沈黙・後悔・訣別

昔、山下達郎や竹内まりやが好きだった。すべてが(オイルショックを経て多少スローダウンしたにせよ)右肩上がりで希望に満ちあふれていた20世紀の話である。東京文化会館・中野サンプラザ・Blue Note TOKYO等に足繁く通って「自称文化的生活」を心がけていた頃だ。「社会見学」と称して会社の同僚たちとタクシー数台で「ジュリアナ東京」に乗り付け、倉庫然とした怪しげなスペースの片隅で「踊った?」こともある。(想像を絶する大音量で難聴になりそうなので二度と訪れることはなかったが)


今、数十年の低迷期(失われた○○年)を経て、少なくとも「低迷しているという自覚」が広く国民に共有されるようになり、株式市場だけは名目上バブル期に並びつつあるようになった遠因が(戦後の高度経済成長が朝鮮戦争をきっかけに実現したように)ウクライナ戦争(プーチンの戦争)を機に諸般の事情で「消去法的に日本が残った結果」に過ぎないのは皮肉である。(少なくとも「日本人の弛まぬ努力の成果」でないことに異論はないだろう)


2023年7月2日、音楽の聖地「中野サンプラザ」が50年の歴史に幕を下ろし、最後のステージに立ったのが山下達郎氏だった。中野サンプラザにとっては気の毒なことに、先頃、英国BBCが数十年来のタブーであった「ジャニー喜多川氏による性加害と日本社会の沈黙」を告発するドキュメンタリー番組を放送して以来、勇気ある若者たちの「再度の告発」に続いて、芸能界の大物たちまで(70年前の忌まわしい出来事から、水面下で現在進行中の醜い出来事まで)沈黙を破って「和製MeToo運動」に加勢し始めて情勢は一変した。一種の「価値観の大転換」が起きたのである。


参考「MeToo運動とは何か」

https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000276567


想定外の(起きるはずのなかった)コペルニクス的転回が起きてしまった、という点においては、原発問題・統一教会問題・吉本興業問題・ブラック部活動問題・元名門企業による品質偽装問題等に通底するものがある。(タブーがタブーでなくなったとき)これらの当事者の振る舞いを観察していると、いくつかのパターンに類型化されるようである。


(1) 開き直って強弁しておいて世間が忘れるのを待つ (面の皮の厚さが必要?)


(2) ひたすら沈黙を守って嵐が過ぎ去るのを待つ (無為自然?)


(3) 生き残りのために正論を唱え始める者を水面下で攻撃する(裏切り者と無理心中を図る?)


(4) 沈黙を破って公益のために真実を語る(過去との訣別)


(5) 初めて知った事実に基づいて無邪気に感想を語る(自らの無知・一般常識の無さを露呈?)


(6) その他(少々訳ありの方々?)


皆さんに概ね共通しているのは、「沈黙してきたことに対する後悔」(しまった!)であろう。そこから先は、個々の置かれた状況や生存本能に基づいて「個別最適化」された多様な環境応答をするのであろう。(お気に召すまま。外野からは見えない世界?)


さらば昭和。さらば20世紀。さらば我が青春の日々よ。(「銀河鉄道999」?)


2023.7.7

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