第三章 神々の黄昏 15節

【15-3】

「そのことは置いて、話題を戻しましょう。あなた方は共同体を維持出来なくなったと仰った。ではその後は、それぞれ個体として存在し続けて来られたのですね?」

蔵間父娘の疑問は解答されないまま残ったが、林はそう言って話を先に進める。

「吾とこの者はそうだ。しかし今でも共同体として存在を続けている者たちも、いるかも知れない。吾とこの者も、以前は共同体として存在していた」

「以前と言うことは、今は共同体ではないのですか?」

「違う」

「違います」

蔵間父娘が同時に答えた。

「吾とこの者は、ケネス・ボルトンとメアリー・ボルトンと共に存在していた時までは、人間の精神世界の外部にいたのだ。それは吾やこの者が、存在を開始した時からの在り方だった。吾等の共同体の在り方もその様であった。しかし現在吾は、この蔵間顕一郎という人間の、この者は蔵間未和子という人間の精神世界の中に存在している。従って吾等は、もはや共同体とは呼べなくなっているのだ」

「その点について、少し詳細にご説明いただけますか?我が教団は今貴方が仰ったように、あなた方<神>は、本来人間の精神世界の外で存在されていたと推察しています。今の貴方のお話しには、その点で非常に関心があります」

「汝が主張することは興味深いな。吾は汝の様な人間を過去に知らない。一度汝に、その教団について説明を受けたいものだ。しかし今は汝の要求に従って、吾からの情報伝達を継続しよう」

そう言いながらも蔵間は、一息おいて自分のお茶を口にした。

――<神>も話し続けると、疲労を覚えるのだろうか?あるいは、その口を借りている蔵間の疲労が、<神>にも影響するのだろうか?

永瀬はそんなことをぼんやりと考えながら蔵間を見ていた。蔵間はテーブルに麦茶のグラスを置くと、再び語り始めた。

「吾等は本来、人間の精神世界の外で存在していた。共同体を形成する場合、個体間の境界は接続された状態になるので、情報や記憶の共有を極めて短時間で行うことが出来たし、人間から摂取したエナジーを共同体の中で共有することも容易であった。しかし有害物を含むエナジーの量が増加するに従って、共同体はおろか個体の維持すら困難になってしまった。その結果、吾等は共同体を解体し、個々に生存の方途を探る決断をしたのだ。それは吾等にとって非常に困難なことであった。何故ならば、吾等にとって有害でないエナジーを生成する人間を、各々の個体が見つける必要があったからだ。それが不可能である場合、吾等はエナジーを摂取出来ず、自身を維持することが出来ない。また仮に人間から摂取するエナジーが少量である場合にも、思考することによって徐々に自身の構成要素を消費してしまう。しかし吾等が、思考を停止することは出来ない。それは、吾等が存在する意味を失ってしまうからだ。そして個体を維持することが困難な状況になった場合、吾等には二種類の選択肢しかない。そのまま消滅する危険を冒して、より多くの、そして吾等にとって有害でないエナジーを生成する人間と接触する機会を待つか、あるいは比較的有害さの低い人間の精神世界の中に入るかのいずれかだ」

永瀬は蔵間の口を介して発せられる、<神>の嘆きとも呼ぶべき言葉の数々を、固唾を飲むようにして聞いていた。気づけば、<神>の存在を疑う心は彼の中から消えている。

「あなた方の共同体はどれ程の規模を持っていたのですか?現在の様に縮小する以前という意味ですが」

「吾が存在を開始した時点では、英国のリバプールという都市全体をカバーする程度の規模だった。それよりも以前には、現在ロシアと北欧と呼ばれている地域の一部を除く、ヨーロッパ全体に広がっていたという情報を、吾は所属する共同体から共有された」

「ヨーロッパ全体ですか?」

永瀬は、想定外のその規模に驚いた。

「そうだ。しかし共同体は徐々に縮小し分裂していった。その結果として吾等が存在する領域は徐々に疎になっていった。それでも嘗ては共同体間の接触を保ち、情報交換を行っていたのだ。先程汝らに伝達したキリスト教伝播の情報についても、その様なネットワークによって吾が所属していた共同体に共有されたものだった」

「縮小したとは言え、現在も<神>の共同体が存在している可能性はありますか?」

林が訊くと、

「その可能性は否定出来ない」

と蔵間が答えた。

「例えば現在も存在している共同体に、あなた方が改めて加入することは出来ないのでしょうか?」

「それは非常に困難であると推察される。何故ならば、吾の所属していた共同体が解体した時よりも、現在では吾等にとっての生存環境が遥かに悪化しているからだ。従って仮に現存する共同体があったとしても、既に所属する個体数を維持することすら困難な状況にあると推定される」

「新たなメンバーは受け入れる余地はない、ということですね?」

「そのように推察される」

「そしてあなた方は、蔵間先生と美和子さんの精神世界の中に入ることを選択されたのですね?」

「そうだ。吾等に他の選択肢はなかった。この人間たちがケネス・ボルトンを訪問した時、ケネス・ボルトンとメアリー・ボルトンは、病原性微生物への感染が原因で既に生命活動を停止していた。吾等はその時まで、その二人の人間たちの精神世界の外部に存在していたが、二人の発するエナジーの絶対量が著しく低下していたため、構成要素のかなりの部分を失っていたのだ。そして吾等の構成要素は、二人が生命活動を停止してからの短時間の間に、精神世界の外部で存在することが困難になる程まで減少していた。勿論この蔵間顕一郎と蔵間未和子という人間たちと共に移動するによって、より多くのエナジーを発する他の人間と接触できる可能性は残されていた。しかしその時点で、吾等が外部で存在を維持することが出来る時間は、非常に限られていた。その結果吾とこの者とは、各々がこの蔵間顕一郎という人間と、蔵間未和子という人間の精神世界に入ることに合意し、実行したのだ」

「私たちにとってそれは、あなた方人間の言語表現を借りるならば、苦渋の決断でした。何故ならば、貴方が過去に交信した者から伝達されたように、私たちが一旦人間の精神世界の中に入ってしまうと、その世界が消滅するまで外部に出ることが出来ないからです」

蔵間を引き取って、未和子がそう言った。その表情は言葉通り苦渋に満ちているように見えた。

――まるで<神>の苦悩を、未和子さんが実際に代弁しているようだ。もしかしたら美和子さんの中にいる<神>の方が、先生の中の<神>よりも、より強く人間の影響を受けているのかも知れないな。

彼女の表情を見て、永瀬はそう思ったが、その時ふと大きな疑問が浮かんだため、それを口にする。

「今更ながらの質問になりますが、少しよろしいでしょうか。あなた方が<神>であるという前提でお訊きしますが、今現在、先生と美和子さんの自我はどのような状態なのでしょうか?つまりお二人は、今行われているこの会話を、どのように認識されているのでしょうか?」

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