第4話「憧れのパピコ」

【第3話】

https://kakuyomu.jp/works/16818023214000463302/episodes/16818093075675294441


「私、一度やってみたかったことがあるんですよ」


 挨拶もそこそこに、私は茶色いパピコ(チョココーヒー味)を、目のまえにいるメガネのお兄さんあらため、赤城あかぎさんにババーンとかかげてみせた。


「今日はこれ、シェアしませんか」


 ❅


 三月にはいって寒さのピークは越えた感じがするけれど、春はまだ遠い。


 日勤帰りの夕方六時すぎ、時おりピュウっと吹く風に肩をすぼめながら、私はプチっと割ったパピコを若干戸惑ったようすの赤城さんに手渡した。

 アイスにかぎったことではないけれど、なにかをシェアするときはおごりか割り勘か問題が勃発する。今回は私のためにおごられてくださいと押しきった。


 人に対して、こんなに積極的になるのはもしかしたらはじめてかもしれない。

 たぶん、自分で思っている以上にうれしかったのだ。赤城さんがほんのすこしすれちがった程度の『私』を認識してくれていたことが。


 日々相手にしている多くの利用者さんは職員の『個』を認識できない。ある人にとっては、職員みな自分の世話をしてくれる『お兄さん』や『お姉さん』だし、妄想が爆発している人にとっては『人殺し』だったり『泥棒』だったりすることもある。

 いずれにしろ、記憶が維持できない相手との関係構築は瞬間的なものでしかない。

 そして職員同士の会話といえば当然ながら業務関連のことが大半をしめるし、たまの雑談もグチと悪口ばかり。


 私はきっとひどく、なんでもないふつうの『会話』に飢えていたのだと思う。


 このまえも、気がついたときにはアイスを理由に赤城さんを誘っていたし。もしかしたら知らないうちにシンパシーを感じていたのかもしれない。

 結論からいえば、それはたぶん正解だった。

 たった数分の雑談で、ずいぶんと元気になっていた現実がなによりの証拠だ。


 ひさしぶりに、人間にもどったような気がした。

 ずいぶんと大袈裟なようだけれど、だったらそれまでの私はなんだったんだよとも思うけれど、そう感じてしまうほどに心がすり減っていたということなんだと思う。


 行きつけのコンビニがおなじで、真冬でも食べるくらいアイスが好きというだけの薄いつながりは、思う以上に私を大胆にさせた。


 パナップよりさらに長い歴史を持ったグリコのロングセラーアイス、パピコ。シェアが前提とされているこれを誰かと一緒に食べてみたかったというのは事実だけれど、ひとりパピコだってべつに悪くないし特に深い意味があったわけではない。もちろんグリコのまわし者でもない。ただ単純に誘う理由がほしかっただけだ。


 いつもくたびれた空気に包まれている赤城さんだけれど、今日は特に疲れているというか、ずいぶんげっそりしているように見えた。どこか具合が悪いのではないかと心配になるほどに。

 このまえも夜勤明けで呼び戻されていたし、きっと大変な仕事をしているのだろう。


 赤城さんの仕事がなんなのか、気にならないといったらウソになる。しかし私は自分が介護士であることを彼にいいたくなかった。


 職業に貴賎なしなんていうけれど、社会的評価はなかなかあがらず給与もあがりにくい介護職を『下』に見る風潮は依然として残っている。

 それでも私自身が介護の仕事に誇りを持っているなら、世間の評価など関係なく胸をはれるのかもしれないが、残念ながら持っているのは徒労感ばかりときている。


 私はまだ、赤城さんが職業で人を判断するような人ではないと確信できるほどその人柄を知らない。

 万が一、職業をあかして上下をつくられてしまったら、それはとてもかなしい。

 だからといって、自分の職業を隠して赤城さんにだけたずねるわけにもいかないだろう。

 踏みこまれたくないなら、踏みこまないにかぎる。


 ❆


 思いのほか上品でなめらかな口あたりのパピコだけれど、容器をにぎる手が非常につめたくなるのが難点だ。しもやけになりそうである。

 ぎゅうっと中身をしぼりだしては、片手ずつグーパーしたり太ももをこすったりして手のひらのつめたさを飛ばす。

 となりを見れば、やはり赤城さんも手をひらひらさせたり膝をこすったりしている。

 視線を感じたのか、こちらを見た彼とバチっと目があってどちらからともなく笑いだしてしまった。


「すいません。外で食べるチョイスじゃなかったですね」


 しかもあきらかに疲れている人に対して、なんたる暴挙かと今さら気がついた。


「いや、これはこれでおもしろいですよ」

「そういっていただけると。このあいだから私、強引ですよね。自分でもびっくりしてるんです。人とコミュニケーションとるのが仕事みたいなところあるんですけど、プライベートではそういうのぜんぜんダメで。気軽に話せる友だちひとりいないもんだから、なんか変に舞いあがっちゃって」


 落ちついて言葉にしてみると、だいぶ恥ずかしい。


「俺もおなじです。仕事以外で人と話すなんてすごいひさしぶりで、だからうれしかったですよ。誘ってもらえて」

「ほんとうですか」


 ほんとうかと問われてほんとうじゃないと答える人はあまりいないだろう。

 大丈夫かと問われると反射的に大丈夫といってしまうのとおなじようなものだ。

 それでもつい口にしてしまうのは、ほんとうだという言葉を相手の口から聞いて安心したいからなのかもしれない。


 そうして赤城さんは「ほんとうですよ」と、私が望むとおりの答えをくれた。けれど、どこにも力がはいっていないその声音はとても自然で、きっと本心なのだろうと私に思わせてくれた。


「俺、基本的にマイナス人間なので、自分からはなかなか行動を起こせないんですよ。情けないんですけど」

「……私たち、似た者同士なのかもしれませんね」

「そうなんですか?」


 赤城さんは驚いたようにメガネの奥の目を瞬かせた。


「意外ですか?」


 反則を承知で質問に質問で返してみる。


「……そうですね。江崎えざきさんにはプラスの雰囲気があるので」

「それはきっと、私がそういう服を着てるからですね」

「服、ですか」

「仕事がね、善……善悪の『善』をまとう仕事なんです。人に寄りそって、あなたは大切な存在ですよーって伝えるような。でも、私自身が本心からその人たちを大切に思ってるかっていったらそんなわけないんです。百人中百人を、しかも赤の他人を心から大切になんて思えない。だからように、善でつくられた服を着るんです。それが、仕事だから。私がプラスの人間に見えるのだとしたら、それはある意味で職業病ですね。だって、服の下にいる私はぜんぜんちがうもの」


 勢いのままに吐き捨てて、途端に後悔する。

 こんなこと、知りあったばかりの人にするような話じゃないだろうに。

 ていうか、介護士だとあかしたくないといいながら、なにペラペラしゃべってるんだろう。


 気まずさをごまかすように、やわらかくなってきたパピコをぎゅうっとしぼりだしてチュウっと吸いこむ。

 つめたい。甘い。かすかな苦味がいいアクセントになって、シンプルにおいしい。


 すこしの沈黙をはさんでから「このまえのつづきなんですけど」と、赤城さんが口をひらいた。


「どうして冬でもアイスを食べるのかって」


 そうだった。答えを聞くまえに赤城さんに仕事の電話がはいって、そのまま別れたのだった。

 赤城さんはまた少しのあいだためらうように沈黙して、それから思いだしたようにパピコに吸いついて、やがて観念したみたいに口をひらいた。


「なんでもかんでも運のせいにするのはどうかと思うけど、世の中にはとことんついてない人間ていうのが確かにいて、俺の仕事はそういう人たちとかかわることが多いんです。そうすると時々考えてしまうんですよ。最低限の生活すらできない人たちがいるなか、仕事があって、雨風をしのげる家があって、コンビニで好きなアイスを買える俺はまだマシなんじゃないかって。そう思いたいがために、俺は一年中アイスを買ってるのかもしれません」


 ああ、そうか。と思う。前回私が『贅沢しあわせの象徴』とか脳内お花畑みたいなことをいったから。自分の『まだマシ』という理由が私を傷つけるのではないかと、この人はこんなにも話すのをためらったのだ。


「赤城さん、やさしいですね」

「……は、え!? いや、この流れでなんで!?」

「だってその理由が私を傷つけるかもしれないって思ってくださったんでしょう?」

「あ、いや、それは、その……」


 ゴニョゴニョと言葉を濁す赤城さんに笑みがこぼれる。


「私は『しあわせ』だと思いたいから。赤城さんは『不幸じゃない』と思いたいから。似てるようで、ぜんぜんちがいますね?」


 方向的にはプラスとマイナスで真逆といってもいい。


「そう、ですね……って、なんでちょっとうれしそうなんですか」

「わかりません」

「ええ?」


 ほんとうにわからない。なぜか『ちがう』ということをうれしく感じた。

 無理に同調しなくていいし、共感してもしなくても、きっと私と赤城さんの関係性は変わらないだろう。

 その安心感が、私に『うれしい』と思わせたのかもしれない。

 なんて、理由らしきものをみつけて安堵している自分にふと気づいてしまって、ちょっと沈む。


 介護の仕事は言動のすべてに『根拠』をもとめられる。なぜ、なぜ、なぜ。つねに問われる『なぜ』に理由を用意しておく必要がある。それが、たとえば事故が起きたときなどには自分を守ることにもつながるのだけど、時々たまらなく息苦しくなってしまう。

 だというのに、今この瞬間のような、その必要がないときでも結局また理由づけをしている自分がいる。これも職業病だろうか。


「私がアイスにしあわせを感じるのは、たぶん子どものころのしあわせだった記憶があるからなんです。でもそれって、過去のしあわせなんですよね。今じゃあない」


 ハッとしたようにこちらを見た赤城さんに、にこりと笑ってみせる。


「ね? そう考えると、どっちがプラスなのかわからなくなりません?」

「確かに……そうですね。ほんのすこし視点を変えるだけで、まったくちがうものが見えてきたりしますからね」

「でしょう?」


 そのとき私はふいに、ほんとうになんの脈絡もなく『転職しようかな』と思った。

 中学生のときからずっと、公私ともに介護しかしてこなかったのだ。一度くらい離れてみてもいいんじゃないだろうか。

 やりたいことや好きなことがなくたって転職はできる。


「不思議なんですけど、こうしてお話ししていると、なんかどんどん心が元気になっていくんですよね」

「あ、わかります。俺もこのまえからそんな気がしてたんです」

「よかった。赤城さんもそうなら、きっと気のせいじゃないですね」


 もしかしたら、ほんとうに人生変えられたりして。

 ふと、そんなことを思う。


 この関係はなんだろう。

 友だちでもない。仲間ともちがう。単なる顔見知りといってしまえばそれまでだけど。

 それぞれに変わらない人生をなげきながら、積極的に変えるエネルギーがなくてあきらめてしまっていた。

 それが、アイス好きだというその一点だけでつながって言葉をかわすようになり、元気をチャージしている。


 もしもこの出会いが、お互いの人生を好転させるためのものだとしたらどうだろう。

 同盟関係——とか?

 コンビニアイス同盟?


 自分の思いつきにちょっとテンションがあがる。

 だってそれは、なんだかとても素敵な思いつきのような気がしたから。


 ほんの一瞬迷ったけれど、アイスで乾杯する赤城さんならおもしろがってくれそうだなと話してみれば、思ったとおり「そりゃいいや」とのってくれた。

 しかし所詮ただの思いつきである。すぐに思考が行きづまってしまった。


「あのぉ……自分からいいだしといてなんなんですけど、同盟ってなにをすればいいんでしょうね?」



     (薮坂さんの第5話につづく)


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コンビニアイス・アライアンス 〜甘くて冷たいふたり同盟〜 野森ちえこ @nono_chie

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ