第30話 瓜二つの転校生 ③

 亮は優月の自己紹介が、自分の知っている彼女の出自とまるで違うことに動揺していた。

 だが、帰国子女という設定は、神宮寺家から出ることのできなかった優月の弱点を上手くカバーしているように思う。海外で生活していたはずの優月が矢守亮を知っているはずもなく、その部分も苗字呼びに変えることで初対面のふりをしているようだ。同級生から疑われないための嘘と分かってはいても、亮は彼女の「設定」を受け入れがたく、自分もその設定に加担しなければならないことに焦っていた。


 机には英語のテキストが投影されている。だが、背後に座っている優月のことばかりに意識がいって、内容は全く頭に入らない。


 しばらく経った頃、床に物が落ちる音がした。亮が足元を見ると、タブレットペンが落ちている。後ろから肩を叩かれ、優月が呟いた。


「ね、ペンを取ってくれませんか?」


 亮はペンを拾い、振り向いてささやいた。


「あんまり音を立てるなよ、ビシリン先生に叱られる」


「あら、先生はビシリンと呼ばれているんですね?」


 姉のあだ名を知り、優月は新鮮なようだった。

 亮が慌てて前を向くと、優月は「ふふ」と微笑み、さらに声を小さくして亮にささやいた。


「耳を寄せてくれませんか?」


 亮は優月の大胆さに呆れながら、ゆっくりと背板に体重をかける。目は黒板を見たまま、後ろの席にぴたりと背中を付けた。


「何だ?」


「休み時間、少し付き合っていただけません?」


 か細い声に、ライトは耳をくすぐられたような気分だ。


「俺は良いけど、人気者はそう簡単に抜け出せないだろ」


「うーん。では、昼休みに時間を作ります。校内で二人きりになれる場所はありますか?」


「屋上か、部活棟のところにある自販機の裏小路かな」


 後庭には葉月が来る。二人きりで話すにはふさわしくないと、亮は選択肢から外した。


「どちらが良いか、決めてください」


 優月と二人きりでいるところを見られれば、たちまち噂になる。であれば……。


「じゃあ部活棟の裏だな。教室棟から離れてるから、昼休みにわざわざ行く奴も少ない……」


「矢守くん!」


 話に夢中になっていると、咲月の喝が飛んだ。


「はい、何ですか!?」


「君には英語の授業中に私語をする余裕はないはずですが?」


「はい!」


「では起立して、該当の箇所を音読してください」


 亮は脊髄反射のように立ち上がり、投影されている文章に目を通したが。


「はい、えーーと」


――やべぇ、これ何て発音するんだよ……。


 今日の授業から新しいLESSONに入ったところだった。亮には文章の意味が分からないだけでなく、初見の語彙も多かったため、音読は極めて難しい。おろおろしていると、救いの女神が手を挙げた。


「先生、私がペンを拾ってくださるよう矢守くんに頼んでしまったので、彼は気が散ってしまったようです。私のせいですから、私が代わりに読み上げてもよろしいですか?」


「いいでしょう。読んでみなさい」


 亮が席に着くと、優月が優雅に立ち上がった。


「Yes!……」


 躊躇いのない堂々とした朗読が始まった。亮は、あの屋敷に引きこもっていた優月が帰国子女という設定を演じられるのかと思っていたが、その心配は杞憂だった。


 ブリタニア州らしい上品な英語の音読に、クラスメイトたちは新しい風を感じ、多数の生徒が振り向いた。ぽかんと口を開けている生徒もいる。


 長い本文を段落の終わりまで読むと、「そこまで」と咲月の指示が入った。


「神宮寺さんは着席してください。いいですか、皆さん。彼女の発音は授業で教えているアメリカ式のものと明らかに違いましたね。今のはイギリス式の発音です。見事な音読でした」


「先生、どちらが正しいのでしょうか?」


 女子生徒の一人が訊ねると、咲月は頷いた。


「どちらも正解です。同じ言語であっても、地域によって発音や語彙が変わるのはヒイズルも同じでしょう?特に、同じ文章でもアクセントが異なるケースは多いです。会話ではさらに細かな個人差もあります。皆さんも発音や表現について、もっと柔軟に考えて良いでしょう。授業では主にアメリカ式の発音を扱いますが、これからは皆さんの視野を広げるために、時折イギリス式の発音を取り入れましょう。よろしいですか、神宮寺さん?」


 優月は咲月に微笑みかける。


「もちろんです、授業に協力できるのであれば、喜んでお引き受けいたします」


「ありがとう、では、授業を続けましょう」


 優月ゆうづきに庇われ、亮は咲月に叱られることもなく済んだ。

 帰国子女という設定は、その嘘を付き通す自信がなければ付けない嘘だったと、今さらにして思う。


――流石は皇月こうづきの姫だな。

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