃ、最終戦に間に合わないかも……」


 しかし、天涅はまったく動じていなかった。


「もしそうなっても、次の関東大会がある」

「……あんたね。それは、あたしたちだけで優勝できたら、の話でしょ」


 雪花が弱気になるのも無理はない。次の対戦校、灰谷はいたに聖導せいどうは全員が高段者という強豪チームだ。三将戦の力量差は圧倒的。副将戦もやや不利がつく。これで大将戦が不戦敗とあっては、関東大会出場権の行方は明白と言えよう。


「あんた、本当に勝てる気でいるわけ?」

「わたしはいつ、どんな時だって、求められた役割を全うしてみせる。それがわたしの存在意義だから」


 天涅はこともなげに、そう言い放つ。その姿があまりに堂々としているものだから、雪花は引きつった笑いを浮かべずにいられなかった。呆れが半分、感心が半分だ。


 そこに、一人の女子生徒が近づいてきた。


「て、てめぇが次の私の対戦相手だな?」


 制服を着崩した、フレームレス眼鏡の少女、星薪ほしまきいのりだ。天涅は一瞬だけ横目を向けると、スイーツを開封する片手間に応じた。


「おまえが灰谷・聖導の副将なら、そういうことになる」

「……ああ、そう」


 向こうから話しかけてきた割に、いのりはあまり喋ろうとしない。なにか言いたそうにしているのに、口元は強張ったままだ。その妙な様子を見て、雪花は訝しんだ。


「もしかして、漆羽様の巫女候補って、あんた?」

「……!」


 何故それを知っているのか。そう言いたげな彼女の眼で、すべてを察した。雪花の手が、胸ぐらを掴む。


「分かってんの? あんたのせいでうちのステラは!」

「……ぐっ。わ、私もまさか、天狗どもがこんな形で願いを叶えるとは思わなかった。私はただ、あの女のチームに負けたくないと望んだだけだ!」


 しかし、いのりは情けない言い訳から一転、断固とした口調で言い放つ。


「それでも私は、これっぽっちも後悔なんかしていない。これは私たちの大会だ。私が愛する先輩たちの囲碁を、あの女なんかに土足で踏みにじられてたまるか!」

「なにがあの女よ! ステラのことなんにも知らないくせに!」


 雪花は激高した。周囲の空気が冷えていく。


 しかし彼女が一線を越える寸前、横から力強い手が伸びてきた。雪花の腕をつかんだのは、灰谷・聖導の大将、灯口ひぐちシノブだ。背後には三将、不知火しらぬいおぼろも一緒だ。


「ここは囲碁の大会だ。喧嘩なら別の機会にしよう」

「あらあら、妙に賑やかだと思ったら、うちのいのりちゃんがなにかしたのかしら」


 灰谷・聖導チームが勢ぞろいだ。


 流石にたじろいだ雪花は、襲ってきた不意の痛みに「ぎゃん」と跳び上がった。天涅が、尻を蹴り上げてきたのだ。


「ちょっと! なにすんのよ!」


 この騒ぎの合間にも黙々とスイーツを貪っていた天涅だったが、一瞬だけ手を止めると、有無を言わさぬ口調で忠告した。


「おまえに求められている役割は、ここでトラブルを起こすこと? 違うでしょ」

「……。……ああ、もう。クソッタレ!」


 憤懣ふんまんやるかたない、というのが本音だ。しかしステラや鷺若丸の顔が脳裏を蘇ってしまっては、手を放すしかない。雪花は腰に手を当て、むくれた。


 ひとまず場が収まったことを見届け、大将のシノブが口を開く。


「事情は分からんが、うちの部員がすまなかったな。……ところで、そちらの大将は、決勝戦までに間に合いそうか?」

「……」


 雪花と天涅は答えられない。シノブは「そうか」と、心底残念そうに眉尻を下げた。


「私は桜谷敷さくらやしきプロのファンでな。その娘と戦えるというので楽しみにしていたのだが……。いや、とにかく次の三回戦、せめて互いに後腐れのない囲碁になるよう祈っている。どんな時でも、囲碁は粋でなくてはな!」


 それだけ言い残して、彼女は踵を返した。三将、朧も会釈して後に続く。しかしいのりだけが、すぐにはその場を離れなかった。


「次の試合、私たちは絶対に勝つ」


 そう言って彼女がポケットから取り出したものを見て、雪花と天涅は目を見開いた。いのりの片手で光を放っていたのは、金細工の片眼鏡――【黄金棋眼鏡おうごんきがんきょう】だったのだ。見間違いなどではない。立ち去っていくいのりと、仲間たちの会話が聞こえてきた。


「おい、いのり。それはなんだ?」

「かけると棋力きりょくが上がる片眼鏡だそうっす。さっきもらいました」

「いのりちゃん、変な人に騙されてお金を払っては駄目よ?」

「い、いや、これは別に詐欺られたとかそういうんじゃなくって……!」


 彼女らを見送りながら、雪花が慌てふためく。


「ちょ、なんで……! なんであいつがあの眼鏡を?」


 いや、大方の予想はつく。あれはまず間違いなく、仙足坊から渡されたものだ。勝負に勝ちたいという、いのりの願いを確実に叶えるため、念には念を入れてきたのだ。


「ヤバすぎでしょ。どうすんのよ、この状況……」


 一時的に鷺若丸さぎわかまると同等程度の棋力を与える【黄金棋眼鏡】が、あろうことか次の対戦校の手の中にある。彼女と戦うことになるのは天涅だが、今の実力では逆立ちしても敵わない。


「ねえ、ちょっと、あんた。聞いてんの?」


 雪花は天涅の様子を確かめる。スイーツを食べる手が止まっていた。流石の彼女も、この絶望的な状況に言葉を失っているのだろうか。……否、そうではない。


 天涅はあろうことか口の端をわずかに持ち上げ、笑っていた。


「なるほど。この展開は少し、……面白い」

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