第26話

 岡田は歓楽街を歩いていても「ご苦労さんです!」とすれ違った男から声がかかることもあった。


「小野寺、今夜は俺の行きつけのちょっと変わった店に付き合え」


 岡田は僕が返事をする間もなく、比較的新しい商業ビルのエレベータに乗った。

 四階で降りると目の前に「大田」と書かれた店のドアがあった。


 岡田に続いて店に入ると、クラブ調のゴージャスな雰囲気がする店だった。


「いらっしゃい、岡ちゃん。今夜は早いのね」


 民族衣装のような、僕がこれまで見たこともない衣装を着た女性たちに囲まれた。


 店内は奥に小さなステージが設けられていて、ちょうどサラリーマン風の中年男性がカラオケを歌っていた。

 八人は十分座れそうなゆったりしたボックス席に僕と岡田は腰をおろした。


 たちまちホステスがあとふたり増えて、四人のホステスが僕と岡田を囲んだ。

 彼女たちが着ているのは「チョゴリ」という韓国の民族衣装と知った。


 この店は韓国バーだと岡田が僕に教えてくれた。

 店の「大田」という名称は「テジョン」と読むのだそうで、店のオーナーの出身地とのことだった。


「小野寺、今日は飲むぞ!」


 岡田は宣言するように言うと一気にグラスのビールを飲み干した。


「アンちゃんも最初に伏見稲荷でバイトに来てから、地方のバイへ付き合ってくれたり、これまでかなり場数を踏んだな。アンちゃんはもう百本近くはバイしとるやろ。もうイッパシのテキ屋衆や」


「その・・・アンちゃんって言うのはなんとかなりませんか。僕ももうオトナですから」


「そうか、そら悪かった」


 岡田はホステスに韓国焼酎のボトルを持ってこさせて、少し水で割って飲み始めた。


「小野寺よ、俺はな、アンタが気に入ってるんやで。アンタのその飄々とした感じと、苛々するくらいの生真面目さが好きなんや。うちのテキ屋衆はいろんな奴がいてな。そこそこの歳の連中は皆大なり小なり脛に傷ある奴ばかりで一筋縄ではイカンし、気性の悪い奴もおるからな、まとめるのは大変なんや。まあ、まとめようと思うのが間違いやけどな」


 ホステスが僕にも韓国焼酎の水割りを作って「どうぞ」と置いた。 

 色の白い可愛い女の子だった。

 テレビに最近よく出ている若い清純歌手に似ているなと思った。


「岡田さん、僕は全然真面目なんかじゃないです。前にも言ったかもしれませんけど、僕は自己中心的で、いい加減なクソ野郎なんです」


 レモンスライスが一枚入った韓国焼酎の水割りをいったん口に含んでから、ゆっくりと喉に落とし込んでいくと、意外に美味しかった。


 一杯のグラスは直ぐに空いた。これならいくらでも飲めそうなリキュールだった。


「アンタのそういうムキになるところがな、俺は好きなんや。今日は兄弟の盃を交わそうと思うて付き合うてもろうたわけや。まあドンドン飲んでくれ」


 初めて岡田と会ったのは、大学一年の年末年始に伏見稲荷神社で甘栗を売ったときだった。

 そのころは露店がテキ屋と呼ばれていることさえ知らず、テキ屋の世界の欠片も分からなかった。


 今でも業界の詳しいことは知らないが、各地でバイをさせてもらう段取りやルールは岡田などから見聞きしてある程度分かってきた。


 以前岡田が言っていた「筋を通す」ということが最も重要だということも、各地をバイに回って、周囲を見て理解していた。


 テキ屋はヤクザとは異なる。でも現実は関与する部分があることは、露天という商売の形態では必然だ。

 祭事には賑やかな祭りを盛り立てるために露店が必要だ。


 露店の場所によって売れる売れないが当然ある。露天商たちの世話をしたり、場所をクジで決めたり、トラブルにならないように仕切る世話人が必要なのだ。

 それが庭場と呼ばれる世話人で、多くは地元のヤクザであることは業界の性質上、やむを得ない。


「小野寺、さっきから何を考えとるんや。ドンドン飲んで女の子の尻でも触ったらんかい」


 岡田はかなり酔っていた。

 だが、昨年の夏に島根の松江で飲んだときも、大量のアルコールが体内に入っているはずなのにカラオケを歌い踊り、そして酔いつぶれた僕を宿まで運んでくれたことがあった。


 彼は中背でどちらかといえば細い体躯だが、よく鍛えられた筋肉質で超人的な体力を持っているようだった。


「小野寺よ、兄弟の盃や。俺が六分飲むよってな、お前は残りを飲み干すんや。四分六の兄弟ってやつや。ま、正式やないから俺とお前とのふたりだけの儀式や」


 岡田はそう言って、僕の目の前に韓国焼酎のオンザロックを差し出して、それからグッと飲んだ。

 グラスの半分より少し下まで飲んでから、岡田はそれを僕に差し出した。


 周りのホステスたちがじっと見守っていた。

 残りの焼酎を僕は一気に飲み干した。


 ヤクザ映画によく見られる兄弟の盃の真似事だが、僕は岡田と兄弟というよりも親しい友人になったような気がした。


 大学では学部内でも部活においても誰ひとりとして親しい学生がいないというのに、岡田は頼れる先輩のようだった。

 僕の大学生活は受験雑誌に紹介されているようなものとはすっかり異質のものになっていた。


「よし兄弟、これからも頼むぞ」


 岡田は嬉しそうな顔をして言った。


 僕は岡田が好きだ。僕のような人間を大事に扱ってくれることがとても嬉しかった。


 大学生活では得られない心地良さを、テキ屋の世界で感じていた。

 僕は酒の酔いとともに涙が溢れてきた。


 それは決して悲しい涙ではなく嬉しさによるものだったが、岡田に気づかれないようにおしぼりで顔を何度も拭いた。

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