第三章 神々の黄昏 15節

【15-2】

「汝の要求に従い、これまで通り、この人間の発声器官を用いて吾の持つ情報を伝えよう。直接汝等の精神と交信することは可能だが、人間の言葉を用いる方が汝等にとって利便性が高いようだ。しかし人間の言葉は修辞が多すぎるので、吾にとっては非常に煩わしい。これより先は、吾の思考体系に沿った言葉で、汝等に情報を伝達することにする」

蔵間の口を借りた<神>は、そう言って語り始めた。

「吾とこの者は1962年から共同体を形成している」

そう言って一度未和子を見た蔵間は、永瀬と林に視線を戻して続けた。

「それまで吾は、汝等の良く知るケネス・ボルトンと共に存在した。そしてこの者は、その当時メアリー・ウィンタースと言う名だった人間と共に存在していた。二人はロンドン市内で偶然邂逅したのだが、吾とこの者はその時に共同体を形成することに合意し、その方法として二人が結婚するように誘導したのだ」

「く、蔵間先生、共に存在していたとは、どういうことなのでしょうか?」

「それについて汝が理解するためには、吾等の在り方について、まず説明する必要がある。吾は人間の西暦でいう645年から存在を開始した。この者が存在を開始したのは、1,051年である」

「正確には、1,051年7月22日17時38分です」

未和子が蔵間を補足する。

「この者は、この様にディテールに拘るのだ。まあよい。話を戻そう。吾もこの者も存在を開始した時には既に、人間によって<神>と定義されていた。吾等をその様に定義していたのは、キリスト教と言う名称を持つ宗教の信者たちであった」

「存在し始めたとは、具体的にどのような状況を指すのでしょうか?」

と、林が訊く。

「吾は、吾と同様の者たちから分離し、吾として存在するようになった」

「成程。つまりあなた方は、この様な表現が許されるのであれば、ある個体から分裂して、新たな個体となるのですね?」

「それ程単純ではないが、汝のその推論は概ね正しい。吾等はある時期まで、汝の言うところの個体が集合して共同体を形成していた。その共同体の中では、個体間の境界は明確ではなかったのだ。従って吾は複数の個体の中から分離し、その後共同体を構成する新たな一個体として存在を開始したのだ」

「それは私も同様です」

未和子も蔵間に同調する。

「あなた方は、何故分裂して、共同体内の個体数を増やす必要があったのですか?」

「吾等が、人間の発するエナジーを糧にして生存していることは、先程の汝の説明にもあった通りだ。そして共同体が存在する範囲を拡大し、より広範な領域で人間からエナジーを獲得しようとしていたのだ。これは汝ら人間が構成する、宗教教団の拡張とも連動していた」

「そのあなた方が、どのような理由で単独で生活する、貴方の言葉を借りるならば、存在するようになったのですか?」

「吾が所属していた共同体全体を維持出来る量のエナジーが、人間から得られなくなったからだ」

「そのエナジーとは何ですか?」

そこで永瀬が口を挿んだ。以前林から聞いた話にも、その単語は出てきていたが、彼には今一つ理解できていなかったからだ。

「汝らは自覚しておらぬが、人間が行う精神活動はエナジーの生成を伴っているのだ。人間は認識し、思考し、判断する過程で、必ずエナジーを生成する。そしてそのエナジーは吾等の構成要素に非常に近いのだ」

「構成要素とはどの様なものでしょうか?ご説明いただけますか」

と林が要望すると、

「吾という存在の最小単位だ。異なる点も多くあるが、汝ら人間にとっての細胞と認識すればよい」

という答えが蔵間から返って来た。

「ああ成程、ありがとうございます。どうぞ続けて下さい」

林はそう言って蔵間を促した。

「吾等は人間が発するそのエナジーを摂取し、吾等の一部とすることで自身を維持している。それを消費して思考し、記憶し、情報交換する。摂取するエナジーの量が、定常的に消費する量をある程度上回れば、複数の個体から新たな個体を生成する」

「なる程よく解りました。我々はあなた方が、複数の個体によって形成される集合体ではないかということについては推測していましたが、個体の誕生については考えが及んでいませんでした。そういう意味で今の先生のご説明は、我が教団にとって新たな知見です。しかしそうであれば別の疑問が生じます。理論的には人間の数が増える程、あなた方が吸収出来るエナジーの量は増加し、結果あなた方は個体数を増加させることが出来るはずです。しかし貴方は今、共同体を維持出来る程のエナジーが得られなくなったと仰った。それは何故ですか?」

「人間の発するエナジーに含まれる有害な不純物が、急速に増加し始めたからだ」

「不純物ですか。私は以前その話を、私の中にいる<神>との交信で知りました。その有害な不純物とは、具体的にどの様なものなのか、貴方の言葉でもう一度ご説明いただけますか?」

「人間が生成する感情というものだ。例を挙げるならば、好意、憐憫、憎悪、嫉妬、侮蔑、敵意、恐怖、その様な精神活動の副産物のことだ。人間は、精神活動に伴ってエナジーを生成すると同時に、必ずと言ってよい程感情という、吾等には不可解なものを生成する。それらの感情は基本的に、吾等の構成要素にとって有害である。以前は、吾等が共同体として共に存在していた人間たちが生成するエナジー中の、有害な不純物の含有率は比較的低く、吾等にとって危険となるレベルではなかった。吾等はある程度の量の不純物であればそれを除去し、吾等の生存に必要な、純度の高いエナジーを得ることが出来たのだ。しかしある時期より、有害な不純物の含有率が急激に増加し始め、やがて吾等が処理しきれないレベルまで増加したのだ。それは吾等にとって深刻な事態であった。何故ならば、人間が発するエナジーを、直接自身の構成要素として利用する吾等が、その様に有害な不純物を含むエナジーを摂取してしまうと、その影響を直接的に受けてしまうからだ。吾等は有害な不純物の含有比率の少ない、少量のエナジーを利用するしかなくなった。その結果、吾等が利用可能なエナジーの絶対量が不足し、共同体のみならず個体を維持することすら困難になってしまったのだ」

「あなた方にとって、有害ではない感情とはどの様なものなのでしょう?」

「人間の言語を用いるならば、<神>や他の人間への尊崇や親愛、好意等という種類の感情は、吾等にとって有害の度合いが低いし、エナジーからの除去も容易なのだ。尤も、吾はそれら感情の間の差異を、正確に認識出来ないのだが。もし仮にそれらの不純物が残留していたとしても、吾等にとって極めて害が少ないし、比較的短時間のうちに消失するのだ。一方で吾等にとって有害な度合いの高い不純物は、いつまでも滞留し、除去することが非常に困難なのだ」

「それは人間の感情の在り様を端的に表しているようで、非常に興味深いですね。しかしあなた方にとって無害なエナジーの量が不足し始めたということは即ち、ある時期から人間が、あなた方<神>を尊崇しなくなったということでしょうか?」

「そうではありません」

そう言って、横から未和子が話を引き取った。

「この国の状況とは異なり、私が長く存在していたヨーロッパという地域では、今でも私たちにとって有害度の低い不純物を含有するエナジーを生成する人間は、多く存在しています。おそらく他の地域でも同様でしょう。しかしそれよりも遥かに多くの有害な不純物を含むエナジーが、人間たちの精神から生成されるようになったのです。それは有害度の低い不純物を生成する人間でも同様なのです」

「それはキリスト教の敬虔な信者で、あなた方を<神>として尊崇する人々であっても、あなた方にとって有害となる感情を、多く持つようになったということでしょうか?」

「あなたの推論は事実に近いと思考します」

「それでもまだ疑問は残ります。キリスト教はヨーロッパ諸国を起点として、世界各地に広がり信者を獲得してきました。その数は現在では、地球の全人口の三分の一に達していると言われています。いくら人間の発する有害なエナジーが増加したとしても、信者の絶対数が増加すれば、あなた方に必要なエナジーの絶対量は、それに伴って増加するのではないのですか?つまりあなた方の信者が、<神>であるあなた方に向ける、尊崇の感情を含むエナジーのみを選んで吸収すればよかったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか」

「汝のその仮定は、人間が自らの意思で信仰を始めた場合に当てはまる。しかしキリスト教はその教義を広めるにおいて、所属する国家や民族集団のテリトリーの拡張を持ってした。その際には多くの場合、軍事力の行使という排他的な手法が用いられた。その様にして獲得した新たなテリトリーで、新たに獲得した信者から得られる、吾等にとって有害でないエナジーの量は少量であった。そしてそれ以外のエナジーは、有害な不純物を大量に含んでいたのだ。他の宗教でもそれは同様であったかも知れないが、キリスト教においては、それが顕著であったのだろう。結果的にキリスト教の支配圏全体では、吾等にとって有害でないエナジーの総量が減少することになったのだ」

「私は以前から不可解でならない。何故人間は、同種の生物である他の人間を憎悪し、侮蔑し、あるいは嫉妬するのですか?何故対象の生命活動を停止させたいと願望する程の、強い敵意を抱くのですか?」

未和子の疑問を、蔵間が補足した。

「確か人間には、論理的に理解出来ない部分が多い。例えば人間は何故、実際に必要な量よりも、遥かに多くの物を所有したがるのだ?使用しないのであれば、所有する意味がないのではないか?将来の使用に備えているのか?しかし個体としても、あるいは家族という共同体としても、消費し尽くすことが到底不可能な量の物を所有している人間がいる。人間はそれを<富>と呼ぶようだが、それは所有すること自体に何か意味があるということなのか?吾は存在を開始して以来、人間のそのような性質を分析してきたが、<富>という概念を正確に理解することは困難だった。ただ一点、人間のあらゆる感情は、欲望や他者への愛情も含め、人間の抱く<願望>に起因していることは解明出来た。人間とは何と多くの<願望>を持つ生物なのだろう。可能であれば汝等から、その理由を共有されたいものだ」

蔵間父娘の声を借りて、人間の本質に関する問いが発せられた。

「その問いに対する回答を、残念ながら私は持っていません。おそらく永瀬先生もそうでしょう。いかがですか?永瀬先生」

そう言って、林は永瀬を見た。永瀬は首を横に振る。彼にとって最も苦手な、人間の本質に関する問だったからだ。

「そうであろうな。吾が1,300年以上分析しても、解明出来なかったのだからな」

二人の反応を見て蔵間は、感情の籠らない口調でそう言った。

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