第5話

 予定どおり、エメリヤの質問は検事総長の聴取をなぞって進んだ。弁護士のように芝居がかった抑揚や仕草はなく、質問は淡々と落ち着いた声で続いていく。周囲には退屈になやりとりに思えるかもしれないが、エメリヤの選ぶ言葉にはなるべく私を傷つけまいとする意志が見えた。おかげで慌てたり委縮したりすることなく、無実を主張することができている。

「続いて、被告人があなたに罪を着せられたと訴えている件について尋ねます」

 ウルミナの事件や関係性を一通り尋ねたあと、今度は叔父との関係に入る。こちらでも無実を証明して叔父の有罪を突きつけなければ、「被疑者」から解放されることはない。

「あなたは、叔父である被告人を憎んだことはありますか」

「いえ、一度もありません。両親の死後、私と兄を引き取って養育してくださったことを感謝しています」

 うんざりしたり呆れたりはしょっちゅうだったが、憎む理由なんて存在しなかった。表面的な対応はともかく、実子のキリムと同じ養育をしてくれたことや、私が教会に引き取られたあとも狼になった兄を排除しなかったことには、本当に感謝している。

「被告人が、両親を事故に見せかけて殺害したと思ったことは?」

「この度の事件の捜査に加わってウルミナ様殺害の方法に気づくまでは、ありませんでした」

 変わらぬ口調で尋ねるエメリヤに答えて、頭を緩く横に振る。あの頃は叔父が犯人である可能性なんて、一度も考えたことがなかった。だから、「見落とした」のだ。

「当時、走行中に車軸が折れて起きる事故が不思議なほど何件か続きました。父達の事故を最後に見られなくなりましたが、私は補強や改良を施されたためだと信じていました。しかし今は、あれは本番に備えての練習だったのだと理解しています。というのも、事故を起こした車はみな叔父の勤務先や屋敷近くに駐車していたのです。実際に事故を起こした場所はかなり離れたところですし、駐車場を調べた警察官達もまさか法務大臣の弟の魔法実験に使われていたなんて考えもしません」

「裁判長、証人の発言は憶測であり事実ではありません」

 挙手をして口を挟んだ弁護士に、裁判長も頷く。

 裁判所の中にも皇帝派と教皇派の派閥はあって、今回の裁判長は皇帝派だと聞いている。両者がぶつかる裁判には裁判官達の派閥が影響しやすいとは、まことしやかに流れている噂だ。それでも今回の裁判長は、職務の矜持を保ってくれているように見える。だからできる限り、信頼を損ねないように運ばなければならない。

「証人は、事実のみを述べるようにしてください」

 裁判長の注意を受け入れ、私も殊勝な態度を見せておく。弁護士がずっと睨んでいるのは不快だが、口を挟んでくるのは想定内だ。

「承知しました。確かに現在は、叔父が犯人だと裏付ける証拠はありません。ただ弁護人の陳述どおり私の執念はとんでもないものでしたから、事故で折れた車軸には保存魔法を掛けてひっそりと保管し続けていたのですよ。現在、そちらの作業をお願いしているのです。難しい作業ですが車軸に残った氷魔法の痕跡を車軸から分離させることさえできれば、犯人と結びつけることができるようになりましたから」

 今頃、マルクが頭を抱えながら対峙していることだろう。保存魔法を掛けていたとはいえ、当時でも車軸に残されている氷魔法の痕跡は僅かだった。布や紙と違い、金属やガラスの痕跡は消えるのが速い。現状では、分離魔法の作用に耐えられず分離できない可能性がある。だからマルクに、痕跡の修復を頼んでいるのだ。

「裁判長、証人は憶測で誘導しようとしています! 被告人は、妻を喪っているのです。愛する妻を犠牲にするなど、ありえません」

 再び口を挟んだ弁護士を一瞥する。やはり、今回ここへ立ったのは正解だった。スミルノフは、十分に準備した上での「法廷劇」には強いのだろう。でも、即興の対応にはボロが出る。この調子でいけば、と逸りそうになった胸を静めて、長い息を吐いた。

「そうですね。あなたは先ほど、聖女である私が最大の禁忌を犯し神を裏切る行為をしたと断じました。つまり神と聖女の関係は、人間の夫婦の絆よりも取るに足らず簡単に犠牲にできるものだと思っていらっしゃるのですね」

「そんな、ことは」

 冷静な私の指摘に、弁護士は手落ちを察した様子でぼそりと返す。一瞬見えた悔しげな色をすぐに消すのはさすがだ。それでも、空けてくれた穴を見逃すほどこちらも余裕はないし、優しくはない。しかし、と平板な声で切り出したのは、エメリヤだった。

「先ほど、私の意見や裁判長の注意を聞かず聖女の尊厳を踏みにじったではありませんか。そして今は、被告人は妻を犠牲にするわけがないと仰った。併せて考えれば『そういうこと』だと、私だけでなく傍聴席の方々も受け止めたはずですが」

 そつなく指摘しながら、傍聴席へと視線を滑らせる。さっきの荒れた一幕の記憶は、まだ生々しい。弁護士はあれで私への断罪を印象づけたつもりだろうが、逆手に取ればまるで正反対の印象を与えることもできる。反撃の機会を逃さないエメリヤもさすがだが、今回は弁護士がいらぬ華々しさを求めて墓穴を掘ったのが大きい。図らずも、救われてしまった。

「改めて申し上げますが、それは誤った認識です。神力により生かされている聖女は、夫婦の絆よりも深く神と結びついています。私が魔法を胸に受けても傷跡一つ残さずここに立っている事実こそが、禁忌を犯していない証明です」

「禁忌を犯しても、神が『何もしない』可能性もあるのでは?」

 裁判長を挟まず投げた弁護士の問いに、心からの苦笑が漏れる。それほど、神は寛容な存在ではない。もしどこまでも寛容であったのなら、古代文明は滅びず魔鉱晶も生まれなかった。神話は、決して作り話ではないのだ。

「神の怒りを恐れぬ発言を繰り返すのは蛮勇と呼ぶほかありませんが、それはあなたが犯した罪です。私に救うことはできません」

 これ以上付き合う必要のない問いをあしらい、エメリヤへ視線をやる。エメリヤは「よくやった」と言わんばかりに頷いたあと、ブラトから資料を受け取った。

「では続いて、被告人と提出した証拠を結び付けた方法について説明いたします。書面には、『指紋の一致』と記した内容となります」

 越えた山に、密やかに息を吐く。ここからはエメリヤの解説が中心になるから、私は必要な時に口を挟むだけだ。押し寄せた疲れにほぐれた緊張を感じるが、むしろ本当に大変なのはこれからだろう。検察側の立証が終われば、次は弁護側の立証に移る。今日の予定ではなかったとしても、私への証人尋問の準備はできている。私が禁忌を犯していない印象は植え付けられたとしても、「何か」があれば覆ってしまう可能性はあるだろう。

 押し寄せる不安に胸のペンダントを握り、裁判官に対して説明を続けるエメリヤを見る。途端に安堵した胸に苦笑して、神へ猶予を願った。

 神よ。どうか、もう少しの間だけこの想いをお許しください。

 告げることは許されない想いでも、すぐにはとても消せそうにない。初めて知る喜びのあとに訪れた痛みは、これまで教会で何度も出会ってきたものだ。苦しみの果てに神の救いを求める人達の心を、ようやく理解できた気がした。

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