第14話

 聖下に後を託して、皇宮までエメリヤとともに馬車で帰る。あの一幕を引きずりそうで心配していたが、エメリヤは二人きりでもすっかり検事正の顔に戻っていた。

「あの二人に掛けられた魔術を解くことができれば、完璧な証拠になるんだがな」

「魔法であれば神力で解けるのですが、魔術はそうはいきませんからね」

 魔鉱晶や人の編み出した魔法は神力に弱いが、自然由来のものを利用する魔術は神力と拮抗する。掛けられた魔術の仕組みが分からない限り、解くことができないのだ。それでも、と魔鉱晶の聴取記録を見終えて言葉を継いだ私に、エメリヤは向かいで視線を上げた。

「裁判の証言でも少し気になったのですが、聴取にも同じ違和感があります」

 思い浮かんだのは、あの時の証言だ。一見してはどこも変化がなく口調にもおかしなところはなかった。ただ一点、語っている言葉が気になった。

「裁判で、御者は『私の全ては、聖女様のためにあります』と言いました。この襲撃犯の聴取にも、同じ台詞を口にした箇所があります。あなた達はこの違和感に気づかなかったから、調書にはそのまま写し取らなかったのでしょう。でも、神の元でこのような言葉はありえません。神を差し置き聖女に己を捧ぐなど、あってはならないからです」

 役目を終えた魔鉱晶をエメリヤへ返し、一息ついて眉間を揉む。

「三人は『それぞれ』狂信的に私を崇拝していたと弁護側は主張していましたが、そのとおり、調書にも三人の間に接点はありませんでした。首謀者は三人が結託して私を陥れたのだと主張されないよう、わざと接点のない三人を選んだのでしょう。それなら、このようなありえない台詞の一字一句も揃うわけはないのです」

 揃うはずのないものが揃うには、理由があるはずだ。エメリヤは頷き、手元の調書をぱらぱらとめくって確かめる。

「弁護側は『聖女が三人を洗脳してその言葉を授けた』とでも理由づけるだろうな」

「ええ、裁判ではそう主張するでしょう。でも真実は、魔術でその言葉を刷り込まれているからです。魔術を解く鍵になる可能性はあります。でも、ここまでです」

 馬車に合わせて体を揺らしつつ、窓の外を眺める。今の時代で馬車に乗るのは教会関係者だけ、外は当たり前のように魔鉱晶車が行き交っている。古代人の魂を燃やしながら走っていると考えると居心地が悪いが、それが神の裁きとも言える。古代人は、何をしたのだろう。なぜこれほどまで神の怒りを浴びたのか。

「一般的な魔術を解くことができるのは、これまで使われ続けた実績やそれに関する書物があって、掛けた方法が分かっているからです。掛けた方法さえ分かれば、魔術は脅威にはなりません。脅威となるのは、魔女は独自の方法で自分だけの魔術を編み出すからです。今回の魔術は、材料を見ても普遍的なものとはとても思えません。掛けた人にしか分からない魔術や呪いを、他人が解くのはほぼ不可能です」

 だからこそ、これほど探しても兄の呪いを解く方法が分からないのだ。ただ、まだ一縷の望みはある。

「兄に呪いを掛けた魔女は既に死んでその方法を知ることは叶いませんが、今回の魔術を掛けた魔女はまだ生きているはず」

 もちろんそれを認めれば犯罪者となるのだから、素直に教えるとは思わない。もし王の庇護下にある魔女なら、渡されない可能性もある。ツァナフとアリューツカの間には犯罪人引き渡し条約が結ばれているものの、戦争はそれを破棄する理由になりうるものだ。

「東方に向かわねばなりません」

 アリューツカなら、聖女の威厳が通用する。アリューツカの使節団と共に向かうのが最適だが、私の一存ではどうにもならない。決めるのは、陛下だ。

「俺は、予定どおりマルクと実験の警護に加わる。被告人が犯人なら、見過ごすわけはないからな」

「うまく行けば良いのですが」

 裁判であの話をしたのには、ちゃんと理由がある。確かに車軸には僅かに痕跡が残されているが、マルクの話では分離はかなり難しい状態らしい。それを踏まえて、エメリヤが一計を案じたのだ。

 弁護士が叔父の無罪を本当に信じているかどうかは別として、犯人である叔父があの話に焦ったのは間違いない。分離が成功する前に何かしら仕掛けてくる可能性は高いから、そこを押さえて証拠にしよう、というわけだ。ただ、当然だが、何を仕掛けてくるかまでは分からない。

「十分に気をつけてください。叔父は、おそらく命を惜しんではいません」

 叔父の目的は国の滅亡であって、無罪ではない。国とともに死ぬ覚悟くらいしているだろう。それほどまでに……まあ、それほどのことだ。

「陛下に、お会いしなければ」

 陛下はどこまで知っているのか。先帝はなぜ、「我が子」をカリュニシンへ預けたのだろう。そして叔父はそれを知って、最初に何を思ったのか。

 叔父の歩んだ孤独に、視線が落ちる。

――なぜ私が救わねばならんのだ、私を嘲笑った奴らを。地獄へ堕ちろと呪うだけで常に手一杯だ。

 あの言葉は、本心からのものだった。だから、騙されてしまったのだ。

 私は両親と叔母を殺した叔父に赦しを願えるほど立派な人間ではないし、許すこともできない。それでも神が相応の罰とともに救いを与えんことを、胸のどこかでは願っていた。


 私が被疑者の立場であることを踏まえて、陛下との面会は秘密裏に行うことになった。とはいえ、アリューツカの使者出立の報告を受けて陛下の職務は激増している。どうにか面会をねじ込めたのは、夜遅くになってからだった。

「再びこのような場所へお招きすることになり、申し訳ございません」

「構わぬ。重要な話だと分かっていたが時間が取れず、すまなかった」

 前回と同じ留置室で、被っていたマントのフードを下ろしながら陛下が詫びを口にする。本当はそんな風に簡単に詫びてはならない方だが、今はそれを指摘する余裕がない。

「早速ですが、本日カリュニシンの家に戻ってまいりました。祖母の日記を確かめるためです」

 皇帝が腰を下ろすには役不足の固いソファに腰を下ろし、陛下は物憂げな視線をもたげて私を映す。落ち窪んだ目元には、疲れが見て取れた。あとで祈った方がいいだろう。

「叔父がなぜツァナフを滅ぼそうとしているのか、その動機が分かるのではと」

「それで、分かったのか」

 どことなく諦めたようにも見える落ち着いた表情に、細く息を吐く。

「質問を、お許しください。陛下は、ご存じだったのではないのですか。叔父が、血を分けた弟だと」

 尋ねた私に、陛下は体を崩してソファに背を預け、俯き気味の頭を更に小さく倒した。肩からさらりと髪が滑り落ちて、影を作る。

「ああ。病床の先帝から、死の間際に聞かされた。身分の低い教皇派貴族の女を愛して、一子をもうけたそうだ。生まれた子供は女に預けるつもりだったが、出産中に死んでそうもいかなくなった。娘なら手元に呼んで育てたが、息子だったから手放したと言った」

 訥々と語られる内情は、予想していたものと少し違っていた。教皇派との子だから手放したわけではなかったのか。

「その息子だけは、帝位争いに巻き込まれぬ場所で育てたかったらしい。あれは、先帝が最も愛した女の子供だ。カリュニシンの色を持たずとも、最も信頼のおけるカリュニシン以外には預けられなかったのだろう」

 陛下は自嘲に似た笑みを浮かべて、溜め息をつく。陛下の心を思えば、下手な慰めは口にできない。陛下は、「そこ」に座れと言われて育てられたのだ。

「先帝の最期の言葉は『何も知らせるな』と、その一言だけだった。先帝……父はよもや、最愛の我が子に己が心血を注いで作り上げたものを壊されるとは思いもしなかっただろうな」

 陛下は苦笑の顔をさすり、零れ落ちた髪を掻き上げる。一国の王らしからぬ姿だろうが、私は何度となく目にしていた。陛下の体調を知る者は私以外には数名のみで、皇后は知らない。

「愛されていたのですね」

「ああ。私やネストルより、よほどな。しかし、それを告げることは許されぬ」

 陛下は体を起こし、切り替えるように長い息を吐く。膝の上で、細長い指を組んだ。

「首を刎ねようと思えば理由などなくともすぐにできるが、お前の裁判に影響が出よう。全てはあれの計算のうちだ」

 確かに、そのとおりだ。叔父は陛下や私が明かせないことを知っている。カリュニシンと皇族を潰して最終的にツァナフを滅亡させるつもりだろう。先帝の思いを伝えたところで、考えを変えるとは思えない。

「陛下。私をアリューツカへおやりください。今回の事件を解決に導くには、どうしても掛けられた魔術を明らかにせねばなりません。それに、アリューツカであれば聖女の威厳が通じます。国王との平和交渉の任もお与えください」

「確かに、我が国で魔術に通暁しているのはオリナと司法長官くらいだ。聖女を使者に立てれば、向こうの自尊心も保たれる。だが、それだけではないだろう」

 再び私を捉えた視線は、私の本心を既に見抜いていた。もちろん、ごまかせるとは思っていなかったことだ。

「申し訳ございません、陛下。私はどうしても、兄の呪いを解かねばならないのです」

「ドルスがそれを望んだのか?」

 陛下は私を見据えたまま、静かに尋ねる。嘘はつけないが答えることもできなくて、子供のように俯いた。

――俺はお前に幸せになって欲しい。俺の願いはそれだけだ。

 兄は、東方行きには反対するだろう。それでも、どうしても。

「そなたの望みであるのなら、手放せるのはそなたしかおらぬ。アリューツカへの道中で、よく考えてみるといい」

「お許しいただき、ありがとうございます。必ず戦乱を止めて参ります。この地で、再び血は流させません」

 平和を誓う私に、陛下は再び姿勢を崩して溜め息をつく。少しの間、沈黙が流れた。ドアの向こうも静まり返っているが、皇宮では今もまだ喧々諤々の議論が続いているはずだ。ツァナフにも、戦争を望む声はある。

「セルゲイが、アリューツカの使者来訪の噂を聞いて『切り捨てろ』と言ってきた。アリューツカのような弱小国に遜っては、ツァナフの面目が立たぬと」

「十二歳は、まだ子供です」

 内乱の爪痕はさんざん見て育ったはずだが、爪痕が本物を凌ぐことはない。鎮圧で命を落とした私の伯父を崇拝しているのも、まだ幼くて現実を知らないからだろう。経験を伴わない賢さは、道を誤る理由になる。

「そうだな。だが『戦争好き』な子供だ。このままでは、行く先が知れている。お前が聖女でなければ、セルゲイの妻にするのだが」

 突然降ってきた話に驚いて、不躾に陛下を見つめる。一瞬脳裏に浮かんだ顔を、慌てて掻き消した。

「なんだ、先約があるのか」

「そ、のようなことは! ただ、その……私では、あまりに力不足でございますので!」

 慌てて言い返した私に、陛下は短く刻むように笑う。久しぶりに聞く笑い声だった。

「構わぬ、戯言だから気にするな」

 扇ぐように緩く手を振る陛下に、赤くはならない頬を押さえて胸が落ち着くのを待つ。断ち切らなければ、ならないのに。

「私にできることなら、判でもなんでも押してやるから言いに来るが良い。お前の幸せはマキシムの願いだ。我が盟友が託した願いを、反故にさせるなよ」

 陛下は目を細め、懐かしいものを眺めるように私を見る。父によく似た私に、その姿を重ねているのだろう。

 父もおそらくは、叔父が本当の弟ではないと分かっていたはずだ。いつかは自分に殺意が向けられることを見越して、陛下に頼んでいたのかもしれない。当たり前のように結婚して子供を産んで生きていく未来を想像して。

 熱も発さぬ体になった今の私を見て、父は何を思うのだろう。

「承知いたしました。その際はよろしくお願い申し上げます」

「ああ。できれば、少し急いでくれよ」

 満足そうに答えた陛下に小さく苦笑し、病と疲れを癒す祈りに入った。

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