第9話
再び検察部に戻って私がしたことは、タイプライターを入れ替えた犯人と魔法襲撃犯の調書をチェックすることだった。
タイプライターを入れ替えた犯人は、服毒自殺の前に検事達に向かって私のために行ったことだと言い残している。魔法襲撃犯の調書には、『九月上旬に聖女に呼びされて計画を打ち明けられる。皇帝派に神罰を下すと言われたので、聖女のために実行犯となることを了承した』と書かれていた。そして私の自作自演を助けるべく、魔鉱晶を使って襲撃犯となったのだと。
「襲撃犯に会えますか」
「会わせることはできるが……もう、あまり話はできないかもな」
差し出した調書を受け取りながら、向かいのエメリヤが思い出すように言う。まさか、拷問したのか。
「どういうことですか」
「精神に異常を来たし始めているようだ。医者と神学者はともに、神力が消えたためだろうと言っている。もっとも医者は『神力を越える魔力を魔鉱晶から得たため』で、神学者は『神罰』だと言っているがな」
拷問でないのは良かったが、問題がないわけではない。襲撃犯は、神力を持つ者にとって最大の禁忌を犯したのだ。ただ「禁忌を犯すと神力が消える」のが定説ではあるのに、実際に禁忌を犯した者がいたと聞いたことはない。どんな症状が出るのかを知ったのは、初めてだった。
「あちら側は、『聖女様が魔鉱晶を使用して殺害した』と主張していますよね。でも神学者の言うようにあれが神罰なら聖女様も精神面に問題が発生しているはずですが、なっていらっしゃいません。それは一つの反論材料となるとは思いますが……医者の説が正しいことはあるのでしょうか」
エメリヤの隣に座るブラトは、難しい顔で顎をさする。
確かに神学者の説を取るなら私は既に無実だが、これが初かもしれないほど過去に実例がないのだ。神学者の主張だけでは無罪の根拠として弱いだろう。それに、医者の見立ても納得できるものではある。
「神力は川の水のように絶えず神から注がれ続けているものですから、魔力のように保持することができません。それゆえ、数値に表せないのです。ただ、神のお力をどれだけ純粋に流せるか、導管としての質があるとは言われています。質は本人の神性を反映していて、優れているほどより多くの神力を流すことができるし、効果が高くなります。劣っていれば十分な神力が流せません」
「それに当てはめて考えれば、襲撃犯は質が劣っていて十分な神力を流せなかったために魔鉱晶の魔力に飲まれて神力が消えた、オリナは質が高いから魔鉱晶の魔力に神力が打ち勝った、ということか」
分かりやすいエメリヤのまとめ自体には、間違いはない。ただ。
「まあ、そう言えないこともないのですが」
そのとおりです、と言い切れない背景がこちらにはある。どうしても、消せない疑問が残るのだ。
「各地の小教会に勤める者達であればそのような可能性も考えられなくはないのですが、今回事件にかかわった者達は皆、本教会に勤めていた者達です。職員から御者に至るまで、聖下をお守りするにふさわしい者達が集められていたはずです」
「確かに、彼らの身元を調べてみましたが、貧富の差はあれど皆まっとうな家の育ちです」
調査の結果を追加したブラトに、エメリヤは腕組みをして冷めた視線を送る。
「家族がどれだけ素晴らしくても本人がクソなことは普通にあるだろ」
「本人もいたって真面目で信仰厚い人間だったそうで。家族だけでなく周囲もそう証言しています」
神性は、生まれついてのものが人の成長とともに育っていく。善き心の成長が、質の高さには欠かせないのだ。
「だから、『聖女様のために身を捧げた』が信用されてしまうわけか」
エメリヤの溜め息に頷いて、二つの事象の不自然さを胸に確かめる。
「質が高さが動機の信ぴょう性を増す一方で、神力を流せなくなった現状に不審を残す、と。噛み合わないのだから、どちらかに『何か』があるはずです。きっと、何かを見落としています。どちらかといえば、後者の方に」
本教会に採用され、長年一緒に暮らした家族や周囲の信頼も厚かった。質の高さには、疑う余地が少ないのだ。
「そうだな。再度、調書と魔鉱晶の記録を確認して不審な点を洗い直す」
「私は、やはり襲撃犯に面会します。もしかしたら、私の神力で少しくらいなら癒せるかもしれませんし」
禁忌を犯した者にどれくらい注げるものか分からないが、やってみる価値はある。ただそれが、神に仕える者として許されることなのかは分からない。
「大丈夫なのか」
「ええ。十分に気をつけます」
「そうか。何かあればブラトを投げつけて逃げろ」
エメリヤはあとをブラトに託し、腰を上げてあっさりと会議室を出て行った。
捜査に集中するためなのだから、仕方ない。分かっていても小さく痛む胸を宥めて、私も腰を上げた。
結果として、襲撃犯は私の神力を一切受け入れなかった。視点の定まらない目は落ちくぼんで、私のことすら認識できていないほどの状態になっていた。
神は私に、禁忌を犯した人間の末路を見せたかったのかもしれない。お前もこうなるつもりなのか、と言われた気がした。
「彼は、これからどうなるのですか」
「弁護側の言うとおりであれば聖女様の計画の実行犯として裁かれ入牢となりますし、聖女様を陥れるため法務長官の手先として実行犯となったのなら、そちらで裁かれて入牢となります」
「操られていた可能性はないのですか」
「他者を操る魔法はありませんし、魔術の痕跡も見つかっていません」
廊下を戻りながら頭の片隅にあった可能性を口にすると、隣を歩くブラトは頭を横に振る。でも、まだ「本当にない」とは言い切れない背景がある。
「叔父が、今回の方法のように魔法を組み合わせることで操作を行ったということは?」
「我々にとっては未知の領域なので、絶対にないとは言い切れませんが……そもそも精神に影響を及ぼす魔法は存在しません。攻撃に攻撃を重ねて精神面を崩壊させる、ということであれば可能ですが」
「やはり人間への作用と考えるのであれば、魔術ですね」
魔法の可能性をひとまず消して、魔術へと絞り込む。兄を狼に変化させるようなことまで可能なものだ。人を操るくらい簡単なことだろう。
「ですが、遺体も襲撃犯も御者も、魔術検査で反応がでませんでした」
「魔術検査とは?」
初めて聞く検査名だった。
「血液を採取し、魔術によく利用される植物など十二種と共に整理魔法を掛ける検査です。もちろん呪文の摘出は無理ですが、反応している物質が多いほど魔術を掛けられた可能性があると判断できます。整理魔法を利用した捜査方法の一つとして、数年前から運用しています」
あの方法がこうして実際に役に立っているのは、なんともいえない充実感がある。
――しかし今、君の気づきが多くの正義を支えているのも事実だ。
思い出された聖下の言葉を噛み締めて、長い息を吐いた。
「ちなみに、十二種のものとは?」
「うろ覚えで申し訳ありませんが、アニス、クラリセージ、ラベンダー、カレンデュラ……それから、マートル、フェンネル」
続いた薬草の名前に、思わず足を止める。
「待ってください。フェンネルにも無反応だったのですか?」
私の驚きをブラトは解せぬようだが、知らなければ当然だろう。教会内の常識と世間の常識は同じではない。
「フェンネルの種は甘みがあり、菓子や酒を摂取しない教会職員の間では口寂しさを埋めるためによく噛まれているのです。私も、たまにですが、噛みます。一人だけ反応しないのなら分かりますが、一人として反応しないのは奇妙です」
「分かりました。すぐ御者に確認を取りに行かせます」
ブラトは少し距離を取って歩く背後の検事達を呼び、確認に向かわせる。
「もし魔術だったとしたら、反応を消すような作用を併せ持っている『何か』を利用した可能性がありますね」
フェンネルだけでなく、その十二種に引っ掛からないようにする調合だ。魔術検査の内容を知っている人物が関わっているのは間違いないだろう。この手法を生み出した張本人とされてきた叔父なら、簡単に情報を得られたはずだ。でも。
「魔法は相反する属性をぶつければ弱りますので理解できますが、魔術でも可能なのですか」
「使用されている植物の作用を弱める薬草を調合すれば、魔術においても理論上は可能です。解毒剤もそうやって作られているのですから。ただ今回は、人の操作と魔術検査通過の両立を可能にさせる呪文を吸収できるほどの調合が必要です。薬の出来が悪ければ呪文も十分に働きませんから。簡単にできるものではないでしょう」
叔父から名前を知らされたところで、腕がなければ無理な話だ。頭に思い浮かぶ人物はいるが、存在しているかどうかも確かではない。
「魔術と言えば、東方ですが」
「可能性がないわけではありませんが、まずは本当に全員に魔術が掛かっていたのかをはっきりさせなければ。『フェンネルに無反応なのはおかしい』だけでは、言い逃れされます。東方の薬草を中心に、改めて十二種以外で可能性のあるものとの魔術検査をしていただけますか」
十二種以外のものが次々と検出されれば、十分な理由になるだろう。ただブラトは、すまなげな表情を浮かべた。
「申し訳ありません。それは、難しい状況です。タイプライターを入れ替えた犯人の遺体は、既に荒野に放たれておりますで」
ああ、そうか。
確かに、問題がなければ全ての遺体は速やかに「処理」されなければならない。遺体を長く置いておくのは、それだけで神への冒涜とされている。皇帝派の主権となってからも死に関する儀礼が守られているのは、皆もどこかで神を恐れているからだろう。
「血液は、もう残っていないのですか」
「事件が終わるまでは、証拠として提出を求められた時などのために残されています。ですが、何種類も実験できるほどではありません。できても一回だけでしょう」
一回か。あまりに少ない可能性に、溜め息をつく。しかし血液を複製魔法で増やすのは、遺体を増やすのと同様に禁忌とされている。捜査のために少しずつ枠を広げられたらいいが、今はまだ難しい。となると、可能性に賭けるしかない。
「一回だけでも、例えばそれが東方にしかないような薬草であるなら、証拠として採用される可能性は高くなりますね。三人が偶然そんな珍しい薬草を摂取しているとは考えにくいですから」
「では、東方へ向かわせますか」
ブラトがまた振り向きかけたが、いえ、と止める。まさかこんな風に役立つとは思っていなかった在庫が、教会にある。兄の呪いを解く手がかりを求めて、方々から集めたものだ。
「全てではありませんが、教会の一室に私が集めたものを乾燥させて保存しています。かなり珍しいものもありますので、そちらを利用しましょう」
「その中で一番珍しいものを選べばいいのでしょうか」
ブラトの問いに、小さく唸る。それなら簡単だが、そう簡単にいくだろうか。
「確かに、珍しければ珍しいほどその可能性は高まります。でも相手が魔術検査や捜査内容を知っているとしたら、敢えてそこを外してくる可能性もあるでしょう」
一回きりしかできないのだ。即断はできない。
「何かしら、助けになる方法を探します。エメリヤ検事正にも聞いてみましょう」
再び到着した会議室のドアを前に、一息つく。多分、戻ってきているだろう。大人しくならない胸を窘めて、開かれたドアの奥へ進んだ。
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