第6話

「では、弁護人。立証を始めてください」

 検察側の立証を終えてエメリヤが腰を下ろしたのを見計らい、裁判長が弁護士に指示を出す。検証を終えた今のところは、検察側有利の状況だろう。実際に指紋が本人の元へ飛んでいく検証実験は、裁判官だけでなく傍聴席にも驚きを以って受け入れられていた。証拠の品に犯人の指紋が残っていれば、これ以上ない根拠となる。

 しかし腰を上げた弁護士は、不敵な笑みを浮かべていた。

「こちらの立証は、検察側が提示した証拠については何も行いません。そんなものは、オリナ・カリュニシンがいかようにでも準備できるものだからです。被告人を陥れるために準備をしていたのだから、こちらに不利なものが揃うのは当たり前です」

 ひらりと手を払い、見下すようにこちらを眺めて鼻で笑う。さっきまでの汚点を挽回するだけの気力は回復したらしい。慌てて番狂わせに対応していた時に見られなかった自信も透けて見える。私以外の証人二人に鍵を握らせているのだろう。偽証ならすぐに明らかにできるだろうが……不安がないわけではなかった。蛇のように勝訴を狙う弁護人とこれほどまでに用意周到に私を貶めた叔父が、「あれ」を見逃すだろうか。

「ですからこちらは、オリナ・カリュニシンこそが真犯人であるという証拠のみを突きつけます」

 見下すように私を眺めてにやりと笑う弁護士に、いやな予感が収まらない。組んだ手を固く握り締めて、細く息を吐いた。

「あなたは先ほど検察側の証人尋問で、事件当日の夜は信者のところへ祈りに回っていたと仰いました。事件が起きた頃には、どこにおられたのですか」

 予想していたとおりの展開に、つばを飲む。絶望に占められていく胸を整え、視線を上げた。エメリヤが立証でさらりと流した理由は分かっている。そこに最大の弱みがあるからだ。

「信徒の中には、信仰を公にできない事情があり教会へ来訪できない方がいらっしゃいます。事件当日の夜はそのような方の元を回っておりました。ですので、一切を申し上げることはできません」

 検事総長に伝えたものと同じ話を繰り返す。聖女の矜持を懸けて、明かすことはできない。

「どこにいたか、だけでもよろしいのですが」

「場所を話せば、特定されかねません。信徒を守るためにも、申し上げることはできません」

「そうですか」

 私の答えに、弁護士は我が意を得たかのように笑む。くるりと振り向いて、裁判官達を見た。

「このあと、被告人質問で詳細を明らかにしますが、被告人はウルミナ様がオリナ・カリュニシンを恐れていたと言っています。被告人は証人を信用していたもののウルミナ様の訴えも無視できず、事件の一週間ほど前から家門の人間に証人の動きを探らせていたそうです」

 そういう、ことか。足元から崩れ落ちていくような感覚に、唇を噛む。だめだ、絶対に明らかにするわけにはいかない。これだけは、決して。

「あなたは事件当日の夜、深夜まで皇宮にいましたね。もちろん、事件発生の時刻にも」

 証言台の近くまで歩み寄った弁護士が、覗き込むようにして私と視線を合わせる。下品な笑みを思わず睨んだが、そんなことで解決はできない。

「……お答えできません」

「オリナ」

 改めて証言を拒否した私を、検事席からエメリヤが呼ぶ。見据える視線の意味は分かっているが、決して口にしてはならないのだ。口にすれば、全てが崩れ落ちる。

 でも叔父がそれを分かっているとしたら……叔父の「本当の目的」は私と兄の排除ではないのかもしれない。

「弁護人はそれを裏付ける証拠として、オリナ・カリュニシンを皇宮から教会まで送り届けた御者及び、その動きを探っていたミハイル・カリュニシンを証人として尋問いたします!」

 まるで勝利を宣言するかのように、弁護士が二人の承認を明かす。御者は教会の者だが、タイプライターを入れ替えたり魔法を放ったりした者がいたのだ。今更、今更だ。

 私は、憎まれていたのだろう。愛されていると信じ切っていた。馬鹿みたいだ。

 弁護士が何やら言っているがもう、何も聞く気にはなれない。もう正面を向く気にもなれず、俯いた。やっぱり、これは罰なのだろうか。恋は、それほどまでの罪なのか。

「私の全ては、聖女様のためにあります」

 ぼんやりと聞こえた御者の声に、よく分からない笑みが浮かぶ。そんな台詞は、初めて聞いた。教会の全ては神のためにあるものだし、それならなぜ私を貶めるような発言をするのか。……もう、疲れてしまった。

 不意に泣きそうになって、唇を噛む。今は、ここでは、泣きたくなかった。


 第一回目の裁判を終えて案内されたのは、留置室だった。簡素ではあるが個室だし、ベッドや机、ソファなど一通りのものは揃っている。警察の管轄なら留置場だが、ここは皇宮だ。被告人や被疑者であっても、それなりの扱いを受けられるのだろう。

 ここへ私を案内したのはブラトで、エメリヤは裁判を終えるや否やどこかへ消えた。もう、私に愛想を尽かしたのかもしれない。

 溜め息をついて固めなソファに腰を下ろし、ぼんやりと仄暗い天井を見上げる。ウルミナ様を殺害したと判決が下されたら、たとえ聖女であっても重刑は免れない。これまでの功績によって死罪は免れるとしても、命尽きるまで牢に繋がれるくらいはあるだろう。

 それならもう、と諦めの息を吐いた時、ドアをノックする音がした。はっとして体を起こし、居住まいを正す。エメリヤが、会いに来たのかもしれない。

 しかし開いたドアの向こうから現れたのは、エメリヤではなかった。少なくとも今は、決して来るべきではなかった人物だ。

「オリナ、無事か」

 神妙な表情で私を呼びつつ入ってきたのは、陛下だった。すぐにソファから下り、挨拶をして迎える。

「陛下、このようなところにおいでになってはなりません」

「なぜ参ったかは分かっているだろう」

 物憂げな表情が、今は特別沈痛なものを漂わせていた。もちろん理由は分かっている。裁判の内容を知ったのだろう。

「存じております。ですが、ご安心ください。私は決して明らかにはいたしません」

「そうではない、オリナ。私は、『明かせ』と言うために来たのだ」

 予想外の答えに、礼儀も忘れてじっと陛下を見上げる。陛下も避けず、苦渋に満ちた視線を返した。

「何を仰っているのか、お分かりですか。もし明かせば、ツァナフは再び戦火に」

「分かっている。だが、それでは私にお前を見殺しにせよと言うのか。マキシムの棺を見送った時、私はあれに誓ったのだ。必ずお前達を守ると」

 細い眉間に皴を走らせて俯くと、柔らかそうな髪が肩を滑り落ちる。父は、陛下にとって腹心であると同時に友だった。それゆえに、関係が目立たぬようにと表立ってのやりとりはなかったが、常に私と兄は陛下の目の届く場所に置かれていたし、置かれている。

「それでも、もし明らかにすれば、セルゲイ皇子殿下に凶刃が向くのは明らかです。引き金を引いてはなりません、陛下。私は聖女であれど国の臣民、陛下のため国のために命を捧げる覚悟はできております」

「……私は、友や『娘』を見送るためにこの座に就いたのではないのだぞ」

 覚悟を口にした私に、陛下は苦しげに返す。望んだ答えではないのは分かっている。娘のいない陛下が、胸の内では私を娘のように思ってくださっていることも。

「存じております。皇帝とは、孤独な座でございますね」

 豪傑で知られた先帝と違い、繊細な方だ。いつも、多くのことに胸を痛められている。「望んで着いた座ではない」と、言えれば良かったのだろうが。

「お加減が良くないのでしょう、顔色がよろしくありません。少しですが祈りますので、こちらにお掛けください」

 陛下は黙り、私が促すままにソファに腰を下ろす。私はその隣に座り、祈りに入った。

 神力が癒せるものには、限りがある。どれほど熱心に祈っても、死と神が定められた傷病は癒せない。定められた傷病への効果は、いくらか健やかな状態を保つこと、命の終わりまでの時間を少し伸ばすことだけだ。

 そして神の定めにより心臓を患った陛下は今、私の祈りで延命を続けている。持ってあと二年……三年は、難しいかもしれない。

 ただ三年後でも、セルゲイ皇子はまだ十五歳だ。陛下が崩御して即位すれば、不吉な「少年皇帝」となる。それでも、セルゲイ皇子が矜持に目覚めて周囲をしっかりと固められていれば、或いは。不確かでも、もうその可能性に賭けるしかない。だから今は、決して明かしてはならないのだ。

「すまない、オリナ」

 ぼそりと聞こえた声に、薄く目を開ける。この方は、残酷なことには向かない。

「大丈夫です、陛下。私は強い娘ですから」

 小さく返し、また祈りに戻る。

 そうだ、私は決して弱くはない。守りたいもののために何をすればいいのか、私はちゃんと知っている。こんなところで、負けるわけにはいかないのだ。

 折れそうだった心に灯がともるのを確かめて、小さく頷いた。

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