第2話

 通されたのは、この前ネストルがいた部屋だった。机と椅子だけで窓もない簡素な部屋だが、隅々まで清潔に保たれているのが分かる。教皇派に対する取り調べだから覚悟はしていたが、聖女だから配慮されたのかもしれない。或いは、父のおかげか。記録係とともに入室してきた検事総長は、向かいの席に着く前に深々と頭を下げた。

「この度はこのような事態になりましたこと、検察部を代表してお詫び申し上げます。なんとしても、黙秘を許すべきではありませんでした」

「いえ、被告人の黙秘は当然の権利です。叔父にだけ認めないとなれば、またそれも利用していたことでしょう。全てを思惑どおりに進ませてしまった悔いはありますが、それだけ叔父の企みが巧みだったのです。今の私にできることは、身を以って叔父の罪を暴くことだけです」

 答えた私に、検事総長は深く頷いて椅子に腰を下ろす。記録係もその背後の席に着いて、魔鉱晶に短い文言を唱えた。

 検事総長は机にノートを開いたあと、一息つく。

「七二四五年十月二十七日、ウルミナ・ナタルスク殺害事件に関する聴取を皇宮法務局検察部取調室にて開始する。対象は聖女オリナ・カリュニシン、担当官はアレクセイ・オルジロフ検事総長。第一回裁判においての被告人アルチョム・カリュニシンの告発に基づき行うものである」

 エメリヤより少し高くて、細い声が記録を始める。淡々とした落ち着いた声に、少しだけ緊張が和らぐ。敵意のない、大人しい視線のおかげでもあるだろう。

「ではまず、事件のあった十月十六日の夜から十七日に掛けての行動をお聞かせください」

 最初の問いに頷き、胸のペンダントに触れて気持ちを整える。大丈夫だ。ただ誠実に、事実を答えればいい。

「十六日は午後から礼拝へ足を運べない信者達の家を回り、教会へ戻りました。遅くまで奉仕したので、戻ったのは深夜二時頃だったと思います。そのあとはすぐに休み、翌十七日は朝から教皇庁職員を交えての予算会議に参加しておりました。その最中に聖下のお呼び出しがあり、ナタルスク家からの要請を受けて皇宮へ向かいました」

 記憶を掘り返し、間違いがないように一つ一つを確かめながら伝えていく。検事総長は時折ペンを走らせてメモを取ったあと、視線を上げた。

「十六日夜の行動を証明できる者はいますか」

「夕刻までの訪問には兄が付き添いましたので、そこまでは兄が証言できます。夕刻から深夜に掛けての訪問は、信仰を周囲に知られたくない方々のところへ私一人で出向きました。帰宅時間については、馬車の御者が証言できます」

「どこをご訪問されたかは」

「それは、お答えできません」

 被告人の黙秘とは違う守秘義務が、この仕事にはある。

「犯行時間である〇時頃に訪問されていた家、もしくは相手だけで良いのですが」

「さまざまな事情により周囲に知られてはならないから、深夜密かに訪問しているのです。たとえそのうちの一人であっても、明かすわけにはまいりません」

 皇帝派の中にも信仰厚い者は少なからずいるが、その多くは表立って礼拝には参加できない。教皇派に傾いていると噂されたら、どこで足元を掬われるか分からないからだ。内乱は終わっても、火種はそこかしこに散らばっている。まるで、戦乱を望んでいるかのように。

「承知しました。では、ウルミナ様とのご関係についてお話いただけますか」

「ウルミナ様と初めてお会いしたのは、私が聖女として教会に引き取られたあとです。ご存じのことと思いますが、ウルミナ様は一夫一妻制の教義に反した状況に身を置かれました。それゆえに礼拝への参加が許されず、個別で祈りを受けていらっしゃいました。その相手に、私を望まれたのです」

「それは、なぜですか」

「はっきりと理由を聞いたことはありませんが、私が亡きユーリ皇子殿下と同じ年に生まれたためではないでしょうか。何度か懐かしそうに、『ユーリも生きていれば』と仰ったことがあったので」

 そうこぼす時はいつも寂しそうに笑み、ぼんやりと宙に視線をやった。まるで、育った姿をそこに見ているかのように。子を喪った母の悲しみに、身分や貧富の差はないのだ。

「たとえば、そのことで恨み言を言われた、などは?」

「そのようなことは、一度も。確かに祈りでは癒せない感情をお持ちでしたが、それは私に対してのものではありませんでした」

 私の答えをノートに書き留めて、検事総長は再び窺う視線を向けた。少し鋭くなった理由は、分かっている。

「どなたに向けてのものですか。また、どのように仰っていましたか」

「皇后陛下に向けてのものです。皇后陛下がユーリ皇子殿下の命を奪った、と。ただこの訴えは、宮廷にいれば耳にしたことはあるものでしょう。私だけに、という話ではありませんでした」

 宮廷どころか、城下はみな知っているのではないだろうか。ウルミナは、悲しみや憤りを胸に抱いて忍ぶ性格ではなかった。

「ウルミナ様と最後にお会いしたのはいつですか」

「事件の十日ほど前ですから、十月六日か七日辺りだと思います」

 あの日のウルミナは、いつもと少し違っていた。皇后とけんかしたのは事件の一週間ほど前だと聞いている。毒殺の証拠を手に入れたと叔父に話したのは、いつだったのだろう。

「どのようなお話を?」

「あの日はいつもと違っていて……神の声を装い、皇后陛下がユーリ皇子殿下を毒殺したと証言してほしいと仰いました。驚いて御諫めし、お断りいたしました。神への冒涜とも受け止められる言葉で、とても受け入れられるものではありませんでしたので。ウルミナ様がお帰りになったあと、すぐ聖下にもご報告いたしました」

 聖下は深々と溜め息をついて、髭を撫でた。おそらくは、陛下に進言したこともあっただろう。ユーリ皇子殺害の捜査を、やめるべきではなかったのだ。

「その件で、ウルミナ様に対してどのように思われましたか」

「私は子を持つことのない身ですから、子を喪った母親の思いを知ることはできません。それでも、その悲しみはこれほどまでに人の心に影を落とすものなのだと胸が痛みました。心の奥底まで撃ち込まれた楔を、私の祈りで少しでも癒すことができればと。暗闇から、お救いしたいと思いました」

 ペンダントに触れつつ答え、祈るように胸にあるものを確かめる。憐れみはしたが、怒りや恨みは抱いたことはない。ただ光のない暗がりから、救い出したかった。深い悲しみの淵に少しでも安らぎをもたらすことができればと、心から願っていた。

 小さく祈りを捧げたあと、一息ついて視線を上げる。どことなくぼんやりとして、覚束ない視線を漂わせる検事総長に少し驚いた。

「……オルジロフ検事総長?」

 窺う私に、はっとした様子で我に返る。

「申し訳ありません。では次に、法務長官とのご関係についてお聞きいたします」

 ノートのページをめくったあと一息ついて断りを入れ、官服の詰襟を緩めた。その仕草に、なんとなくエメリヤを思い出す。

 会いたい、と浮かんだ願いが許されないものなのは分かっている。私は、神の妻だ。神以外に愛してはならず、恋をしてもならない。

――それでいいのか。神に命も人生も奪われて!

 これまでは、それでいいと思っていた。でも、今は。

 熱を持たない手を固く組んで、幼き日の祈りを思い出す。

――神様、どうかお兄様をお救いください。その代わり、私の命を御前に捧げます。

 震える両手で握り締めた短剣は、確かに私の喉を突き刺した。しかし溢れ出したのは血ではなく夥しい光、いわゆる神力だった。

 神は私の捧げた命を兄を救うためではなく、聖女として生まれ変わらせるためにお使いになった。私の絶望が、国の希望に変わった日だった。

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