第11話

「検事正、ご報告があります!」

 よく響く声に、エメリヤはうんざりとした様子で項垂れる。子供のようで、小さく笑った。

「なんだ」

「いえ、ここでは」

 私を一瞥する若い検事に、エメリヤは諦めた様子で腰を上げる。あまり見ない顔だから、私をただの被疑者だと思っている者だろう。今回の扱いは、全員に周知されているわけではない。

「大したことない報告だったら、凍らすぞ」

 腰を上げて怯えている検事の元へ向かうと、揃ってドアの向こうに消えた。

 ふう、と溜め息をついて、顔をさすり上げる。

 聖女になったあの日から、ただ兄の呪いを解くためだけに生きてきた。もちろん苦しむ多くの人の力にはなりたかったが、自分自身の願いは一つも浮かばなかった。兄さえ無事であればよく、また兄の呪いさえ解ければそれで良かったからだろう。ずっとあのまま、生きていくものだと思っていた。

 なぜ神は、私に恋を与えたのだろう。

 人々の普遍的な苦しみを心から理解させるために、お惹き合わせになったのだろうか。それとも私に、神を裏切り続けた家門への罰をお見せになりたいのか。

――俺が石打ちで死んだところで、誰もがふさわしい死だと納得するだろう。

 そのようなことは絶対にない。背負わされた親の罪を、子が受け入れる必要はないのだ。エメリヤは、ただ傷つけられて育っただけの犠牲者だ。あんな風に人生を捨てる必要はない。私に、祈る以外の何かができればいいのに。

 また溜め息をついて、冷たい手のひらを眺める。温かい腕で抱き締めることすらできない私に、何ができるのか。いや、してはならないのか。

 脳裏にぼんやりと、愛しげに父を見つめてその頬に触れる母の姿が蘇る。幼い頃は当たり前のように、大人になれば自分もそうやって誰かを愛し続けるものだと信じていた。

 全ては、儚い夢だ。

 胸のペンダントを握り締めた時、ドアが開く。イワンやブラトとともに戻ってきたエメリヤは、再びさっきの席に着いた。神妙な表情に、報せの質は窺い知れる。唾を飲み、報告を待った。

「予想以上に、状況が悪い可能性がある」

 エメリヤは、溜め息交じりに切り出す。固い声からも、不穏は感じ取れた。

「皇后の周辺を改めて洗い直した結果、実行犯の可能性が高い人物として、セメラヴィチ家のある婦人が浮上した」

「私の、祖母方の家門ですね。皇后の改名に当たり姓が選ばれた時から、関係が続いていたのでしょう」

 セメラヴィチは昔から文官の家で、内乱では後方支援の役割を果たしていたらしい。内閣府では総務省に多く勤める、皇帝派の重鎮として知られた家門だ。まあ家門内が一枚岩ではないのは今更で、驚くようなことではない。

「聴取のために部下をやったら、本人はアリューツカの友人に会いに行くと二週間ほど前に旅立ったそうだ」

 アリューツカか。

 アリューツカ王国は東方に位置する国の一つで、ウルミナの父が王の座に就いている。広大な土地を持っているが、それほど豊かな国ではない。土地の半分以上が数千年に渡って瘴気に覆われ、人間どころか動植物さえ生きることができない「死の大地」と化しているからだ。

 魔術が盛んな土地ながらミシェルチ教の信仰もあり王家が教皇派に属するのは、かつてツァナフの属国だった時代があったためだ。ただ、独立後に地域性を取り込んでいったアリューツカのミシェルチ教はツァナフのそれと同じではないため、本教会では異端とする意見も少なからず存在している。まあ異端であるがゆえに、ウルミナの「妾」も許されたのだろう。ツァナフ内の教皇派の家門に妾を差し出すよう要求していたら、内乱の炎はますます燃え盛っていたに違いない。

 ウルミナは、我が国に平和をもたらす使者として迎え入れられたのだ。それが、このような形で命を終えることになるとは。

 ユーリ皇子が毒殺された時には兵を挙げなかった王も、今回はどうか。孫と娘を殺され、それに皇后が関わっていると知れば。

「いやな予感がしますね。叔父は、その婦人についてはなんと?」

「挨拶程度の面識しかないそうだ。信用する理由はないが、ウルミナ様が身の危険を感じて婦人に渡した可能性もある。被告人と婦人との接点は今探らせているところだ」

 どちら経由にしても、問題は毒殺の証拠がアリューツカ王の手に渡ってしまう可能性だ。魔鉱晶車なら、ここからアリューツカまでは十日ほどで着くだろう。

「二週間前なら、もうアリューツカには到着していますね。王の手に渡っていれば、何かしら動きがありそうですが」

「今のところ、軍には大きな動きを伝える連絡は来ていないそうだ」

 兵の動きに変化があればすぐに伝達が届くはずだから、今はまだ手に入っていないのかもしれない。或いは、ツァナフへの宣戦布告を準備をしているところか。使者が王宮を立てば、もう戦争は免れない。

「アリューツカの兵力はどれほどですか」

「約五十万といったところだろう。兵力はツァナフの約半分だが、かつては魔術による攻撃に酷く苦しめられたと聞いている。毒の霧や混乱による同士討ちで、陣地を丸ごと潰されたこともあったらしい。兵士が少ないからといって油断はできない」

 魔法と違い、魔術を避けるのは難しい。毒でも、毒の種類に合った解毒薬を使わなければ正しく作用しないのだ。武器や魔法の戦いならばツァナフが圧倒的に有利だろうが、エメリヤの言葉どおり油断はできない。叔父は、どこまで計画していたのか。

「叔父の本当の目的は、なんなのでしょうか」

 ぼそりとこぼした私に、視線が一斉に集まる。

「叔父がウルミナ様を本当に愛していたのであれば、まず殺すことはありません。しかし、実際には殺しています。今の状況から考えるに、『ウルミナ様の理不尽な死に怒ったアリューツカ王が兵を挙げる』ことを望んでいるように思えますね。でも、私と兄を排除して自身とキリムを正当なカリュニシンにする程度の目的のために、ここまでするでしょうか」

「ツァナフもろとも消す意気込みだよな」

 向かいで同意したエメリヤに、頷く。あまりに大仰で求める成果が釣り合わないように思える計画も、「ツァナフの滅亡」が真の望みなら納得できるのだ。でも、疑問がないわけではない。

「私もそう感じるのですが……叔父はなぜツァナフを危機に陥れようとしているのでしょう。カリュニシンの色を持たないことを揶揄されて、そこまでの行動を?」

「まあ、恨みの深さは本人にしか分からないからな。国の重鎮には被告人の同期も多い。国が潰れればまとめて殺せる」

「そう、なのでしょうか。私には、この計画の周到さに比べて求めるものがあまりに大雑把であるように感じられるのです」

 本当にカリュニシンの色が原因なら、国の全てを呪うような何か決定的な出来事があったのではないだろうか。でもそれを調べるのに最適な場所は、ここではない。

「あの、私は生家へ向かうことは可能でしょうか。調べたいものがあるのです」

「ああ。こちらの人間を連れて行くのなら構わない。イワンを連れていけ」

 あっさりと許可したエメリヤに頷き、イワンとともに腰を上げる。

「時間がありませんから、急ぎましょう。それと」

 机に椅子をしまいながら、エメリヤを窺う。応えた視線に苦笑で返した。言っておかなければ、止められないだろう。

「遺体の検査は、決して勝手に行ってはなりません。聖下に『服毒自殺は操られてのものだった可能性がある』と伝えてください。聖下なら、お許しになるはずです」

「俺に、神に頭を下げろと言うのか」

 眉根を寄せて返すエメリヤに、頭を緩く横に振る。そうではない。

「聖下は神ではありません。私と同じく、図らずも神の力を注がれてその座に就かれた方です。私より、多くを喪われて」

 聖下は元々、教会職員として聖歌隊の子供達を教える立場だった。

 内乱中には聖歌隊を連れて、兵士達の慰問を行っていたらしい。そして訪れた慰問地で、皇帝派の奇襲を受けた。聖下がたまたま離れた宿舎は火魔法の業火を浴び、三十数人の子供達を燃やし尽くした。聖下にとっては皆、我が子に等しい存在だった。

 聖下は怒りに我を忘れて剣を取り兵に挑んだが、為す統べなく切り捨てられた。目覚めたのは自分の葬儀の最中で、その復活を以って聖下の座に就くことになったらしい。

「決して、絶望を知らぬ方ではありません。それを忘れられる方でも。祈りは不要だと言えば、祈られません」

 だからエメリヤの傷を救うことも、抉ることもしない。エメリヤは視線を落とし、小さく頷いた。

「では、まいりましょう。急がなくては」

 フードを被りながら、イワンとともに戸口へ向かう。すべきことは山のようにあるが、一つ一つ消化していくしかない。まだ間に合うことを祈りながら、久しぶりの我が家へ向かった。

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