知識と見識

最近話題の生成AI (ChatGPT) と対話してみた。「たかが人工知能」と思っていたら、思いのほか出来が良いので驚いた。気がつくと、難問を捻り出してクラッシュさせてみたり、思いがけず日本の将来を褒められて喜んだりしながら「無心に」遊んでいた。童心に帰ってゲームに興じたのは、学生時代にPC-9800(一世を風靡したNECの16ビットマシン)に「信長の野望」をインストールして何度か全国制覇して以来のことかもしれない。(個人的にはその時点でRPG (Role Playing Game) の本質を「見切った」ので「ゲームを卒業」した)


とても自然な英語を生成する(generative)ので、「自分の生徒たちが全員これくらい文法的に正しい英語を書けるようになれば、自分は失業するかもしれない」(文字通りtransformer である!)などど思いながら、中高生の皆さんの英語その他の総合的学びにいかに取り込めるか思案中である。


その一方で、あくまでも既存の知識ベースを参照しながら「無難そうな」論点を「器用に」まとめるだけ(pre-trained)なので、結論にはある種の「物足りなさ」も感じてしまう。(ただし、平均的な学生諸君の作文よりは、よほど出来が良さそうに見えるのも確かではあるが!)人間が書いた文章にありがちな、「思い込み or 信念」や「野蛮さ or 斬新さ」に欠けるような気がしなくもないのである。「信長の野望」と同じく、飽きっぽい私は数週間で「卒業」しそうな予感がする。


振り返ってみると、1990年代のシンクタンクの研究員時代に(結構な金額の予算を投入して)データベースのキーワード検索をしていた頃が思い出される。限られた予算の中で「意味のある」情報を見つけるために検索するのであるが、あまり絞り込みすぎると「常識的」な文献リストが出てきてがっかりする(予算の無駄遣い!)ので、「適度にアバウト」なキーワードの組み合わせで「セレンディピティ」を狙うのである。そういう意味では、生成AIと「気の利いた対話」をする能力が、これからの若いみなさんには必須のスキルの一つになっていくように思われる。


昭和末期から平成初期の頃までは、「人より早く情報を得ること」(金融業界等)や「人より多く情報を得ること」(商社業界等)が、それだけで「プロフェッショナルな職業」を成立させていたように思う。文明開化の頃の「知識人」も、当時圧倒的優位にあった欧米先進国の「文明」なるものを「翻訳&輸入」したという意味において似たようなものかもしれない。(もちろん、いつの時代もそれだけに依存していては「超一流」にはなり得ないのだが)


その後の技術的進歩のおかげで、今では、自宅にいても北極圏を「散歩」することさえできるようになり、「玄人と素人の境界」がぼやけてきている。近年、巨大な組織に属することが必ずしも競争上有利ではなくなりつつあるのも、この辺りの事情が大きく影響しているのだろう。


最近の報道によれば、ChatGPT を開発した Open AI の創業メンバーの一人でもあるイーロン・マスク氏が、Critical Thinking の重要性を指摘したそうである。過去一世紀余りにわたって「知識人」(= 幅広い分野の知識を「より早く」「より多く」手に入れた人)が「美味しい思い」をしてきたのだが、ありとあらゆる専門分野の「知識」を有し、かつ「無難な論点整理」までこなせるような生成AIが学生諸君にも無料で開放されるようになると、状況は一変する。


令和の人間に求められるのは、「見識」(= 物事の本質を見通す、すぐれた判断力(広辞苑第七版))や「感性」(= 感性的直観のもと?)を磨くことであろう。それが唯一「人が人であることの証明」たりうるのだから。


2023.3.3

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