「ハイ終了」

 それから三日後の事。

 母親が後生大事に抱え込んで来たエットールを使い、桜子と和美はランドセルを片して部屋で向かい合っていた。二人ともあと少なくとも一時間半は帰って来られない事を二人とも知っている。


「よんじゅうご、よんじゅうろく、よんじゅうなな、よんじゅうはち!」

「大丈夫だねおねえちゃん、って言うか声が大きいよ」


 二人とも出す時、しまう時とも数を数えている。それがエットールを遊ぶ条件になっていた。一応予備の札は二枚あるが、それらはマジックとかで手描きする事ありきなのでどうしても不格好にしかならない。それぞれの札は、「一枚」しかないのだ。

 ただでさえ高価な買い物であるエットールを子供においそれと持たせる事自体不用意と言うか大胆であり、それこそ金庫にしまっておくような家まであった。桜子と和美の家にはそんな物はないが、それでもエットールを買って来た事はなるべく秘密にしておくようにと言われている。


 この町外れのアパート近辺でエットールを買った事がある人間が何人いるかなど、静江も薫子も知らない。それこそ小学校でエットールを買ったよとか言い触らせば、砂糖に群がるアリのようにこの家にたかってくるかもしれない。表向きにはタブーとされているが、それでも子どもがエットールと言う玩具を汚さずに扱う事は難しい。だが誰が汚した、誰が破ったとか言う責任の所在についてははっきりさせておかねばならないのも事実だった。




「でさ、何やるの」

「神経衰弱ー」


 エットールでの遊び方は山のようにあるが、桜子と和美はとりあえず神経衰弱をする事にした。

 神経衰弱と言うのは言うまでもなく、全てのカードを裏返し同じ数字を当てると言うゲームである。

 テーブルに整然と、六×八に広げられた四十八枚のカード。本当にシャッフルしたのかと疑いたくなるほどにきれいに並べられたそのカードを、名前順で先手になった和美が一枚目のカードをめくる。

 数字は8、二枚目の数字はゼロ。

「あーあ」

 元の場所に戻した和美に続くように、桜子もカードをめくるが一枚目は7、二枚目は2。二回目の和美は、3とクイーン。二回目の桜子は、4と9。

「お姉ちゃん、揃わないね……」

「もういいよ。私たちで頑張って揃えましょ、ほら和美そこめくって」


 四十八枚のカードの内八枚をめくって一度も同じ数が揃わなかった結果、神経衰弱と言う名の二人の勝負は二人の協力になってしまった。







 この町にはエットール長者とか言うブラックジョークがある。


 ある貧しい家の婦婦が娘に買い与えたエットールを、金持ちの家の娘が破ってしまった。その事に怒り狂った貧しい家の娘はエットールを返せと言ったが金持ちの家の娘は言う事を聞かず、逆に残っているエットールを取り上げてカード全部を自分の住む屋敷やその周辺にばらまいてしまった。そして彼女は自分の親の権力に任せて貧しい家の娘に味方すれば次はお前だと言いふらし、破れたり汚れたりしたエットールに手を出さないように命じた。

 その結果、貧しい家の娘は孤立無援に陥り彼女の大叔母に助けを求めた。その大叔母は極めて優秀な弁護士であり、しかも権力に屈しない魂の持ち主だった。彼女は金持ちの家の周辺の家の人間が口をつぐみ続けたのを「共犯行為」だとして取り上げ、それどころか金持ちの家の娘が気まぐれに投げ込んだ家さえも「傍観者」としてあげつらい、結果的にその金持ちの家の娘が巻き込んだ全ての家から相当な現金をせしめた。当然主犯の金持ちの家の娘は他のどの家よりも多くの賠償金を払う事を余儀なくされ、また権力によって手駒にした家からの賠償金をも払わねばならなくなり最終的に娘は家を追われた—————。




 そう、静江のそれと全く同じ話だ。


 もっともこれは一番きつい言い方をされたそれであり童話やドラマなどに加工されたそれが町内でのエンターテイメントになっているが、それでもエットールの存在は重たかった。


 そして何より、別に静江の件がそのままこのブラックジョークになった訳ではなく、一時同時多発的に同様の事件が発生し社会問題になった事があったのだ。


 その事件が幾度も積み重なる内に少しばかり変形して伝播し、またそれらが加工されてエンターテイメントの題材にされたせいで多くの人間が知る事となったのである。

 当局がトニッシーやシハールなどの取り締まりに躍起にならないのは、それらのパチモン製品でも子供たちの欲求を満たせればいいと言う事だった。もちろんそれらのパチモン製品でも満足せず本物を求めてしまう子もいたが、トニッシーやジューシーロゴのようなパチモン製品でそんな事をするような人間は誰もいない。

 エットールを与えない家庭、遊ばせない家庭がある理由の二番目は、だいたいそういう事だった。


 そして最大の理由は、エットールと言う道具自体の性格だった。


「ああ終わったねー」

「ちゃんと無事全部揃ったよー」

「でも今度はちゃんとお姉ちゃんとやろうね」

「うん!」


 この姉妹とて、最初から協力しようとしていた訳ではない。




 要するに、そういう事なのである。

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