第21話 古戦場

 国境を越えると、辺りはだんだん寂しくなってきた。前に野宿をした荒野あらのみたいなんだけれど、それよりもなんだかずっと寂しいというか、ちょっと怖い雰囲気が漂っている。空もどんよりと曇ってきた。これはひと雨来そうだな、と思う。わたしの髪の毛のうねりがそのことを教えてくれている。


 荷馬車は3台あるにもかかわらず、商人の数は少なかった。1台の馬車にふたりずつ、でもみんなよく働いて、荷捌きもとても手際がよかった。

「お昼になりましたし、ここらで休憩しましょう」

 商人がクレイグに声をかけたので、わたしはこう告げる。

「もうすぐ雨が降ってくるよ」

「ああ。だが仕方がねえな、嬢ちゃん。これから先もしばらくはこんな荒野が続くんだ。屋根のあるところはどこにもないから濡れるのはどのみち一緒さ」


 簡単な食事だったので、みんなそれぞれの位置についたままでパンなどを食べている。人は日に何度か食事を摂らないといけない。おいしさの喜びはわたしも知っているから、おかしなこととは思わないけれど、その肉体を維持するためだと考えると、なんだかわずらわしいことにも感じる。

 お姉ちゃんはどんな食事をしたんだろう。お城の中で立派な食卓についたんだろうか。人間の食事ってどんなものなんだろう。


「ダニエル。わたしにもひと口ちょうだい」

「ゼー、食べて大丈夫なの?」

「わかんない。食べてみたい」

 わたしはダニエルからパンを一切れもらう。口の中に含むけれど、ぐにゃぐにゃしていてちっとも小さくならない。これを飲み込むのは大変なことだよ。


「ダニエル、出してもいい?」

「いいよ。お水をあげよう」

 わたしは、パンを吐き出して水筒の水を飲んだ。水はおいしい。


 ぽつん、と滴って雨粒が落ちてきた。それはすぐにざあっと音を立てて、降り出してきた。

 みんな、そそくさと食事を終わらせ、雨をしのぐためのローブを着込んで出発する。

 街道はすぐにぬかるみになって、歩みは随分と遅くなった。


 誰ともすれ違わないまま、荷馬車は進んでゆく。まだ早い時間なのに辺りが暗くなってきた。雨足も強くなってきている。その時、馬がおびえるようにいなないた。

「いるな」

「『雷撃槍らいげきそう』」

 バイロンがすかさず飛び出し、雷の槍を放つ。それはまっすぐ伸びて、ずっと先のなにかにぶち当たった。

「まったく効いていない。

 『氷結槍ひょうけつそう』」

 今度は、氷の槍だ。弧を描いて人型のなにかの上に落ちる。

「だめだ。手応えがない」

「では参る」

 クレイグが飛び出す。


「『しゅ

 聖なる炎で騎士の剣を覆い給え

 目の前の悪を撃たん』」

 アランがクレイグの剣に祈りをこめる。光の炎が刃に宿る。


「『大地の王よ

 目覚めたまえ

 強靭なる体躯 我が前に示したまえ

 地表を揺るがす声を 轟かせたまえ 

 ベヒモス

 我が呼び声に答えよ

 汝、その強大な手足により

 荒ぶる魂を打ち倒したまえ』」


 ダニエルが召喚の詩を歌う。その間にクレイグは魔物と刃を合わせる。

 ガキン、と金属のぶつかる音が辺りに響く。クレイグが向かっているのは彼の背丈の倍もあるような甲冑の巨人だった。持っている剣もものすごく大きい。クレイグはその剣に弾かれて、一度後ろに飛び退く。

 巨人の甲冑はいたるところが錆びていて、動くたびにギシギシと音が鳴る。それがまたとても不気味だ。


「我を呼ぶのはお前か」

 ダニエルの召喚によって地の上位精霊のベヒモスがやって来た。わたしは出会ったことがないけれど、レヴィヤタンと同じくらい強いって言ってたから、きっとものすごい力を持っているんだ。


「このような汚れた大地に我を呼ぶな。今も血のうめき声が我が体に染み付いてくる」

「どういうことだ、ベヒモスよ。大地の王であるならば、この広い土地で見事、敵を玉砕せよ」

「血塗られた大地など不快ぞ。我は去る」

 ベヒモスは姿を表すこともなくその気配を消してしまった。

 どういうこと? ダニエルの召喚が失敗したの? じゃあ、わたしががんばらなくちゃ。


「『雨は手足を縛る操り糸になれ』」

 わたしは魔法で甲冑の巨人の手足を拘束する。雨が降っているからできる魔法だ。甲冑の巨人の動きが鈍くなる!


 ガキン、とまた刃の合わさる音がする。

 甲冑の巨人は手足が不自由になって動きにくくなっている。クレイグが見事な太刀捌きで剣を叩き込む!


 その時、巨人が咆哮をあげる。

「ウオオオオオオオオオオオ!」

 その叫び声で甲冑が、ばん、と膨れ、わたしの糸がばちんと音を立てて切られてしまう。クレイグもその声にのけぞり、後ろに一歩後退する。


「ダニエル! ベヒモスはまだか!」

「だめだ、帰ってしまった!」

「承知!」

 クレイグは、剣を握り直すとぬかるむ大地に足を取られることもなく、目にも止まらぬ速さで剣を打ち込んでゆく。でも巨人も負けずに打ち返してくる。じりじりと巨人が前に出てきて、だんだんクレイグが押されるようになる。


「アラン! 剣にかけている祈りを解け! こいつはまったく魔法を受け付けない!」

「そういうことか!」

 バイロンは叫ぶ。

「『天衣無縫てんいむほう』」

 クレイグの体全体が光の絹で覆われる。

「対策を考える間、持ちこたえてくれクレイグ! 相手に魔法は効かないが、守りの魔法は有効なはずだ」

 魔法が効かないなんて大変だ! それにベヒモスは帰っちゃったし、どうしたらいいの。


「『主よ

 光の炎を解き放ちたまえ』」

 クレイグの剣の光がおさまって、いつも通りの形になった。


 バイロンがクレイグに叫ぶ。

「こいつはただの巨人じゃない! ベルセルクだ!」

 続けてバイロンはアランの方を向いて言う。

「ベルセルクは呪文無効化の力を持っている。こいつは厄介だ。アラン、僧侶の中の攻撃魔法を繰り出してみてくれ」


「『主よ

 天のいかづちを 我が敵に撃ち落としたまえ』」

 稲妻がベルセルクの体を撃つ! でも敵は気にする素振りもなくクレイグに剣を打ち続けている。


「バイロン、だめです。私の信仰心が足りないのでしょう。敵には届きません」

「アランのせいじゃなくてベルセルクの力だろう。あとは召喚魔法に頼るしかないんだが、ダニエル、何か呼べないのか」

「魔法で攻撃するタイプの獣を呼んでもおそらく無効化されるだけだろう。物理攻撃が可能で強力な獣はフェンリルだ。もう躊躇している場合じゃないか。フェンリルを呼ぶ」

「頼む。だけどフェンリルと戦う羽目にならないようにしてくれよ。だいたいなんでベヒモスはやって来ないんだ」

「この大地が血塗られているからだと言っていた」

 なるほど、とバイロンが答え、自分の親指を噛む。そして、そうか、とつぶやいて続ける。

「そういうことか。ここは古戦場こせんじょうということだ。だったら

骨肉傀儡こつにくかいらい』」

 バイロンが新たな魔法をかける。するとベルセルクの足元から骨の手や腐った手、甲胄の籠手こてが突き出して、その足をつかむ。

「召喚魔法に近いことをしてみた。ゾンビやスケルトンの手だけが生えてくる。物理的にベルセルクの足をつかむだろう。ここが古戦場ならその素材に困ることはないだろうさ。とはいえ、これもわずかな時間稼ぎにしかならない」

 ベルセルクの足が止まる。しかしすぐにゾンビたちの手は薙ぎ払われる。


「そうか。たくさんの死体の眠っている古戦場。それなら、呼べるかもしれない。試してみる。

戦乙女いくさおとめ

 清く 凄まじいその姿

 今 我の前にあらわしたまえ

 汝 武功なすものを天へと連れ去る

 その槍の一撃にて

 我らに仇なすものを 葬り去りたまえ

 天を駆ける その姿 麗しきなり

 我の前に とどまり 戦え』」 


 あー! ダニエルまた乙女を呼んだ! なんだよ乙女って、そんなに女の子ばっかり呼ばなくたっていいじゃんか!

 でも戦乙女って言ってるな。それはなんだか物騒な感じがする。


 その時、天から一本の光の矢が降ってくる。アランの祈りの時のギザギザの稲妻ではなくて、放たれた矢のようにまっすぐ大地に突き刺さる。

 光が辺りを照らすと、その中央に白い馬に乗ったひとりの人の姿があらわれる。

「わらわを呼んだのはお前か」

 あ、この人、知ってる。鎖帷子くさりかたびらを着込んで槍を片手に持っている女性。金髪に輝く青い瞳。そうだ、夢で見たあの人だ。

「呼びかけに応えていただき感謝する。よくぞ来てくれた、ヴァルキューレ」

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