第三章 神々の黄昏 16節

【16-2】

「ありがとうございます」と軽く頭を下げると、林は話し始めた。

「そもそも我々人類は、いつから<神>という概念を持つようになったのでしょう。私の言う意味は、<神>という言葉で定義され、具体的なイメージで表される<神>ではありません。より抽象的な概念としての<神>です。何故ならば<神>という言葉のイメージは、地域や民族、場合によっては個人レベルで具象化され、固定されてしまうからです。その様に人間の観念から作り出された姿形は、あなた方<神>の本質的な在り様を、正確に表していないのではないかと我々は考えてきました。これは我が<九天応元会(きゅうてんおうげんかい)の創始者である林清虚(リンチィンシィー)が、西域において直接触れた<神>のイメージに基づいています。ですので、これから私が語る内容はより抽象的な、人類がかつて普遍的に抱いていた<神>という概念についての話とご理解下さい。」

「それは、吾等について語ることと同義であると理解してよいか?非常に興味深い。続けることを許可する」

「繰り返しになりますが、人類はいつ、どの様にして<神>という概念を獲得したのでしょうか。我々は<神>という概念そのものが、<神>から人類に与えられたものではないかと考えています。蔵間先生は、その点に関する知識をお持ちでしょうか?」

「人類が社会を形成したのは、吾が吾として存在し始めるよりも、かなり以前の時代だと記憶している。その記憶を、吾は以前に所属していた共同体において共有されていた可能性はあるが、現在は吾の記憶として存在していない。従って、汝の問いに回答することは吾には出来ない」

「承知しました。では我が教団の仮説に基づいて話を進めさせていただきます。我々は人類に与えられた<神>という概念が、あなた方が存在していくために必要なエナジーを獲得するための、ある種のシステム、あるいは装置ではないかと考えています」

「システムですか?」

永瀬がそう口を挿んだので、林は「そうです」と彼に頷いた。

「人類が精神活動により生成するエナジーに、一定の方向性を持たせるためのシステムです。人類が共同体を形成し、それが拡大していく過程で、ある集団では抽象的な<神>という概念を具象化していったと推測されます。そうすることによって<神>の存在を、人々により明確に認識させることが出来たからでしょう。人間が定義した<神>の姿形の多くは、人間にとって既知の存在、あるいはそれに近しい姿をもつ存在でした。例えば人間そのものの姿あったり、動物の姿やその複合体、所謂(いわゆる)キマイラであったりします。そして姿形だけでなく、神々の世界にも<神>の間での血族関係やヒエラルキー、異種族との対立や抗争といった、人間社会と同じ構図が持ち込まれました。その理由の一つは、ある集団では<神>が自分たちの祖霊と定義され、集団内で伝承されてきた歴史を<神>の物語に当て嵌めていたためと思われます。つまり人間社会の過去に遡る延長線上で、<神>とその社会、そしてその営みについてのイメージが構築されていったのです。それは神話という物語として、人間社会に拡散し定着していきました。代表的な例としては北欧神話のアースガルズの神々や、ギリシア神話に登場するオリュンポスの神々があります。しかしその様にイメージを具象化する方法は、<神>にとって必要なエナジーを生産し供給するシステムとしては、あまり効率的に機能しなかったのではないでしょうか?」

「汝は何故その様に思考するのか?」

「先程ご説明いただいたように、あなた方<神>にとって、人間が発する感情の多くは、有害な不純物だからです。私は10年以上前にその事実を、今私の精神世界に存在する<神>から教えられました。そして<神>とその世界に、人間の世界と類似したイメージを持ち込むことには、人間と共通する性質、傲慢さや残忍さの様な性質まで、<神>に付与する結果となったのではないでしょうか。あなた方のお話しを聞く限り、それは<神>の本質とはかけ離れたものだと思われます。しかし、その様な<神>の具象化の結果として、人間は尊崇や畏敬の念だけでなく、他の人間に対するのと同様の憎悪や嫉妬などの有害な感情まで<神>に対して抱くようになったのではないかと考えました。つまり、人間が<神>に向かって、有害な感情を含むエナジーを発するようになったと推測したのです」

「汝の話は興味深いが、吾が所属していた共同体を信仰していた、キリスト教という宗教の考え方と、汝が今語った話とでは、<神>という存在の在り様が随分異なっているようだ。汝はキリスト教徒が規定する異教徒について話しているのか」

「仰る通りです。蔵間先生は異教の神々についてご存じですか?」

「知っているが、直接接触する機会は稀であった。しかし、異教の人間たちが信仰していた者たちも、吾等と同じ存在であった。ただ異なる共同体に所属しているというだけだった」

「それは、あなた方キリスト教の<神>の共同体が、他の異なる宗教の<神>の共同体と、互いに交流を持つことがあったということでしょうか?」

「そうだ。吾等と同様の存在は嘗てこの世界のいたる所に存在し、一定規模の共同体を形成していたという情報を、吾は記憶している。吾等は互いに積極的な接触を試みることはなかったが、偶発的に接触した場合には互いに情報交換を行っていた。勿論吾等の間では、人間の様に互いを排斥しようとする行為は行われなかった。その様な行為は吾等にとって無益であり、そもそも吾等は他を排斥する機能を備えていないからだ」

「ああ、やはりそうでしたか。あなた方の間に存在としての差異はなく、互いに相争うこともなかったのですね?神々の間の境界を決めていたのは、やはり人間だったのですね?」

「その通りだ」

「その通りです」

二人が同時に答える。更に未和子は付け加えた。

「人間とは、必然性のない場所にまで境界を設けようとする不可解な生物です。何故そのような、意味のない願望を持つのでしょうか?」

「一つは生物としての生存競争だと思います」

「その点は理解出来ます。他の生物にも共通して存在する性質ですから。しかし競争が必要でない対象に対しても、人間が様々な境界を設ける事実を私は知っています。例えば、私には認識出来ませんが、皮膚の色彩がその1例です。それは何故ですか?」

「そのご質問にも、先程と同様に答えを持っておりません。申し訳ありませんが」

「貴方が謝罪する必要はありませんが、人間自身にも説明出来ない理由で、そのような行為を行っているのですね。その様な人間の性質は非合理で、やはり私には不可解です」

「今はその理由について議論すべきではあるまい。それよりも先の話を進めようではないか」

二人の対話を聞いていた蔵間が、そう言って未和子を制した。未和子も、「そうですね」と言って同意する。

「ありがとうございます。では話を進めましょう。我々九天応元会では、所謂エイブラハムの宗教――ユダヤ教、キリスト教及びイスラム教について、長年に渡って研究してきました。その教義は勿論のこと、その歴史、教団の組織構成など、あらゆる側面からアプローチを行い、一つの仮説に到達しました。ここからはその仮説についてご説明したいと思いますが、よろしいでしょうか?」

蔵間父娘は無言で首肯した。

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