第7話

 陛下が部屋を出てしばらく、今度は本当にエメリヤが姿を現す。

「取り調べでしたら、まいりましょう。私もお伝えしたいことがあるのです」

 気づかわしげな視線を向けるエメリヤに応えて、腰を上げる。エメリヤは物言いたげに私を見つめたが、頷くだけで踵を返した。

 エメリヤを含めた検察部の人間は、私が皇宮にいたことすら知らなかったのだ。それについて詫びる用意はあるが、明かすつもりはない。相手がエメリヤであっても、そこは譲れなかった。

 午前は検事総長が行った聴取を、今度はエメリヤが行う。窓がないから分からないが、既に夜だろう。エメリヤの表情にも、疲れが見て取れた。

「事件のあった時刻に、皇宮にいたという証人の証言は事実か」

「申し上げられません。お許しください」

 魔鉱晶を手で弄びながら尋ねるエメリヤに、用意していた答えを返す。エメリヤは溜め息のあと、魔鉱晶を机に置いた。

「このままでは、法務長官の罪を暴けない。罪を被るつもりか」

「被るつもりはありませんが、どうしても、明かせないのです」

 気落ちして聞こえる声に覇気はなく、怒りは伝わってこない。呆れているのかもしれない。まだ、私を信じてくれているのだろうか。確認するのは、怖かった。

 ざわつく胸が落ち着くのを待って、視線を上げる。エメリヤは黙ったまま、視線で応えた。

「まだ推測の域を出ませんが、叔父の本当の目的は、私と兄を排除して自身が正当なカリュニシンの後継者になることではないのかもしれません」

「では、どんな目的だと?」

「それは、私の口からは申し上げられません。ただ……いやな予感がするのです」

 叔父は、私があの日皇宮にいた理由を決して明かさないことを分かっているはずだ。ただ、それを「聖女の矜持を守るため」ではなく「国を揺るがす引き金になるから」だと知っているとしたら。

 叔父は、恐ろしい計画を立てているのかもしれない。

「あの、ウルミナ様が毒殺の証拠を掴んだと仰っていた件は、どうなったのでしょう。証拠は見つかりましたか」

「いや。証拠は見つからず、侍女も姿を消した。おそらく身の危険を感じて隠れているんだろう。証拠があるとしたら、侍女が持っている可能性が高いな」

 エメリヤは椅子の背に凭れ、行儀悪く脚を組む。裁判中にはすっきりと出されていた額に、今は髪が零れ落ちて影を作っていた。なんとなく落ち着かない気分になって、視線を逸らす。

「もし、本当にその証拠が見つかっていたとして、です」

 胸を切り替えるように切り出すと、崩した姿勢から視線だけを私に向ける。疲れの見える目元は少し落ち窪んで、検事総長とよく似ていた。

「ウルミナ様は、誰からそれを受け取ったのでしょうか」

 私の問題提起に、脚を解いて背を起こす。気づいたように首元を揺すって、詰襟を開いた。

「単純に考えれば、当時皇后陛下の周りにいた人間だな」

「そのとおりです。『皇后陛下がユーリ皇子殿下を毒殺した』と仮定しての話ですが、皇后陛下が直接ユーリ皇子殿下に毒を飲ませることはできません。となると当然、侍女や周囲にいた人間を利用したはずです」

「確かに当時、陛下の命により捜査は中断されている。捜査を免れた人間の中に実行犯がいてもおかしくはない。要は、実行犯が寝返った、ということか」

 疲れているはずの瞳に宿った熱を見て、頷く。

「皇后陛下はセルゲイ皇子を無事即位させることに心血を注いでおられます。地盤を盤石にするためには、不安要素は少しでも取り除いておきたいはず」

「生かしておいた実行犯を始末することにした、か」

「ええ。でも実行犯は、皇后に見出されるほどの人間ですから、賢い者のはずです。だからこそ、皇后陛下はこれまで手を下さなかったのではないでしょうか。そんな者が『何かあった時』のことを考えていないわけがありません」

 当時皇后の傍にいて、皇后に忠誠を誓っていた誠実で聡明な人物。そして、ユーリ皇子に近づけた人物でなければならない。それほど多くはならないはずだが。

「つまり自分が始末されることに気づいた実行犯が、取っておいた証拠の品を手にウルミナ様に保護を求めた、と」

 確かめるように言葉にしたあと、エメリヤは腑に落ちた様子で頷く。

「分かった。事件前にウルミナ様と会った人物を、皇后との接点に注目して再度洗い直す」

 捜査の約束に、ほっと安堵する。ただ、皇后陛下の周辺を調べるとなれば、当然陛下の耳に入るだろう。陛下は、許してくださるだろうか。

――すまない、オリナ。

 何か大きな企みが動き出しているのなら、急がなければ間に合わなくなるかもしれない。

「今日はここまでにしよう。部屋に送る」

「もう、よろしいのですか」

 いち早く腰を上げて記録係に魔鉱晶を投げたエメリヤは、じっと私を見下ろす。

「疲れた顔をしている。しっかり休め」

 まあ、お互い様だったか。苦笑して腰を上げ、素直に従うことにした。


 エメリヤは結局、部屋の前に着くまで一言も口を開かなかった。

「送っていただき、ありがとうございました。お言葉に従い、ちゃんと休みます」

「ああ。どうせまた明日からも事情を聴くことになるからな」

 礼を言った私に、戸口から答えたあと黙る。中へ入るでもなく立ち去るでもなく、ただじっと私を見据えた。

「陛下が、訪ねてこられたと聞いた。どんな話を?」

 やがて、大人しい声が予想外の問いを投げる。まだ、聴取が続いていたのか。

「特別な話は何も。ただ、心配してくださっただけです」

「……そうか」

 小さく答えて、エメリヤはどことなく寂しげに笑んだ。

 全てを打ち明けられるのなら、どれほど楽だろう。でもそれは、「聖女」には決して許されないことだ。

「私を助けるために尽力してくださったこと、心から感謝しています。本当は、あなたのために祈れたら良かったのですが。少しでも、あなたに受け入れてもらえたら」

 何もできない自分に苦笑しながら視線を上げる。すぐ間近にいたエメリヤに驚く間もなく、気づけば腕の中にいた。何か言おうとしても言葉が探せず、ただどくどくと打つ胸の音を聞く。突き放さなければならないと分かっていても、できなかった。

「消えてなくなりそうなことを言うな。必ず助ける」

 すぐ傍で聞こえた声に、薄く目を開く。でもそれは、きっともう難しい。

「諦めるな、オリナ。大丈夫だ」

 力を込めた腕に、ふつりとどこかの糸が途切れる。堰を切ったように溢れ出した涙を止められず、温かい胸に縋った。

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