『詰碁騒動Ⅱ』
二人の参加者は、机に背を向けて座っている。
一人目は
二人目は半人半妖の雪女、
それぞれの机には、碁盤と碁石が一組ずつ。ステラがその盤上の片隅に、石を並べていく。
「トトノイ――んんっ。整いましたわ。お二方、どうぞ!」
声が一瞬裏返ったが、ステラはなんとか合図を出す。早撃ち勝負さながらの機敏さで、二人が碁盤と向き合った。
二人に与えられたのは、それぞれの力量に合わせた問題だ。ただし、多少の苦戦を強いる難易度に調整されている。
「どちらも
最初に動いたのは雪花だった。早押しクイズよろしく、机のふちを叩く。
「解けたァ! ここでどうよ!」
自信満々に解答を強打する。しかしステラが手を返した。申し訳なさそうな顔をしながらも、その手にはまったく躊躇がない。
「残念ですが、それでは相手の追及をかわしきることができないのです。死にます」
「くぁー!」
天井を仰ぐ対抗馬を尻目に、天涅が挙手。すぐさま解答する。
「これでどう? わたしの石はシノげるはず」
「では相手が、このように反応してきたらいかがです?」
「無理をしてきた相手の足をすくい、逆襲できる」
「正解です! 一点先取ですわ」
天涅はポーカーフェイスのまま、雪花を見やる。
「負けた方が罰ゲーム。まさかこの短時間で忘れたりはしてないでしょう、半妖?」
「ぐぐぐ……」
雪花が激しく歯ぎしりする。
「ええい、次の問題よ!」
○
その後、雪花が第二問目を獲得し、勝負をタイに戻した。
しかし続く三問目を天涅が解答し、二点目を獲得。勝利条件の三点先取にリーチをかけた。
「いよいよ後がないな、半妖」
「う、うっさい。勝負はこっからよ」
二人の解答者は、点が動く度、互いに挑発の言葉を投げつけ合う。問題の準備中、碁盤に背を向いている間でさえ、舌戦は止まらない。
「せいぜい今の内に勝ち誇っておけばいいわよ」
雪花がそう鼻を鳴らせば、すかさず天涅も言い返す。
「罰ゲームの秘密を用意しておくことね。すぐ必要になる」
これによって胃を痛めているのはステラだ。このままじゃ囲碁部結成どころか、殺し合いに発展しかねない。もし雪女か陰陽師のどちらかが、怒りに任せて暴れ狂ったら、どうなってしまうのだろう。そう考えたステラの脳内で、数学棟が爆発した。無数の目撃者と負傷者が出る。その日の内に、
ステラは恐怖する。この勝負、皆の命が危ない!
(ただの部活動だったはずが、どうしてこんなことに!?)
だが今、なにより彼女を追い詰めているのは、勝負の天秤を握っているのが、他ならぬステラ自身ということだった。両者への出題は、ステラの裁量に一任されている。つまり自分のさじ加減一つで、勝負の流れが決まってしまうのだ。気分はさながら爆弾の解体作業員だ。
(ひ、ひいぃ~! 銀木さまへの問題が難しすぎたのでしょうか。ここはいったん簡単な問題を挟んで、勝敗の釣り合いを取るべき? いえでも、それは流石に露骨すぎませんこと?)
青ざめながら、視線で傍らの鷺若丸へと助けを求める。
「こ、この重責。……は、肺が潰れそうですわ!」
浮かべた笑顔は、極度のストレスの裏返しだ。呼吸は浅く、目の焦点も定まっていない。
「よければ、出題を代わっていただけないでしょうか?」
鷺若丸は囲碁のことなら、なんでもやる。詰碁を考えるのも大好きだ。しかしこの時、彼は交代を認めなかった。胸ポケットから星形サングラスを取り出し、目元を隠してしまう。
「我は断る」
「そんなっ!」
「ここの部長はそなただ。面倒を見るは、そなたの役目であろう?」
ステラはハッとする。彼女は、ずっと仲間を求めてきた。それは、大会の出願表に名を連ねるだけの、浅い関係性ではなかったはずだ。一つのチームとして連帯の意識を持ち、互いの背中を守り合い、勝利を分け合う。そういう戦友をこそ、望んでいたのだから。
「……そう、そうですわね」
だったら、ここで逃げ出すわけにはいかない。少なくともチームの始まりとなったリーダーとして、二人に対して責任を持つべきだ。
「ええ、わたくし、頑張りますわ!」
ステラの目つきが変わり始める。腹が決まれば、後は早かった。
「さあ、整いました!」
詰碁の完成を告げるなり、二人がそれぞれの問題に挑み始めた。ステラは少し頬を火照らせながら、その様子を見守った。
ちらりと鷺若丸に視線を送る。彼ほどの打ち手なら、一目見ただけで解けてしまう問題だ。手応えなんて、これっぽっちもないだろう。それでも彼は、「面白い」と言うように、にんまりと微笑んだ。大きく頷いたのは、賞賛の仕草だ。
天涅と雪花の考慮時間は、今まででもっとも長引いた。二人とも、盤の外が見えないくらいに、よく集中している。
先に予兆を見せたのは、雪花だ。リズミカルに自らの頬を叩いていた人差し指が、はたと止まる。目は盤上の一点を見つめ、完全に硬直していた。
彼女の手が、わずかに震える。そして少しずつ、その手が上に向かおうとしていた。彼女は答えを見つけているのだ。しかし確信が持てずにいる。だから、手を挙げきる前に、最後の確認を一度だけ――
その「一度だけ」が、勝敗を分けた。
「解けた」
そう言って先に手を挙げたのは、天涅だった。そして彼女が示したのは、まさしく正解の一手だった。ステラが最強の抵抗で応じる。
「相手のこの反撃に、対抗策は?」
唯一の正解ルートは、とてもか細く、分かりづらい。互いの石を激しく取り合う、複雑な変化が待っている。それでも天涅は読み切っていた。淀みなく石を並べ、宣言する。
「以上のように、敵がどう抵抗してきても、殺し切ることができる。どう?」
「……正解ですわ!」
天涅は小さく息をついた。
「これでわたしの三点先取。勝負は決まった」
その視線の矛先が、雪花に向かう。
「事前に決めた罰に従って、今日一日、言葉の最後にはピョンとつけるように」
「うぐっ。分かってる……、ピョン」
「それから、忘れてないと思うけど、罰はもう一つある」
自分の秘密を暴露する、というペナルティだ。見かねたステラがフォローに回る。
「ベ、別に恥ずかしい秘密じゃなくてもいいんですのよ。ほどほどの秘密で!」
「……ちっ!」
雪花は不貞腐れて、そっぽを向く。前髪に隠れた目元に、深い影が落ちた。
重すぎる沈黙が訪れる。耐え兼ねたステラが再び口を開こうとした時、その寸前で雪花が息を吸った。
「あたしの正体のこと以外で、誰にも教えてこなかった秘密があるとしたら、それは……」
「……それは?」
雪花は泥を吐くように、言った。
「あたしの母は五年前、土御門の陰陽師に殺された」
能力を使ったわけでもないのに、場が完全に凍りついた。天涅でさえ、その目を少し見開いている。雪花は虚ろな笑いを浮かべて、手を振った。
「ごめん、今のやっぱナシ。ちょっとトイレ行って、別の話を考えてくる。……ピョン」
彼女は素早く姿を消した。
それからしばらく、部内には沈黙が漂い続けた。やがて鷺若丸が口を開く。
「今のはどういう意味だ?」
天涅が記憶を探るように、顎をさすった。
「そう言えば、わたしの先代陰陽師が存命中、最後に討伐した怪異がたしか雪女だったはず」
「はず?」
「わたしが造――生まれる前の話だから。わたしは記録で読んだだけ」
彼女は席を立ち、ボストンバッグを担ぐ。今日のところは仕切り直しだ。さすがにこの空気で用件を切り出すのは悪手に思えた。その代わり、帰り際に鷺若丸へ、一通の便箋を手渡す。
「明日は休日。時間は空いてるでしょ? 少しつき合って。じゃあ」
愛嬌も見せず、彼女はさっさと引き上げていく。
あとにはステラと鷺若丸だけが残された。廊下端の空間が、途端にガランとしてしまう。ステラがぽつりと呟いた。
「わたくし、なにか間違えてしまったのでしょうか……」
「……否。ステラ殿に、誤りはなかった」
フォローの言葉は、虚しく消えてしまう。静寂が二人の胸に突き刺さった。
それでも鷺若丸は顔を上げる。潤んだ目を伏せるステラの前で、自分までうつむくわけにはいかない。彼は天涅の便箋をポケットにしまうと、力強く立ち上がった。
「雪花殿と話してくる。大丈夫! あとのことは我に任せよ」
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