第40話 母と姉と
例えば、あそこの家では嫁の妹が旦那の餌食となっているらしい。そんな状況が察せられたとしても、口は挟まないし、助けもしない。自分たちには関係ないということで、見て見ぬ振りをするのは当たり前。
日本人同士であれば波風立てないようにしていきましょうということになるんだけど、これにブラジル人が絡んでくると、ガラリと変わってくる事になる。
「なあ!お前ってブラジル人相手に体で金を稼いでいるんだろ?」
新しく配耕になった日本人が、私の腕を掴みながら言い出しました。
「だったら金払ってやるから、俺ともしようよ」
その時は顔をひっぱたいて逃げ出すことに成功したけれど、こんなことがあると、男の人はみんな、そういう目で私のことを見ているんじゃないかと思えてくるようになるんです。
「なあ、あの娘が噂の子だろ?」
「お前、声かけてみたら?」
移動中もそんな声が聞こえてくるので、怖くて怖くて仕方がない。
「ブラジル人なんかと親しくしているからこんなことになるのよ!」
ざまあみろという感じで美代ちゃんは言って来たけれど、
「なるべく移動は一緒にいましょう!」
「噂なんかすぐに収まるから」
と、和子ちゃんや信子ちゃんが言い出して、日本人しかいないような時にはいつでも一緒に居てくれるようになったから良かったんだけど・・
「珠子ちゃん・・珠子ちゃん」
私が寝ているのは土間に用意された猫の寝床みたいな場所だけど、夜中、真っ暗な室内で、久平兄さんが私にのしかかって来た時には、恐怖でどうにかなりそうだった。
「珠子ちゃん黙って、ここで騒いでいたらお母さんや増子が起き出してくる事になるよ?」
久平兄さんはハアハア言いながら私の耳元で囁いてきた。
「珠子ちゃんがブラジル人なんか相手にしているとは知らなかったな、だったら僕の相手をしてくれたってバチは当たらないよね?」
はあ?どういうこと?
「二人が来たらまた、珠子ちゃんが怒られる事になるから、静かに・・静かにして」
そう言って久平兄さんの手が私の服の中に忍び込んで来た為、
「ぎゃーーーーーーーーッ!」
と、私は叫び声を上げた。
土間に飛び込んできた姉の形相は凄かった。鬼の形相とはまさにこれで、私は姉に散々殴りつけられることになったんだけど、これを久平兄さんは止めようとして家の中がしっちゃかめっちゃかになっている。
「珠子!あんたはもう出て行って!あんたなんかもう、帰って来なくていいから!」
姉夫婦が取っ組み合いの喧嘩をするとその仲裁に入るのが母なんだけど、暴れる姉の腕を押さえつけながら母が大声で叫んだのだった。
「この!不和の種!お前がいるから悪いんだ!」
母は近くにあった鍋を私に投げつけながら言い出した。
「出て行け!お前はもう出て行け!」
すると母の叫びを聞いた姉が大声を上げた。
「そうよ!珠子が出て行けばいいのよ!どっかに行ってのたれ死んでしまえ!」
「二人とも、いい加減にしてください!」
「何よ!」
「久平さん!あんたに何かを言う資格があるっていうの!」
ガチャーン、バリーンと物凄い音が響いている所為で、何があったのかと近くの家々に火が灯る。
追い立てられるように家を飛び出した私は、走って、走って走り続けた。
何ていうか、母と姉に出て行けと言われて、もう帰って来るなと言われて、ようやっと踏ん切りがついたような気がする。
私は母から虐待を受けて、それが原因で母は父と離婚することになったということを祖母から話に聞いて、絶対に母は一生をかけて私のことを許すことはないだろうと思っていたのだ。
何か不都合なことが起こればそれは全て私の所為で、一時期は辰三さんがマラリアで死んだのも私の所為だとして責め立てられた。
姉の夫である久平さんが百合子さんに捨てられて戻って来た時に、いずれは家を追い出されるんじゃないかとは思っていたから、必要なものはいつでも腹巻きの中に入れて持ち歩くようにしていた。
だから、家を追い出されたって何の問題もない。何の問題もないとは思っているんだけど、殴られた顔は痛いし、体も痛い。久平さんにのしかかられた時の恐怖たるや想像もつかないほどのもので、体の震えはさっきから止まりそうにもない。
家を出て行けと言われることが多い私は、木の上で一晩を過ごすことも多かったんだけど、今日は木に登る気力も湧かなかった。だから、松蔵さんの(今は居ない)小屋の方へと向かったんだ。
森に籠ってしまった松蔵さんは居ないんだけど、小屋の外には座るのにちょうど良い切り株があるので、そこに座ってひたすら時間が経つのを待つことにする。
早朝になると、すぐ近くに住んでいる四人組が起き出して来る。朝から厠掃除お疲れ様と思いながら切り株に座り込んで眺めていると、そのうちの一人が何やら慌てた様子でこちらの方へと駆け上がって来たってわけ。
どうやら彼はカマラーダの住居に向かうためなのか、こちらの方へと向かって来たんだけど、私の酷い有様を見て、
「わ―――――っ!」
と叫び声を上げたのだ。
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