第三章 神々の黄昏 15節

【15-1】

むかつく。OL風の馬鹿女。

電車を降りた途端に、スマホ見ながらちんたら歩いてんじゃねえ。

後ろが詰まってるだろうが。邪魔なんだよ、お前。どけよ。

そんなことにも気づかないくらい鈍感なのか?

どうせ、どうでもいいようなことを、LINEでやり取りしてるんだろう。

それは今すぐに、ここで、どうしても、しなきゃならないことか?

今そのスマホを見なかったら、お前は死ぬとでも言うのか?

そんなことをしている暇があったら、さっさと会社に行けよ。

一応会社に雇ってもらってるんだろうがよ。給料貰ってるんだろうがよ。

だったら前見てさっさと会社に行って働けよ。

どうせ碌な仕事もしていないんだろうが、それでも会社に給料払って貰ってるんだろうがよ。

お前みたいな奴を雇ってる会社の、社長の顔が見たいよ。

このご時勢に、よっぽど景気のいい会社なんだな。お前みたいな奴に給料払えるくらいだからな。

LINEしながら、のろのろ歩いてるんじゃねえよ。お前は牛か?

だったら牧場で草でも食んでろよ。街中に出てきて、人間様の邪魔してるんじゃねえよ。

いっぱしにスマホなんか使ってんじゃねえ。電波の無駄遣いなんだよ。

どうせLINEの相手も、牛並みの馬鹿なんだろうが。

馬鹿同士まともに口もきけないから、せっせと文字打ってるだけだろう。

周りがお前をどう見ているか、気づいてもいないだろう。

鈍感すぎるんだよ。少しは周りの目を気にしろよ。

通勤時間帯だから混んでるだろうがよ。それが分からないのか?

お前一人のせいで、余計に混雑しているだろうがよ。

仕方なしにホームの端っこを歩いてる人もいるぞ。危ないだろう。

あの人が線路に落ちたら、お前のせいだぞ。解かってんのか?

あの人が落ちたら、どうやって責任取るつもりなんだよ。

牛だから責任なんか関係ないってか?

お前みたいな牛のせいで、父親亡くす子供の身にもなってみろよ。

まだやってやがるのか?エスカレーターから蹴り落としてやろうか。

くそっ、マジで蹴り落してやりたい。

蹴り落してやるぞ。

蹴り落す。

蹴り…。

…。


***

林海峰(リンハイファン)の言葉に思わず立ち上がってしまった永瀬だったが、無言で自分見つめる三人の視線に、急激にテンションが下がった。彼は自分が大きな声を上げてしまったことに、気恥ずかしさを覚え、黙ってソファに座り直すのだった。

しかし永瀬には、林が何を言ったのか未だに理解出来なかった。

――やはりこの男は、精神を病んでいるのではないか?言うに事欠いて、蔵間先生と美和子さんが<神>だって?

永瀬は隣に座っている得体の知れない男から、これまで以上に、底知れない不気味さを感じていた。

「私の精神状態は至って正常ですよ、永瀬先生」

林は、永瀬の心を読んだかのようにそう言うと、

「先生が私の精神状態に疑義を抱かれるのも無理はありません。眼の前に<神>がおわすなどと言われて、容易に納得など出来ないでしょう。ですので、蔵間先生と美和子さんに直接お聞きしたいと思います。あなた方は<神>でいらっしゃいますね?」

と、蔵間父娘に向かって、直接的な質問を投げかけた。

永瀬は思わず二人を見る。彼は、蔵間たちが林の言うことを否定してくれることを、自分が強く望んでいることに気がついた。永瀬の知る蔵間顕一郎(くらまけんいちろう)とは、一部の隙もない自然科学の権化ともいえる存在であり、こんな非科学的で非常識な話を受け入れることは決してないと思ったからだ。蔵間が林の妄言を否定してくれれば、自分はこの異世界から脱出することが出来ると、永瀬は彼に強い期待を寄せた。しかし彼のその期待に反し、蔵間は何か得心したように満足げな表情を浮かべ、未和子は目を大きく見開いて身を乗り出すようにしている。

――もしかして教授は、本当に<神>だというのか?そんな馬鹿な話があってたまるか

心の中でそう否定しつつも、永瀬の背筋に悪寒が走る。しかし、そんな彼の心中の葛藤を他所に、蔵間は真剣な表情を作って林に問い返した。

「何故そう思うのかね?」

「私は本日ここにお伺いするまで、一抹の不安を抱いておりました。もしかしたら、お二人が<神>という私の推定は誤りなのではないのかと。以前から先生が、私の精神に干渉しようと試みられていましたので、薄々察してはいましたが、それでも確信には至っていませんでした。しかし今は確信しています。その理由は二つ。一点目は、先生がこれまで私が一度もお話したことがない、11年前の私の経験を既にご存じだったこと。永瀬先生からも、お聞きになっていないようでしたしね。そして二点目は、先生も未和子さんも先程来の私の話を、何の疑念も挿まずに事実として受け入れていらっしゃる。私の話を聞いた場合の反応としては、永瀬先生の方が正常なのです。しかしあなた方は、永瀬先生とは真逆の反応を示されている。それはお二人が、私の話が事実であることを、ご存じだからではないのでしょうか?」

「君はここに来る前から、私たちが<神>だと考えていたというのか。面白い」

「林さん、先生、一体これは何のお話しなのでしょうか?私にはお二人の会話の意味が全く理解出来ません。先生は、ご自身が本当に<神>だと仰るのですか?」

二人のやり取りについて行けず、永瀬は泣きそうな表情で言った。

――この人たちは一体、何の話をしているんだ。この三人は狂っているのか?もしかしたら、狂っているのは僕の方なのか?

すると林が、

「永瀬先生、混乱させてしまったようですね。大変申し訳ありません。先生にご理解いただくために、少し順序立ててご説明したいと思います」

と、永瀬の混乱を察したように言うと、彼に真剣な眼差しを向けた。永瀬はその揺るぎない表情を見ると、何故か休息に安心を覚え、思わず頷いていた。そして蔵間父娘は、再び林の話を聞く姿勢に戻る。

「少し失礼な言い方になりますが、今、永瀬先生の前に座っておられるお二人は、生物と言う意味において、先生が知っておられる蔵間顕一郎教授と美和子さん、つまり人間です。それは渡英前と何ら変わりません。しかしお二人は英国で、恩師であるボルトン夫妻の臨終に立ち会われた。その際にボルトン夫妻の周辺、あるいはお二人の精神世界の中に存在していた<神>を受け継ぎ、共に帰国されたのではないかと考えられます。勿論それは、蔵間先生と未和子さんの意思ではなかったかも知れませんが。これは以前、永瀬先生にもお話したように、私の父の精神世界に存在していた<神>の記憶と合致する事象です」

「仰る意味が、僕には全く理解出来ません、林さん。貴方の話を聞いていると、僕は自分が精神に異常を来しているような錯覚に陥ってしまう。それに蔵間先生、未和子さん、お二人は林さんの話を肯定なさるのですか?」

林が何か言おうとするのを制して、蔵間が厳かに言った。

「永瀬君、私と美和子に関する、林君の今の説明は概ね事実に沿っている。何故彼がそのことを、これ程正確に知っているのか、非常に興味深いことではあるのだが」

蔵間の肯定に、永瀬が二の句を継げずにいると、

「蔵間先生――便宜上そう呼ばせて頂きますが、先生のお言葉で、正確な事実を説明していただくことは可能ですか?」

と林が言った。

「よかろう」と言って肯くと、突然蔵間の口調が変わった。

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