第23話

 お祭り初日の金曜日、ぼくらは夜の巡回に向けて教会堂の中で準備を整えていた。すぐ近くから祭囃子が聞こえる。御神輿が練り歩いているのだろう。彩羽さんは準備の手を止め、教会堂の出入り口から外を眺めていた。


「あれが御神輿ですね。大人も子供も法被を着て楽しそうです。私も法被を着て担いでみたいなぁ」


「天使様がそういうことをしてもいいんですか?なんというか、宗教的に……」


「私は日本担当なんでいいんですよ。ほら、インスタント束縛術も御札状ですし」


 そういうものなのか。天界は懐が深い。


「法被もいいですが、浴衣もいいですね。一度着てみたいのです」


「またお出かけして買えばいいのでは?前と同じようにお手伝いしますよ」


「浴衣を買っても着付けが一人では難しそうなのです。着付けをしてくれる人間の方に近づけないのが残念です」


「そうでしたか……天使様はやはり色々と大変ですね……」


「天宮さんがもう少し私に近づけるようになれば、天宮さんに着付けを習得してもらって着れるかもしれないのです。ふふ、期待してますよ」


 彩羽さんはまた無茶なことを言い出す。でも、彩羽さんが喜んでくれるなら、着付けの練習をしてもいいかもしれないな。彩羽さんは色々な衣装を着るのが好きそうだし。


 ひとしきり御神輿の列を眺めたあと、彩羽さんは扉を閉め、巡回の準備を再開した。夏服の標準服を整え、懐にインスタント束縛術をたくさん仕込む。そして、懐からインスタント束縛術を取り出して悪霊に貼り付ける素振りを何回もしている。彩羽さんちんまいから、腕の長さも短いんだよな……怪我しなければいいけど。






 夏の日も落ち夕方を迎えると、ぼくらは教会堂を出て巡回を開始した。担当区の外側からぐるぐると祭り会場の公園に向かって近づいてゆく。そのうち人が多くなってきた。


「私が近づけるのはここまでのようてすね……」


「はい、この後はぼくが一人で巡回します。迷惑行為を働いている人が居たらとりあえずお呼びします」


「人でも悪霊でも構わないので、あまり悪霊には近づかず私を呼んでください。あとは私が対処します」


 彩羽さんは遠くの出店と祭りを楽しむ人たちをみながらそう言った。少し寂しそうだ。春のお花見の時も寂しそうにしていたな、と思い出す。


「天宮さんと一緒に出店をめぐるの、一度やってみたいのですが、私が天使なので無理ですね……」


 ぼくは頷くこともできず返答に困ってしまった。彩羽さんの願いを叶えるのはほぼ無理だろうと思う。協力できないこの身がうらめしい。ぼくは仕方なく、一人で祭りの人混みへと巡回に向かった。





 ぼくは祭りの会場である公園に入り、巡回をはじめた。出店が所狭しと出店しており、人いきれでむっとする中を縫うように巡回した。はしゃぐ子供をおいかける家族連れ、少し恥ずかしそうにしながらも小指を絡め合う恋人同士、集団で盛り上がる学生たち、みんな楽しそうだ。もし、ここにぼくと彩羽さんが居れたら楽しいのだろうな、と、叶わぬことを考えてしまう。


 と、巡回先の方から怒号が飛び交いはじめた。ぼくには区別がつかないが、悪霊の可能性もある。どういう状況か確認するため、声のあがっている方へと向かった。


 怒号はある出店の方から聞こえてきていた。店主とお客が言い争いをしている。周囲の人たちはそれを遠巻きに眺め、出店の前はぽっかりと空間ができていた。


「あんちゃん、それは言いがかりってもんだ。うちは悪いことは一切してねぇよ」


「そんなはずないだろ!何回引いてもゴミしか出ないぞ!そのゲーム機のあたり本当に入ってんのかよ!!」


「ゴミとはひどい言いようじゃねぇか!おう、文句あんならかかってこいや!」


 浴衣の帯に団扇を挟み、りんご飴片手に出店の前で店主と言い争いをしている男がいた。どうも、くじのあたりが引けずに店主に文句を言っているらしい。もし悪霊なら、人間界を堪能しすぎではないだろうか。


 言い争いの内容は力が抜けるようなものだが、これは立派な恐喝だ。この人が悪霊なら、ヒートアップして出店に酷い害が出てしまう。


 ぼくは早速周囲に空間が確保できていることを確認すると、スマホで彩羽さんにメッセージを送った。すぐに臨時ポータルから彩羽さんがやってきた。


「彩羽さん、あそこです。出店の主と喧嘩している人が悪霊かもしれません」


「確認します……ん、間違いありません、あれは悪霊です!」


「どうします?束縛術使いますか?」


「いえ、まずは落ち着かせて説得を試みます。天宮さんは私の後ろに下がってください」


 そう言って彩羽さんは悪霊の方に足を踏み出した。二人の近くまで行って声をかける。


「そこの貴方たち、なにがありましたか?私に教えてください」


「あ?なんだお前、邪魔すんな!」


「嬢ちゃんすまねぇな、こいつが言いがかりつけてきてよ。あぶねぇから下がっといてくれ」


 店主は比較的落ち着いているようだが、客の男はかなり頭にきているようだ。だが、ふと何かに気付いて彩羽さんの方に向き合った。


「お前、天使か?翼無しのガキんちょが何してやがる」


「私はこの区の担当天使です。まずは何があったか教えてください」


「はっ、翼無しが担当とは、天界もお粗末なもんだ。邪魔だからどっか行ってろ」


「そうはいきません。担当天使として、まずはお話を」


 彩羽さんは落ち着かせるように話をしているが、悪霊の男はまたイライラしてきているようだ。


「話はなしってうるさいな!邪魔するなら承知しねぇぞ!」


 悪霊の男は彩羽さんの方に一歩踏み出すと、右手で彩羽さんを勢いよく押した。たまらず彩羽さんはバランスを崩し後ろに倒れてしまった。ぼくはあわてて彩羽さんのもとに駆け寄った。


「彩羽さん!」


「いたた……天宮さん、私は大丈夫です。それより、悪霊を束縛します。下がっていてください」


 また彩羽さんに守られてしまった。こんな時に何もできないのが歯がゆい。


 彩羽さんは立ち上がると、インスタント束縛術を懐から出し、悪霊に向き合った。そして無言で一歩踏み出し、束縛術の御札を悪霊に貼り付けようとした。


 悪霊の男はそれを見てすんでのところで彩羽さんの手を躱し、横に逃げた。


「何だ、そりゃ?わけのわからないことしやがって」


「……束縛します。お覚悟を」


 悪霊の男はそれを聞いて間合いをとり警戒しだしたが、彩羽さんが離れた距離で束縛術を使わないことを訝しんでいるようだった。彩羽さんはインスタント束縛術の使える間合いに入ろうと隙をうかがっていた。お互いにジリジリと動く。


「……ひょっとしてお前、束縛術も使えずに担当天使やってるのか?そうだよな、束縛術使えるんなら最初から使ってるもんな」


「……」


「ちっ、その札がなんだか知らないが、切り札みたいだな……ふん、興醒めだ。飛べない天使様、おつかれだぜ」


 そう告げると悪霊の男はバサリと翼を広げ、飛び立った。あわてて彩羽さんがインスタント束縛術を貼り付けようとするが、その手は空を切った。


 彩羽さんは悪霊の飛んでいった方向をにらんでいたが、ふっと息を吐き力なくうなだれた。


「……失敗、ですね。天界に連絡しましょう。でも、逃げられたので捕まえるのは難しいでしょうね」


「彩羽さん……」


 ぼくはなんと慰めて良いのかわからず、彩羽さんを見つめることしかできなかった。雑踏の喧騒が遠くに感じられた。

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