第1話

 皇帝陛下の妾であるウルミナ殺害事件は、エメリヤを始めとした検察部の働きにも助けられて、叔父アルチョム・カリュニシンを犯人として捕まえるところまで辿り着いた。

 でも叔父は裁判までは黙秘を貫き、裁判では無罪の主張に代えて私を告発するに至った。

――私はここに、ウルミナ様殺害の真犯人として、聖女オリナ・カリュニシンを告発いたします!

 まとわりつく不安の理由は、これだったのかもしれない。まさか叔父に嵌められるなんて、思いもしなかった。


「再開は午後からの予定だ。今回はひとまず、オリナを真犯人とする被告人の主張を被告人自身に戻す作業になりそうだな」

 大法廷から移動した検察官控室で、向かいのエメリヤは腕組みをして古ぼけた椅子に凭れる。客を迎えることを想定していない室内はいたって簡素で、数客の椅子と長机、書棚くらいしかない。窓から差し込む陽光がそれなりに照らしてはいるが、埃っぽく湿っぽくて薄暗い。被告人控室と言っても差し支えなさそうな場所だった。

 それはともかく、裁判長が告げた休廷のあと、エメリヤ達は確保の形で私をここへ連れてきた。事実がどうであれ、告発された私をそのまま放置するわけにはいかないからだ。予想だにしない展開に、エメリヤの背後に待機するほかの検事達もまだ戸惑っている。扉の向こうでは、落ち着かない兄がうろついていることだろう。

「でも、あれがその場しのぎではなく万全な準備の上で発された言葉なのだとしたら、覆すのは困難でしょう」

 溜め息をついて、私も腕を組む。

 私を陥れるための策だったのなら、素直に引っ掛かってしまったこちらは不利な状況だ。次回には私にも弁護士をつけて無実の主張はできるだろうが、叔父のことだ。今回で、私を完全に沈めるつもりかもしれない。それだけは阻止しなければ。

「異例なのは承知ですが、私も今回から出廷できませんか」

 提案に、エメリヤは驚いた表情を浮かべる。冷ややかな造作の中で、緑がかった青の瞳がじっと私を見据えた。

「叔父はおそらく、慣例どおり次回からの出廷だと踏んでいるはずです。その上で、一方的に私を吊るし上げる主張をするつもりでしょう。そのまま閉廷してしまえば次は早くても数日後、確かに準備する期間はできますが、それでは遅すぎます。準備は不完全でも今回の内に私自身が反駁しておかなければ、民に動揺が広がってしまいます」

 教会や信徒だけではなく、国が揺れてしまう。教皇派を叩き潰そうと狙っている皇室派には追い風となり、教会と私を頼みの綱としている教皇派には混乱をもたらすことになるだろう。内乱を治めた私が、内乱の火蓋を切りかねない事態だ。

「異例中の異例なのは間違いないが、できないと決められているわけではない。ただ証言台に立てば、全てを自分が答えなければならなくなる。答えたくない質問には答えなくても構わないが……過酷だぞ」

 少し声をひそめたエメリヤに、小さく頷く。以前とは違う眼差しを向けられているのは、分かっている。それでも今は、その温かさに甘えていい時ではない。

「構いません。私は聖女であると同時にカリュニシンの娘です。叔父が誤った道を歩むのならば、糺さねばなりません」

「まあカリュニシンのお家騒動って考えれば、それが順当ですよね」

 背後から気づいたように口をはさんだイワンに、エメリヤが振り向く。イワンの表情が途端に翳って、思わず苦笑した。

「そのとおりです。カリュニシンの罪は、カリュニシンのものですから」

 向き直ったエメリヤに伝えると、明らかに表情が沈む。当初の予定とは違う、被疑者としての出廷だ。当然ながら、検察側も辛辣な問いを投げることになる。エメリヤが私を傷つけたくないと考えているのは……もう、ちゃんと分かっていた。

「叔父がこの色を持たなかったことで劣等感を持ち、また揶揄されて生きてきたのは事実なのでしょう。ですが、叔父の能力は決して劣っているわけではありません。生まれついて魔力は人並み以上にあり、またそれを巧みに扱えるだけの頭脳も持ち合わせています。悪に心を染めなければ、偽者と呼ぶ者達を黙らせるほどの善き成果を出せたはずです」

 氷魔法と分離魔法を組み合わせたあのやり方だって、正しく使えば民を救う術になっていたかもしれないのだ。でも叔父は、それを選ばなかった。

「自らを『持たざる者』にして悪を選んだ傲慢と堕落を、兄の名に懸けて許すわけにはまいりません」

 兄は狼の姿になっても、カリュニシンの嫡男である矜持を崩したことはない。どれほど好奇の目に晒されようとも、決して悪を選ばなかった。

 エメリヤは私をじっと見据えたあと、やがて長い息を吐いた。

「分かった。それなら、今回から出廷してくれ。今の状況なら、まだ参考人でいいだろう。向こうが何を理由に挙げて訴えてくるか分からない以上、細かな打ち合わせはできないが」

「どのようなことを言われても、真実を答えるだけです。私は嘘はつけませんから」

 笑みで頷いた時、焦ったようにドアを叩く音がする。

「エメリヤ検事正、ご報告があります!」

 ドアを開けるや否やエメリヤを呼んだのは、検察部の官服を着た男だった。息を切らせているところから、よほどのことだと伺える。エメリヤはすぐに腰を上げ、戸口へ向かった。今更だが、悪い予感しかしない。

 エメリヤは耳打ちで報告を受けたあと、短く何かを伝えて男を帰す。閉じたドアに凭れて腕組みをすると、溜め息をついてこちらを見た。

「タイプライターを入れ替えたと思われる、日雇いの職人を発見した。教会の職員だったらしい」

 思わず、えっ、と短い声を上げた。まさかの「身内」に、動揺で胸が早鐘を打つ。確かに、教皇派の本山とも言える教会も一枚岩ではない。それでもこんなはっきりとその危うさが露呈するとは、思ってもみなかった。とにかく、話を聞かなくては。

「今は、どこに」

「死んだ。オリナに頼まれたと罪を認めて、毒を飲んだそうだ。今、教会関係者から詳しい話を聞いている」

 最悪の状況に、少し持ち上げていた腰を落とす。教会まで関わったのなら、聖下も動かざるを得ないだろう。

「教会にも、政治が存在します。聖下は清廉な方ですが、敵が少ないとは言えません。さまざまな理由をつけて財を成そうとする者や、教会にかつての地位を取り戻させようとする者、それに継ぐ権力を得ようと画策する者達がいるのです」

「この件で、聖下は間違いなく聖女様の管理不行き届きを問われますね」

 私の危惧を代弁したブラトに頷き、胸のペンダントを握る。聖下が私を大切にしていることは、今や国中が知っていることだ。「子」の不始末は当然、「親」に求められる。

 聖下と話がしたいが、状況的に難しいだろう。全て、叔父の算段どおりか。

「この様子だと、あの魔法を撃った奴も怪しくなってきたな」

 エメリヤは戻ってくると、どさりと腰を落とした。

「足取りはもう掴めているので、確保は時間の問題です。今更、捜査を打ち切ることはできません。服毒自殺の可能性を伝えるのが限界です」

 ブラトの状況説明に頷いたあと、私を見る。眉間に皴を走らせた、苦渋の表情だった。

「申し訳ないが、今からは被疑者だ。午後からの出廷までに、取り調べを受けてもらう」

「承知しました。構いませんので、お願いいたします」

 ともに捜査をした協力体制から、対立関係への転向だ。寂しさがないわけではないが、致し方ない。

「じゃあ、ひとまず検察部へ移動ですね。取り調べは、検事正で」

 確かめるイワンの声を、いや、とエメリヤは遮って腰を上げた。

「検事総長にさせろ。俺は魔法を撃った奴の捜査に加わるから、戻ってくるまで開廷を引き延ばせ」

「そんな無茶な」

 困惑するイワンや検事達を残して、再びドアへと向かう。本当に、行ってしまうのか。

「大丈夫だ、すぐ戻る。毒を飲む前に死ねないようにしてくるだけだ」

「エメリヤ検事正」

 呼び止めた私に、エメリヤはドアを開きながら振り向く。

「ありがとうございます。私を、信じてくれるのですね」

 エメリヤはここへ来てから今に至るまで、一度たりとも私を疑う素振りを見せなかった。もちろんその背後には私が嘘をつけないことや、信頼に応えられるよう懸命に捜査をしてきた実績はあるだろう。それでも、疑われても仕方のない状況だ。取り急ぎの礼で済ませるのが申し訳ないほど、感謝していた。

 ただ、礼を受け止めたエメリヤは、予想に反して固まった。何か、悪いことを言ってしまったのか。

「あの」

 窺った私に、はっとした様子で我に返る。

「礼はいらない。信じる以外の選択肢がないだけだ」

 ぼそりと答えて、逃れるようにドアの向こうへと消えた。

「遂に氷が解け始めたな」

「氷刃の貴公子にも春が来ましたね」

 エメリヤが出て行くのを見計らっていたかのように、ブラトとイワンが表情を緩める。イワンはともかく、ブラトは初めて見る穏やかな表情だった。

「ああ、申し訳ありません、聖女様。イワンと私は、一族の中でも特に検事正と共にいたものですから。理由を申し上げることはできませんが、あなたには感謝しています」

 ブラトは苦笑したあと、私に礼を言う。エメリヤは、年が離れた弟のような存在なのかもしれない。

「皆様も、私を信じてくださるのですか」

「我々は日々、多くの罪に接して生きています。全ての罪や悪意を見抜けるわけではありませんが、それでも身近に迫るそれらに気づかないほどの役立たずでもありません。それに、真実を追い求める視線は身を以って知っておりますので」

 ブラトの答えに、隣にいたイワンが満面の笑みで頷く。顔立ちはエメリヤと似ているから、エメリヤも笑顔になればこんな風に崩れるのだろう。見てみたい、と思ったあとで小さく焦った。これは、願ってもいいことなのだろうか。

「検事正のように選択肢がなかったわけではありませんが、まあ、選ぶ必要はないですよね」

「ありがとうございます。とても嬉しいです」

 気さくなイワンの言葉に、改めて礼を言う。こんなに受け入れてもらえるとは、初対面で帰りたくなったあの日には想像もしなかった。

「裁判が終わるまでは、我々は職務を全うせねばなりません。聖女様を厳しく問い詰めるような状況にもなるでしょう。それでも我々は、あなたの潔白を信じています」

 告げたブラトに、背後にいる検事達も応えて頷く。今の私には、何よりもありがたい言葉だった。

「本当にありがとうございます、皆様。私は、素晴らしい仲間に恵まれました」

 胸のペンダントを握り、少し腰を落とす。できればこのまま一緒に捜査を続けたいが、それは叶わない。それなら、私は私に与えられた役を受け入れるだけだ。

 一息ついて、フードを深く被る。

「では、まいりましょうか」

 決意を口にした私に、ブラト達は頭を下げて応えた。

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