第4話
「陳述の主旨は理解していますが、あまりに聖女を愚弄する発言は看過できません」
「おや、オルジロフ検事正は教皇派でしたか」
「そうではありません。ですが、内乱に終結をもたらしツァナフを救った『聖女の誕生』と、日々多くの民を苦しみや痛みから救い続けている功績には、素直に頭を下げられます。たとえこの席に座っていても、私はその一線を越えて尊厳を踏みにじるような真似はしない」
茶化すように口を挟んだ弁護士に冷ややかな声で返すと、さっきまで周囲に満ちていた熱気が途端に冷めていく。皆が、私に救われた誰かを思い出したのかもしれない。
「空気が変わったな」
兄の言葉に小さく頷いて、エメリヤを見つめる。
助けてくれたのだ。ようやく深くまで吸えた息に、深く感謝する。長く吐き出した息は、まだ少し震えていた。
「弁護人、その陳述は本当に必要なものですか」
裁判長はエメリヤの意見に頷き、弁護士に尋ねる。我が国では判決を下すのは裁判官で、判決を支える陪審員はいない。それでも、世論は判決に影響する。特に今回のような国を揺るがす裁判の場合、大衆の意思と著しく異なる判決を下せば暴動が起きる可能性がある。ツァナフの民は、決して大人しくはないのだ。裁判長としては、できる限り中立を保って判決に持ち込みたいところだろう。
「もちろんです。彼を始めとして聖女を聖なる者として崇めている者がいるからこそ、この方法に意味がもたらされるのですから」
「では、許可します。しかし表現には細心の注意と敬意を払うように」
弁護士は恭しく頭を下げて応えたあと、靴音を響かせて再び歩き始める。しかし見る限り、不敵な笑みは少しも堪えたようにない。今更、そんな言葉で下りるわけはないだろう。最初から、踏みにじるつもりだったのだから。
「教会の中では最大の禁忌と言われてはいますが、神力を持つ者でも魔法を使う方法は存在します。それは、魔鉱晶を利用する方法です。そしてオリナ・カリュニシンは禁忌を犯し」
「裁判長!」
「魔鉱晶を利用して、救いを求める哀れなウルミナ様を無残に殺害した!」
「弁護人、言葉を」
「邪悪にも『聖女が禁忌を犯すわけがない』という思い込みを利用したんだ!」
「黙れ!」
言い合いの末に腰を上げて怒鳴ったエメリヤを、弁護士は睨み返す。ざわめく傍聴席に、裁判長はまた静粛を求める声を上げた。
「弁護人、発言には十分注意するよう再度伝えます」
溜め息交じりの注意に、弁護士は神妙な表情を作って頭を下げる。見せかけだけ、上辺だけの反省だ。どうやっても、好きにはなれそうにない。
「失礼いたしました。弁護側の陳述は、これで終わりです。オリナ・カリュニシンが真犯人であることは、タイプライターを入れ替えた教会の職員及び、自作自演した魔法襲撃の襲撃者である教会職員が証明してくれるでしょうから。以上、弁護側の陳述を終了いたします」
最後に余裕めいた言葉を残し、弁護士は席に戻る。叔父に耳打ちするかのように何かを伝えて、笑みで手元のファイルを開いた。
「では検察側の立証に移りますが、よろしいですか」
「はい。準備はできています」
エメリヤはブラトと目くばせをしたあと、腰を上げる。
「検察側は、一番目の証拠として『ウルミナ・ナタルスクを殺害した魔法の解析データ』、二番目の証拠として『被告人が事件に使用したタイプライター』、三番目の証拠として『ウルミナ・ナタルスク宛ての手紙』、四番目の証拠として『殺害時に被告人が持ち帰ったワインボトル』を提出いたします。併せて、これらを被告人と結びつけるために利用した新たな手法についても解説いたします。またこれらの証拠に加えて、聖女オリナ・カリュニシンへの尋問を行い、被告人の犯行を証明いたします」
頬杖を突いてエメリヤの淡々とした説明を聞いていた弁護士の余裕が、私の名前を聞いた途端に消える。すぐに体を起こして、隣の叔父と何やらひそひそと話し始めた。
「続いて、弁護側の立証を」
裁判長の声に応え、エメリヤが腰を下ろすのを待って立ち上がる。
「弁護側は、被疑者オリナ・カリュニシン及びその犯行を裏付ける証拠を握る人物二名を証人として尋問を行い、被疑者が犯人であることを証明いたします。また被告人質問によって、被告人にウルミナ・ナタルスク殺害は不可能であることを証明します」
弁護士は私を見ながら答えたあと、腰を下ろす。
証人尋問の順番は検察側のあと、弁護側だ。おそらく弁護士は検察側の尋問を聞いて、私への尋問内容を組み立てるつもりだろう。分は悪いが、切り抜けるしかない。
私の嫌疑に対しての証人尋問は、検事総長が行ったものとほぼ同じだと聞いている。それに加えて、証拠品についてのやりとりを行う予定だ。
「お兄様、行ってまいります」
「大丈夫だ、オリナ。いざとなれば、俺は全てを殺せる」
物騒な言葉を口にした兄の毛並みを撫で、フードを深く被り直して腰を上げる。裁判長の声に応えて傍聴席を下り、証言台に立った。
「では、宣誓を」
宣誓を促す裁判長に頷き、被っていたフードを下ろす。視線を上げると、じっと見据えていた裁判長が小さく咳ばらいをして我に返った。
弁護士がその顔と芝居で勝負するつもりなら、私にだって対抗できるだけの材料がある。被告人席を一瞥すると、弁護士も驚いた様子で私を見据えていた。「美貌のカリュニシン」を噂には聞いていても、見たのは初めてだろう。顔をもたげた叔父が、悔しげに表情を歪めたのが分かる。それほどまでに、この色が憎いのか。
一息ついて恭しく胸のペンダントに触れ、少し腰を落とす。
「私、オリナ・カリュニシンは神の御心に従い、真実のみを口にすることを誓います」
宣誓を終えて姿勢を正し、検事席のエメリヤを見る。
――礼はいらない。信じる以外の選択肢がないだけだ。
その言葉どおり、エメリヤは私の無実を信じてくれている。検察部の仲間達も。
「では、検察側は証人尋問を始めてください」
裁判長の声に応えて腰を上げたエメリヤは、私と視線を合わせて頷いた。
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