-3- 其の肆

「では」

 と話を変える。

 魔術師の長は、澄ました顔でまっすぐにこちらを向く。


「聞きたいことは、『死の国』と会話する方法でよろしいでしょうか」

「はい。でも、それは不可能だと言われました。どうしてです?」

「魔術の理屈は、先ほどレオより聞かされたと思いますが、私は格好をつけて『ゲート』と言い換えましょう。魔術というのは、『この世』の空間に穴を開け、世界の外側を包む『エーテル』の膜の、その外側から力を取り出す技術です。異空間を通り抜け、また他の空間に門を生み出し、地球の裏側から物を持ってくることもできます」


 こんなふうにね、といつの間にか手に本を持っていた。

 見慣れた茜原教授の著書。

 受け取ってみて、よく調べると僕の名前があった。絶対使わないと家に置いてきたはずなのに。


「今、僕はここから君の部屋に門を通し、それを取り出してみた」

「門を二つ生み出すことは可能であるってことですね。なら――」

「そう。『そうであるならば』なんだ。今までに、そのことを考えた魔術師がいないわけではない。もしも『あの世』という空間が存在するのならば、この世に『門』を作り、向こうにも『門』を開けることができたとすれば。それは不可能なことではないのではないか、と」

「でも、それはできていない」

「その通り。だから、天国の門には、番人がいるのだと思う」

「天使がそれを守っていると?」

「恐らく」


 彼は寂しそうに言った。

 彼にもまた、会いたい人がいるのだろう。

 大切な人が。

 そんな思いを読んだように、彼は言う。


「私は、できるならもう一度『せんせい』に会いたい。会って、感謝と別れの言葉を言いたい。私にはそれができなかったので」

「どうしたんですか、あなたの先生は」

「重い病気だったのです。ですが、死の間際に私は会えなかった。あの人自身が、それを拒んだのです。死を見せまいとした。手を握って差し上げたかったんですけど」


 彼の目が潤む。


「駄目ですね。思い出すと悲しくなる」

「そうだと思います」


 彼もまた普通の若者なのだと思った。

 僕と同じような。

 でも、と彼は言う。


「彼は、ここにいます」

 手を広げ、どこというわけもなく、自分の身を指し示す。

「分かりますか?」

「あなたの周りに?」

「いいえ。それだけではないんです」


 彼は右手で空中をなぞる。そこに金色の光の線が生まれる。

 その魔法は、何をするわけでもなく、宙に花火のような線を描き、すぐに消えてしまう。

 ただ、光線を描くだけの魔法だった。

 彼はほほ笑む。


「この魔術の中に、そして魔術を生み出した指先に、そして体の隅々にまで彼は宿っています。私は彼と共にあって、同時に世界の中のどこにでもいる。それが私の思う死の在り方です」

「一般的な日本人は、もっと違う考え方をしますけどね」

「天国に、あるいはあの世にいると思うんですよね。ゆえに墓や仏壇を通し、彼らとの対話をはかる……私は、どちらでもよいと思うのです。思うことが供養であり、考えることが彼らの『生』となるのだと――私は、その考えも理解できます」


 そして、指を二本上げる。


「ゆえに私は、あなたに二つの道を提示します。一つは、あなたの心に寄り添う道。そして、もう一つは、あなたの考えを貫く道です」

「聞かせてください」

「私にこの考えを与えた、位の高い僧侶にあなたを会えるようにします。普段は修行として誰かに会うことのない特別な方です。この人は、仏教が開かれた国におられ、この世の誰よりも広い視野を持っていると私は感じています」

「僧侶の方ですか」

「この方ならば、あなたの悩みに一本の筋道を与えてくれると思います」


 彼は、指を折る。


「もう一つは、アメリカへのチケットです」

「アメリカ?」

「アメリカのウエストオレンジに『エジソン研究所』というものがあります。そこでならば、あの機械の根幹に迫ることができるかもしれません。こちらは別のアプローチで、あなたの心を支えるもの。この道があなたの心の底までを救ってもらえるものになるかは、私にはわかりませんが……」


 エジソンの研究所。少し心は踊る。

 でも、対して彼は寂し気に話すのが気になった。


「ありがとうございます。こんなにしてもらえるなんて」

「それほどに、あなたが関わったことは重大なことであったというだけです」

「えっと……、どうしたら?」

「レオは、私の言葉を知っています。ドアを出て、二つの道を選びなさい」

「わかりました。ありがとうございます」

「では、またどこかで」

「ええ、いつの日か」


 ドアから外に出る。

 そこになぜかソラが待っていた。

 ソラのことを、彼は一瞬視認したようで、目を丸くし、そして納得したように頷いた。


「あなたの道が幸運に恵まれますように」

 ドアが閉まる寸前で、彼はそう言った。



 

 レオに、ソラの姿は見えない様だった。

 僕は、インド行きのチケット受け取り、かの国へと飛んだ。

 その選択に、レオは少しだけ驚いたような顔をして、かすかにほほ笑んだ。

「君に幸運が訪れますように」

 彼の言葉にうなずき、僕は駅を出た。

 さて、空港まではどうしたものかと考えていると僕を呼ぶ声が聞こえた。

 僕は、その声に振り返る。


「すまない。大切なものを返すのを忘れていた」

「え?」


 レオの手には、僕のパスポートが握られていた。

 危ない、危ない。

 完全に忘れたままで、出発してしまう所だった。

 僕の手にパスポートとともに、小さな封筒が握らされる。


「これは?」

「協会としては、君に一つの礼をしたのかもしれない。だから、これは俺からの礼だと思ってほしい。君は断ったが、チケット代とウエストオレンジの連絡先だ。君がしたいようにしてほしい」

「そんな……いえ、ごめんなさい。使わせていただきます」


 彼は、笑っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る