第20話 商人の依頼

 星を見た次の日の朝、わたしたちは少し遅い朝食を摂っていた。その時、宿屋の店主からクレイグに声がかけられる。

「あんた達はこれから国境を越えるんだろう? それならひとつ依頼を受けてはくれないか」


 宿屋の店主によると、その依頼というのは国境を越えて行商をしている商隊の護衛をすることだった。クレイグが詳しい話を聞きたいと言うと、店主はその商人を呼び出してくれた。


「騎士様に頼めるなんて、こりゃあ幸先がいいぜ」

 商人はクレイグと握手をする。

「依頼を受けるかどうかはその内容による。早合点してもらっては困る」

「そりゃそうだ。でも依頼内容としてはすこぶる簡単なことだ。隣の国に積荷を運ぶからその間、護衛して欲しいんだ」

「盗賊などが現れるのか?」

 商人は、いや、と言って首を振った。


「盗賊団とかなら、傭兵を雇うさ。彼らは報酬に見合った働きをしてくれる。だけど、ただ腕っぷしの強い傭兵では手に負えないから、騎士様みたいな冒険者に依頼をするってわけなんだ」

「傭兵が手に負えない?」

「ああ。なんでも国境付近の街道に恐ろしく強い巨人が現れるそうなんだ」

「巨人か。オーガー程度であれば、傭兵でもなんとかなりそうなものだが」


 商人は目をつぶって首を振る。

「隣国の街とは長い間、友好的な交易関係を築いている。両国の小競り合い程度の戦闘は何度かあるが、昔みたいな大がかりな戦争は近年起きていない。

 ふたつの国の関係は良好だ。だから商売が活発に行われていたんだ。だけど、この半年くらい、すっかり往来が途絶えてしまった。見かねた国が軍隊を駆り出してくれたのだが、一個小隊が行ったきり帰ってこない」


「軍隊もその巨人にやられたというのか」

 商人は頷いて続ける。

「なんでも向こうの国でも軍隊を派遣したらしいんだが、その隊もやられてしまった。向こうは魔法使いも所属している大きな隊だったらしい」


「魔法使いを要する軍隊がやられるようじゃ傭兵だけでは難しいかもしれないな」

「それで騎士様みたいな冒険者に白羽の矢を立てたっていうわけさ」

「国はその後、何もしてくれないのか」

「ああ。行き交う人間や隊商が狙われるだけで、国自体に攻め込まれているわけではない。だから放って置くのが得策だと感じているんだろう。お互い、自分の国で食べ物は賄えているし、無理に輸出入をする必要もないと上は考えているんだろう」


「でも商人としてはそうもいかない、と」

「商売をするのが商人だからね。リスクが跳ね上がっている今、こちらの商材を運べば高値で売れることは間違い無いからね」

「ハイリスク・ハイリターンというわけか。確かにそういう時期に商売ができれば旨味は大きいだろう。そして我々もその道を向かうことになるのだから利害は一致している」

「じゃあ、決まりだな」

「いや、もう少しその巨人について教えてはくれないだろうか」


 商人は頷いて話し始める。

「逃げることができた者の話を聞くと、身の丈は3メートルはある巨人で、甲冑を着ている」

「武装しているのか!」

「ああ。甲冑を着ていて、剣で攻撃をしてくるらしい。みんなその剣に殺されてしまったということだ」


「魔法使いは何をしていた?」

 バイロンが横から口を挟む。

「魔法使いの魔法も効かなかったそうだ。だから一方的にやられてしまったのだと。ただそれは向こうの国の軍隊の話だ。尾鰭がついているだけかもしれん。誰も行き交うことができないのだから、噂話が大きくなっているだけとも考えられる」

「そんな危険な場所を本当に行くつもりか?」

「でも騎士様たちも街道を進むつもりなんだろう?」

「確かに我々は北を目指す旅をしているが」

「なら決まりだな。報酬は弾ませてもらうよ。旅が無事終わったら、儲けは普段の何倍になるかわかりゃしねえからな」


「その巨人は群れていないのか?」

「ああ。一体きりしか出てこないらしい」

「そうか。でもなんで軍隊でも敵わないような巨人を我々なら倒せると思ったのだ?」

 商人は少し不思議そうな顔をした。そして自分の言っていることがさも当然であるような口ぶりで話す。

「だってここの領主様に直接会えるような騎士様だ。しかもさまざまな武勇伝を聞かされている。なんでも東の山の雷竜を倒したのはあんた達だっていうじゃないか」

「それは誤報だ。我々は雷竜を倒したことはない」

「そうなのか? でも竜を倒したことはあるんだろう?」

「それは、確かにそうだが」

 そうだよ、クレイグたちは火焔竜を何匹も倒しているんだから。


「じゃあ決まりだ。ドラゴンスレイヤーが巨人ごときにはやられはしないだろう」

 商人は、できれば早いうちに出発したいと話す。とは言っても夜にその場所を通るのは避けたい。魔物と遭遇する確率が上がるから、ということだった。だから明日の夜明けごろに出発できればと、その商人は言った。クレイグが了承して、出発は商人の願い通り、明朝、夜明け前ということになった。


 わたしたちは午後の時間を使って旅の準備をする。

 わたしはクレイグにお願いして、もう一度お城の霊廟に行くことはできないかと尋ねた。クレイグは快く引き受けてくれて、お城まで一緒に来てくれた。お城の人たちもわたしに親しく笑いかけてくれて、すんなり入ることができた。


 わたしは霊廟のお姉ちゃんの棺に手を載せる。生きている水の気配は少しも感じない。クレイグやアランの真似をして、手を組んで神様に祈る。


 神様、いつかお姉さんと会うことができますように。永遠の命を持ったのなら、きっと会えますよね。よろしくお願いします。


 霊廟をあとにする。もうお姉ちゃんはいないんだ。それはわたしの心にぽかんと空白を残した。


 その日の夜、宿屋の窓からわたしは星を見ていた。ほうき星が尾を引いている。

「ゼーは僕らに見えないものを見ているんだね」

 背中からダニエルが声をかけてくる。

「そうよ。わたしの方がすごいんだから。だから別に人間にならなくたっていいのに」

「ゼーは人間が嫌いかい?」

 わたしは首を振る。そういうことじゃない。


「ゼーは人間になる必要はないよ。そもそも結婚しないと人間になれないそうじゃないか。ゼーはずっと自由でいていいんだ」

 わたしだってそう思っている。水の世界でただただ時間を過ごすことは楽しいんだ。でも、と思う。こうして人間と一緒に過ごしていると、なんだか生きているなあ、と実感するんだ。わたし個人が特別な存在になったような気がするんだ。

 お姉ちゃんもそんな気分になったのかな。ヴィルヘルムに特別に愛されたのかな。


「ねえ、ダニエル。ダニエルは精霊と結婚したいって考えたことある?」

「僕は考えたことはないよ」

「じゃあ、わたしとは?」

 わたしはダニエルに背を向けたまま尋ねる。


「ゼーは特別だよ。こんなに親しく、そしてこんなに仲よくなった精霊はいない。いつも一緒にいて欲しいと考えているよ」

「ダニエルには好きな人いるの?」


 しばらくの沈黙があった後でダニエルが話し出す。

「僕は、南の島国の出身だ。南だけれど、その島国はね、いつもどんよりと曇り空で、よく雨が降っている。だから少々の雨では傘を差すことなんてないんだ。

 でもね。どんな小ぶりの雨の中でも傘を差している、それも目の覚めるような赤い傘を差している子がいたんだ。お付きの人がいてね、身分の高い貴族だったんだ。馬車から建物に入るまでのほんの短い時間も傘を差す。なんだか、それがね、とても気になったんだ。普通の人とはちょっと違うなあ、と思った。そうしてその子のことを見つめているうちにどんどん気になるようになってきたんだ」


「ダニエルはその子のことが好きなんだね」

「好きとは、少し違うような気がする。ただとても気になる存在だった。身分の違う僕にも声をかけてくれたんだ。まあ、召喚士という存在が珍しかっただけだと思うけれど」

「会えなくて寂しくないの」

「うん。きっともう彼女は結婚しているだろう。そういう家柄なんだ」

「ふうん。ダニエルの話、つまんない」

「ごめんね。僕はバイロンみたいに話が上手じゃないんだよ」

 ちぇ。そういうことじゃないんだよ。ダニエルのばか。ばかばかばか。


 夜明け前にわたしたちは出発する。荷馬車は3台もあって、そのどれにもたくさんの荷物が積んであった。

 商人たちは馬の背には乗らずに引いて歩いていたから、わたしが代わりに馬の背中に乗ることにした。


「騎士様は珍しいものを連れているな」

 わたしの方を見てから商人はクレイグに話す。

「私たちの旅の大切な仲間だ。言葉には注意してもらいたい。けっして珍しいものなどではない」

 そうだよ。わたしをもの扱いするなんて失礼だな。


「そいつは失礼した。嬢ちゃん、悪く思わないでくれ。ただ水の精霊を見たことは初めてなんだよ。許しておくれ」

「へえ。おじちゃん。精霊を見たことがないの?」

「ああ。俺はただの商人だ。幽霊も精霊も見たことがない」

「でも魔物は見えるんでしょ」

「ああ。見ないで過ごせるならそれが一番いいよ。魔物に会ってろくな目にあったことがないからな。荷物を置いて命からがら逃げたこともあるよ」

「クレイグたちは強いから大丈夫だよ」

 わたしたちは朝日に照らされて、いよいよ国境を越える。

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