『会場』

 朝八時三十分。会場となる花ノ木はなのき国際高校のホールには、男女合わせて、四十人ほどの生徒たちが、集まっていた。碁盤を囲んで額を寄せ合っているチーム、窓際で井戸端会議に花を咲かせているチーム、言葉も交わさずスマホに没頭しているチーム。様々だ。


 そんな中、宗教ミッション系の学校、灰谷はいたに聖導せいどう女子高チームの面々は、対戦表が張り出されたホワイトボードの前に並んでいた。


「うむ、女子の部の参加校は全部で四つか……。少なすぎるッ!」


 そう言って口をへの字に曲げるのは、長身の女子生徒だ。体形は筋肉質で、引き締まっている。鍛えている者のプロポーションだ。束ねた髪を腰まで垂らし、巨大な胸を張りながら、両足を肩幅に開いた姿は、碁打ちというより戦士のようなオーラに包まれている。彼女は灰谷・聖導チームの大将、三年生の灯口ひぐちシノブだ。彼女は険のある視線を、肩越しに会場へ向けた。


「せっかくの大会だというのに、これでは盛り上がりに欠ける。粋じゃない!」

「まあまあ」


 隣に立つ同学年の女子生徒、三将の不知火しらぬいおぼろが笑顔で手を振る。明るい髪色によく似あう、穏やかで柔らかい声が、大将をなだめた。


「ダメよ、そんなネガティブな言葉を口にしては。万事において、好悪は表裏一体なのだから、良い面に目を向けましょう」

「例えば?」


 朧の穏やかな笑顔に、不気味な影が差す。


「敵が少なくて、簡単に優勝できそう、とか。ね?」


 大将はやはり納得のいっていない表情だが、反論することはなかった。この腹黒三将とは、付き合いも長い。なにを言っても言いくるめられるのが関の山だと、知っていた。


 しかしそんな三将の発言に、真っ向から異を唱える者がいた。


「油断はしない方がいいっすよ、不知火先輩」


 今まで沈黙を守っていた、副将、星薪ほしまきいのりだ。彼女の視線はずっと、対戦表の一番下に印刷された伊那いな高の文字から離れない。


「今日はあいつら――桜谷敷さくらやしきのチームだって来やがるんすから」


 その名に大将、シノブが口元を歪めた。


「桜谷敷プロのご息女が率いるチームか。確かに、一番恐ろしいのはあのチームだ」

「あらあら。でも、その伊那高チームは、まだ受付も済ませていないみたいですよ」


 参加校が続々と集まってくる中、未だに伊那高の関係者は姿を現さない。時間までに受付を終えなければ、もちろん失格だ。


「このまま遅刻してくれるなら、ありがたいのですけどね」


 三将の朧は、くすくす笑いながら、ホワイトボードを離れていった。


「あの腹黒修道女シスターめ。今日はいつにも増して性格が悪いな」

「それだけ不知火先輩も、今日の試合にかけてるんすよ……」


 しかしシノブは不満げに腕を組む。


「あの桜谷敷ステラに不戦勝したところで、そんなのはまったく粋じゃない。違うか?」

「でも、大会は勝ってこそじゃないっすか! 勝たなきゃ関東にも、全国にも出られない。先輩たちは今年が最後の大会なんだ。今年こそ、全国へのリベンジを果たすんでしょう!?」


 いのりは追い詰められた獣のように、まくし立てる。シノブはそれを、余裕の笑みで受け止めた。


「ふっ、無論、負けるつもりなど毛頭ない。勝つのは我々、灰谷・聖導だとも!」


 その時、会場の入り口の方から、なにやら賑やかな足音が聞こえてきた。扉を蹴り開けて、小さな黒髪の少女と、蒼銀の髪の女子生徒が飛び込んでくる。


「受付を見つけたぞ。急げ、半人」

「あんたが校内で迷子になるから遅くなったんでしょ!? だいたいあんたは――!」


 ぎゃーぎゃー騒いでいるのは、天涅あまね雪花せっかだ。大将、シノブが眉をひそめる。


「あれが伊那高か?……しかし桜谷敷ステラの姿が見えないな」


 いのりはそちらに顔を向けられない。ただ前だけを見て、無言で生唾を飲んでいた。


   ○


 会場には無数の長机が並び、それぞれの列に三面ずつ碁盤が設置されている。雪花は伊那校のプレートが置かれた列に向かい、自分の座るパイプ椅子に手をかけた。隣は副将、天涅の席。その更に向こうにあるのが大将、ステラの席だ。


 雪花は口元をこわばらせた。これからステラが会場に来るまで、副将と三将だけで勝ち抜かなければならない。一人の敗北は即、チームの敗北となる。たった一度の負けも許されない。改めて考えると、恐ろしいことだ。指先が震え、視界から色が抜けていく。


 その時、天涅が音を立てて隣のパイプ椅子に座った。


「対局前に倒れそうね、半人。もしかして気負ってるの?」

「当たり前でしょ。あんただって、ステラがどれだけ今日を楽しみにしてたか、知ってるでしょ? 鷺若丸がステラを助け出した時、あたしたちがもう負けてました、なんてことになったら台無しもいいところよ!」


 パイプ椅子を握る雪花の手は震えている。


「今一番もどかしい思いをしてるのはステラよ。だから、あたしたちは勝ち続けて、無傷でステラを迎えるの!」

「緊張するのは勝手だけど、凡ミスで敗北なんてのは笑い話にもならない」

「それは!……まあ、そうだけど」

「どうしてもと頭を下げるなら、精神を安定させるまじないを教えてあげてもいいけど?」

「陰陽師の助けなんて借りないわよ!……ちなみにどんなやつ?」

「横に五回、縦に四回のいんを切るだけ」

「それだけ? 本当に効果あるんでしょうね?」

「さあ。わたしはこんなものに頼らなくても、成果を出すことができるから」

「あっそ! 頼もしいことですね! どーもありがとう!」


 雪花は不貞腐れて、乱暴に椅子についた。しかしすぐに視線を戻して話しかける。


「ところであんた、……これ、なんだか分かる?」


 彼女が指さしたのは、碁盤の脇に置かれた、謎の青い装置だ。角ばった形状で、前面にデジタルパネルがはめ込まれている。上部に二つ突き出しているのは、用途不明のボタンだ。


 この装置の正体はデジタル式の対局時計だった。手番を終えた者が自分の側のボタンを押すと、持ち時間の減少が一時的に停止する仕組みになっている。アナログ式の時計と違って、音声警告や秒読み機能を搭載している、優れものなのだ。


 しかし天涅は答えに窮した。彼女もこれがなにか分からなかったからだ。素直に「知らない」と答えようとした。その矢先、雪花が溜め息を漏らす。


「いや、機械のことをあんたに聞いても無駄か」

「……」


 天涅は装置を指差し、素知らぬ顔で言い放った。


「もちろん知ってる。これは……自動で地合いを計算してくれる機械。知らないの?」

「本当に? マジで?」


 雪花の顔に浮かんだのは「そんなハイテクな道具があるのか!?」、という驚愕だった。


 そこへ最初の対戦チーム、県立水無川みながわ高校がやってきた。


 眼光鋭く、ギザギザの歯をむき出しにしている、小さな一年生、大将の岸美崎きしみさきミサキ。


 それを後ろから抱きかかえ、猫かわいがりしている一年生、副将の原岡はらおか露磨凛ろまりん


 さらにその後ろに隠れるようにオドオドしている眼鏡の一年生、三将の田場たば鏡子きょうこ


 以上三名だ。席に着くなり、副将の露磨凛が朗らかな笑みで言った。


「あ、対局時計ですか~? 設定、こっちでやっちゃいますね~」


 言うが早いか彼女たちは、時計の電源を入れ、持ち時間の設定を始めた。天涅が呻く。


「莫迦な……」

「ねえ、なんで、そういう意味のない知ったかぶりしちゃうの? あんた本当に大丈夫なんでしょうね? 大丈夫なんでしょうね!?」


 一回戦の開始は近い。

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