-3- 其の参

「パスポートを貸してくれ」


 レオに言われた。

 不安に思いながらも、僕はバックの中のそれを差し出す。


「怪しむのは分かるが、おかしなことをするわけではない。君が正式な手順を踏んでロシアを出国し、イギリスに入国したことにしておく。日本には、普通に帰ってもらう」

「そういうことですか。わかりました」


 僕は、安心してレオにパスポートを預けた。



 

 僕がイギリスで連れてこられたのは、一つの駅であった。

 日本人にも有名な、聞いたことのある駅。


「こんなところで、どうするんですか?」

「ここに本拠地があるって言ったらどうする?」

「でも、駅ですよ」


 いや、そんなところだからこそ良いのか。

 スマホで調べてみたら最近改修しているらしくキレイで、映画のワンシーンを表現したちょっとした飾りもある。こんな明らかに魔術の匂いがする土地を訝しむ方が、異常なことだとも言える。

 彼らはまっすぐに『一般人立ち入り禁止』のドアをくぐると、僕たちは連れ立って中に入る。


 レオと、この前に車を運転していた彼が、僕の両脇を固めて一緒にドアをくぐる。その様は、まるでバックヤードに連れて行かれる万引きの少年のような状態だっただろう。何気なくて、ただの日常の続きの風景でしかない。しかし、ドアの向こう側には、非日常があった。

 はじめは、廊下が続いているだけだと思った。


 けれど、ふと気づく。

 廊下の先は、見えないほどに遠い。

 空間が、無限にある。


「魔術、ああ、これは妖術と言ってもいいし、君たちの国の陰陽術と言ってもいい。この不思議な力の本質というものは、なんだと思う?」

「神の力を借りるとか、そういうことですか?」

「いや、違う。魔術に対して神の力は――まあ、例外はあるにせよ――本質的に神の御業とは関係のないものだ」


 レオは、壁を触りながら、言葉を続ける。


「これは神の御業か? いや、違う。これは我々が作った道だ」

「そうなると、魔術というのは、人の力?」

「それもまた正しいわけではない。古く魔法使いは、賢者に過ぎなかった。『魔法使い(ウィザード)』の語源は『賢い(ワイズ)』者だった。小さな村や都市のはずれで、人々の悩みを聞き、それに知恵を授けてきた者たち――それが魔法使いの本来の姿。しかし、技術の発展、知識の発展、新しい『科学』というさまざまな知恵が入り込むと、我々は人と神の間にある空間を見つけるんだ」

「空間、ですか?」

「そう、空間だ。そこはまさに『第五の元素』によって埋め尽くされた空間と言えた。私たちは空間に門を作り、さらに違う時空に繋げ力を得る。再度言うが、空間自体は神の力によるものかもしれないが、この門を生み出したのは誰でもない人の力だ。我々は空間から力を借り、現実へと流し込むだけにすぎない」


 さて、と一つのドアの前に差し掛かり、足を止める。


「つまり、何が言いたいか分かるか?」

「ここでは、僕の質問に答えることができないと?」

「そうなる。しかし、求めることの手助けはしてやれる。ここで知恵を授けてもらえ」


 彼はドアを指し示す。

 他のドアより古く、そして豪華な装飾がある。


「ここは?」

「我々の『賢者』のいる場所だ。では、また後で会おう」

「付き添いは無しですか? 帰りはどうしたら?」

「彼には、それをどうしたらいいのかすら分かっているよ」


 と言うと、レオたちは廊下を引き返していった。

 僕らが歩いてきた道も、いつの間にか先が見えないほど遠い。

 そんな道を、彼らは歩いて行った。普通の歩行のはずが、驚くほどの速さに見えた。



 僕は、決心してドアを開く。

 軽くノブを捻る――よりも早くノブが回り、ドアが開く。

 そして僕が驚くよりも早く、風によって部屋へと運ばれた。

 部屋の中は、酷く薄暗い。部屋の四隅に、細い紫色の蝋燭が浮いていた。部屋自体は思ったよりも小さく、四畳半もないのではないんだろうか。ぼんやりと照らされる壁には、魔具と呼ぶべき怪しげな飾りが、いくつも付けられている。香の匂いが立ち込め、案内されるままに来てしまったことを少し後悔した。


「まあ、そう言うものじゃないよ」

「え?」


 声がした。


「さすがに暗いな。灯りを増やそう」

「はい……?」


 彼が薄暗い中、両手を広げる。

 四隅の蝋燭が、四本から八本へ、八本から十六本へと増えた。

 部屋の中が一気に明るくなる。僕と向かい合うように立っていた男の姿が、露わになった。

 それは、長身の男だった。

 よく物語なんかに想像されるような、白髪に大量の白い髭を生やした老人とはかけ離れた姿だった。黒髪だし、髭はなく、老人でもない。黒いローブをまとった凛々しい表情の青年であった。

 年のころは、僕と同じか、少し上くらいだろう。

 若すぎないか? それが最初の感想だった。


「魔術の中枢のトップが若くて驚いた?」

「いえ……というか、心を?」

「いや、これくらいは読まずともわかる。そんな顔だった」


 そんなに驚いた顔をしてたのか。

 だが、うやうやしく案内され過ぎたというのと、ここの部屋があまりにも「それ」らし過ぎたというのもある。絶対に老人の魔法使いが、座っているものだと思った。


「ちょうど、この前選ばれた新任なのでね。前の人は、たしかにそれらしい姿でした。まあ、変装で、ではありましたが」

「そこは魔法で、ではないんですね」

「無駄に力を使うことはしない人でしたから」

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