第12話
家門の筆頭でもある我が家は壮麗で豪華なつくりをしているが、中は火が消えたように暗く静かだった。それはそうだろう、代理とはいえ当主である叔父が事件の被告人となり、名誉ある聖女の座に就いていた私までが被疑者となったのだ。
「カリュニシン家の召使は高慢で、街で歩いていても一目で見分けられるって話でしたけどね」
「善いことではありませんが、私が口を出せることではありませんでした。これで少しは遜る知恵がついたでしょう」
遠慮のない感想を述べるイワンを連れて、これも本当に久しぶりの書庫へ足を踏み入れる。侍女達が魔鉱晶のランプを灯して回れば、薄暗かった部屋は明るく見渡せるようになった。見る限り、掃除は行き届いているらしい。机に降り積もる埃はなく、全ての棚に本が整然と並んでいた。
「掃除は行き届いているようね」
「もちろんでございます。決して仕事をおろそかにするようなことはございません」
「そう。では、お祖母様の日記を全て持ってきなさい。急いで」
「承知いたしました。直ちに」
私の命に、侍女達はいそいそと書庫の奥へと向かう。
「そういえば、皇帝派筆頭カリュニシン家直系のご令嬢でしたね」
「ええ。だからどこの令嬢よりも気位が高いのです」
肩を竦めて茶化すイワンに笑って返し、重厚な長机の席に促す。
「それで、何を調べればいいんですか」
「叔父に関する記述を調べてください。私は、叔父の思考を歪めた何か決定的な出来事があったと考えています。そこが分かれば、叔父の本当の目的と計画を止める方法を知ることができるはずです」
今は完全に後手に回っている状態だ。惨事が起きる前に、なんとしても止めなければならない。
お嬢様、と聞こえた声に視線をやって、ぎょっとする。侍女達はみな積み上げた日記を持っていた。……そんなに、あるとは。
「それで、全部?」
「いえ、あと三十冊ほどございます」
長机に置かれていく分厚い日記は、ざっと見ても三十冊はある。約六十冊か。叔父が生まれたあとからの記録に絞っても、二人で調べるには時間が掛かりすぎる。
「これは、応援が必要ですね。何人か回してもらいましょう」
苦笑するイワンに頷き、一冊を手に取る。まずは、叔父が生まれた前のものと後のものを分けなくては。よし、と小さく気合を入れて、表紙をめくった。
聖女様、と呼ぶ声が上がったのは、調べ始めて三時間は経った頃だった。顔を上げると、向かいに座っていた検事が調べていた日記をこちらへ向けて差し出す。
「こちらを見てください。被告人が見た目を理由に大学でも友人達と打ち解けていないことを嘆く内容です。最後に消された痕があったので、復元魔法を掛けたのですが」
引き寄せて確かめたそこには、『私達では、やはり無理だったのかもしれない』とあった。「私達では無理」なら、誰なら大丈夫だったのか。即座に浮かんだのは「養子」の可能性だ。
「叔父が生まれてすぐのものと、生まれるすぐ前のものを探してください。生まれるすぐ前のものは、書棚にあるはずです」
私の要求に、検事達が腰を上げて探し始める。
もし叔父の鳶色の髪と赤銅色の瞳が、祖母譲りのものではないとしたら。祖父母との血の繋がりがないとしたら……本当の両親は。
ありました、と駆け寄ってくる検事達から日記を受け取り、一息つく。あとは調べるだけ、だが。
「協力、感謝する。ここからは、聖女様と私だけで確認する。各自帰着して、業務に戻ってくれ」
私に代わって伝えたイワンに、検事達がみな腰を上げた。
「お力を貸してくださり、本当に助かりました。少しですが祈りますので、気にならぬ方は受けてお帰りください」
念のために呼び掛けてみたが、誰も立ち去る様子はない。頷いて胸のペンダントを握り締め、この場にいる皆の癒しを祈る。
いつか、エメリヤのためにも祈れたらいい。心に刻み込まれた深い傷を少しでも癒すことができれば、この願いが届く日がくればいい。
聖女らしい思考で祈りを終え、晴れやかな表情になった検事達を見送る。
「祈りって、本当に楽になるんですね。あ、いや、信じてなかったわけじゃないんですけど」
「構いませんよ。魔力のように作用が目に見えるわけでも、数値で測定できるわけでもありませんから。気休めにしかならないと仰る方もいらっしゃいますが、それでいいと私は思っています。寧ろ、それくらい気負わず受けてもらえればいいんですが」
慌てて言い繕ったイワンに苦笑し、消せない願いを口にする。
「検事正ですか」
「はい。いつか祈りを受け入れて、少しでもお心を癒していただけたらいいんですが」
「祈りより、もっと癒されるものがありそうですけどねえ」
予想外の答えに、思わず隣を見上げてしまう。もっと癒されるもの、か。
「さて、仕事に戻りましょう。私は生まれる前のものを確かめるので、イワン検事は生まれてすぐのものをお願いします」
一時の休憩を終えて向き直り、再び並んで席に着く。
「聖女様、なんとなくの見当はついてますよね」
「ええ。ですので、その証拠となるものを探してください」
予想が当たっても外れても問題が生まれるのは間違いないが、それは結果が出てからの話だ。叔父は、「誰」の子供なのか。
目を閉じ、大きく深呼吸をして日記を開いた。
中には、整然と綴られる日と乱れた文字で綴られる日が存在していた。後者はどれも、喪った伯父に思いを馳せるものだった。叔父が生まれたのは伯父が命を落とした翌年だから、その痛みもまだ生々しい。この頃祖母は喪に服すと屋敷にこもっていて、だから内容もほとんどが屋敷内での出来事だ。それは問題ないのだが。
「誰かの子供を預かるような記述はありません。ただ、妊娠中のはずなのに、それに関する記述も見当たらないのです。部屋にこもっていたのなら、話題も少ないはずなのに。関連するかもと思える内容は、医者の来訪くらいですね」
「個人的な日記なのに、妊娠中のあれこれを書かないのは不自然ですね。体の変化や心境くらい、書き留めておきそうなものなのに」
イワンは頷いて、手元の日記のページをめくる。
「こちらはもう生まれたあとのものですが、やっぱり不自然と言えば不自然ですね。子供のことについては書かれているんですが、自身のことはまるでないんです。産んだあとなら、『痛かった』とか書くもんじゃないんですか? 私の母親は、その日の日記は痛みへの文句で埋め尽くされたと言ってましたよ」
出産は常に、命がけだ。何もしなくても母子ともに無事の可能性は八割ほど、残り二割はどちらかに問題が起きる。そしてその二割の内、神力で救えるものは半分だ。つまり十人に一人は、どちらかの命を喪ってしまう。
神がなぜ、それをお望みになるのかは分からない。喪わせることで、人間の傲慢さを戒めようとしていらっしゃるのだろうか。私達は、せっかく与えられた命を奪い合うようなことばかりしている。
聖女様、と呼ぶ声に、はっとして隣に視線をやる。イワンは日記を私の前に滑らせて、とん、と指で叩いた。
「亡くなった息子さんのことが書いてあるんですが、ここを見てください。『あの子では、代わりになりようもない。私の息子を返してほしい。』と」
代わりになりようもない、か。乱れた字の一節に、小さく胸が痛む。
祖母と叔父の仲は決して悪かったわけではないが、どことなくよそよそしかった。祖母が口に出さずとも、叔父には伝わっていたのではないだろうか。
「単純に考えると、長男が死亡して嘆いているところに、奥様に似た髪と瞳の色を理由として養子の打診が来た。ただし養子ではなく実子であるように育て、誰にも明かしてはならないと言われた、という感じですかね。カリュニシン先代が」
「そうですね。でもお祖父様をこれほどまでに信頼して秘密を託す方は、お一人しか考えられません。お祖母様が、『息子を返してほしい』と訴える相手も」
これに匹敵するほどの秘密は、「クーデターの画策」くらいだろう。あのクーデターと内乱は、この国から多くの命を奪い去った。
「叔父は、どこかで知ったのでしょうね。自身がカリュニシンの色でない理由が、正しく『カリュニシンではなかったから』だと」
「でも、これが動機なら間違いなく皇宮が揺れますね」
イワンの指摘に、視線を落とす。もちろん、それが叔父のねらいだ。裁判で動機として明かされれば、先帝のことであっても陛下に影響が及ぶ。今はまだ、だめだ。
「……何も見つからなかったことに、してくださいませんか。私は嘘はつけませんが、あなたなら大丈夫なはずです」
日記を閉じながら見上げた隣で、イワンははっきりと驚いた表情を浮かべる。
「叔父の目的がツァナフを再び戦乱に巻き込むことなら、目論見どおりに事を進めてしまいます。皇帝派の地盤を揺らしてはなりません」
「でも、それじゃ聖女様が」
慌てたように返すイワンに、苦笑した。イワンも陛下のように、飲んでくれればいいが。
「私は、聖女でありカリュニシンの娘であり、この国の臣民です。覚悟はできています」
「それ、検事正にも言えますか。聖女様を助けることしか考えてないのに」
予想外の登場に、思わず息が浅くなる。
――諦めるな、オリナ。大丈夫だ。
いやな音を立てた胸に、何も言えず視線を落とした。
「申し訳ありません、失言でした」
「いえ、良いのです。あの方の真心を裏切ろうとしているのは、確かですから。でも皇帝派の足元が崩れて戦乱となれば、再び多くの命が喪われてしまいます。私は、この命で内乱を収めたのです。この身がこの地にある限り、もう二度と戦乱は起こさせません」
失う命はもう持っていないが、まだ神は私を生かしている。それは、この地で平和の楔となることを望まれているからだろう。「本来の道」に戻る時がきたのだ。私は、聖女なのだから。
「平和が、私の望みです」
嘘ではない願いを口にして、長い息を吐く。胸のペンダントを握り締めて、神に赦しを願った。
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