第39話 本当にやめて欲しいです
前回、日本人が配耕された時には、徳三おじさんが元気だったわけ。徳三おじさんは母の再婚相手である辰三さんの弟さんで、一緒に渡伯してきた日本人のリーダー的存在。みんなをまとめ上げる力がある人なので、頼りになる存在なのは間違いない。
戦後の不景気だからどうしようもないということで、大勢の日本人がブラジルまで運ばれることになったけれど、珈琲豆の収穫の時期に合わせて毎回、送り込まれて来るわけではない。
珈琲豆の収穫時期を外して配耕になると、珈琲の豆を採取して賃金を貰うということが出来ないため、初回に貰う金額はスズメの涙程度のものとなる。珈琲の木の世話をするところから始まることになるんだけれど、その手間賃たるや本当に僅かなもので、
「う・・嘘だろう!」
大概、その金額には驚愕するし、暴れ出したいほどの怒りを感じるようになるわけだ。
みんな、ブラジルまで来れば儲けられるからという話を聞いていて、サントス港に到着して珈琲農場に配耕されるまでは文明的な生活を送ることになるから、珈琲農場に到着してから驚愕しないわけがない。
前回の配耕ではみんなで料理を持ち寄って歓待をしたし、憤慨する日本人たちの話を聞いて、自分たちだってどれだけ大変だったのかという話をしながらお互いに慰め合うようなこともしたけれど、今回はそれが行われない。
いつもは音頭をとる徳三おじさんがデング熱に罹って寝込んでいたということもあるけれど、遂に年季が明けた二家族がサンパウロ中央都市まで移動するとあって日本人労働者に衝撃が走ることになったんだよね。
みんな、今後の身の振り方を考えることに夢中で、新しい日本人労働者を構ってなんかいられないって状況に陥った。
百合子さんが二人の甥っ子を連れてサンパウロ中央都市に移動をしてしまったんだけど、久平兄さんを置いて、あっさりと、本当にあっさりと移動しちゃったんだよね。
久平兄さんも、私もだけど、まだ契約期間が切れていないので農場を出て百合子さんについて行くことなんか出来ないんだけど、久平兄さんは完全に捨てられたっていう感じになったわけ。
「もう!ここには帰って来ないで!」
と、ヒステリックに叫ぶ姉と、
「ここは僕の家だ!」
と、叫ぶ久平兄さん。
取っ組み合いの喧嘩になったら流石に母も止めに入るんだけど、うちの家族はどんどんおかしな方向に進んでいるみたい。
「珠子ちゃん!もう僕はこんな家で生活をするのは嫌だよ!」
最近の久平兄さんは、姉と喧嘩をするたびに私の方へやって来て、これみよがしに愚痴を言うようになっていた。
挙句の果てには、
「珠子ちゃんと一緒に二人だけで暮らしたい」
とか、
「増子とじゃなくて、珠子ちゃんと結婚すれば良かった」
なんてことを言い出す始末。
「珠子ちゃん・・僕は君のことが好きだ・・」
久平兄さんは遂に頭がおかしくなったのか、そんなことを私の耳元で囁くようになっていた。それを聞きつけた姉が、
「この泥棒猫!」
と叫んで私を殴りつけてくるようになったから、本当の本当にたまったものではないんだよ。
綺麗に洗濯した衣服を泥まみれにされるのもいつものことだし、せっかく用意した食事をぶちまけられるのもいつものこと。
「珠子ちゃん、大丈夫?」
心配した雪江ちゃんが声をかけて来たんだけど、
「珠子ちゃんが色目を遣っているんだから仕方がないんじゃない?」
と、決まって美代ちゃんが言い出すんだよね。
これから年季が明けたら(契約期間を終えたら)どうすれば良いのかと考える日本人が多い中、年頃の娘たちだって自分の身の振り方を考えるようになる。優良物件を捕まえようと考えるのなら、周り中みんなが敵だと言っても過言ではない。
「珠子ちゃん、昔から久平さんのことが気になっていたみたいじゃない」
「ああ〜、義理のお兄さんだけど仲が良いようにも見えたもんね」
和子ちゃん話を合わせるようにしてそう言うと、
「やだ!禁断の愛?略奪愛になるのかな?」
と、はしゃいだように美代ちゃんが言い出した。
略奪愛だとか禁断の愛とかで盛り上がる中、普段は無口な信子ちゃんが私の服の裾を引っ張りながら言い出した。
「気をつけた方が良いと思う。死んだ作太郎さんがやったようなこと、他の農場でも多いみたいだから」
頭をかち割られて殺された作太郎だけど、彼は前の農場で問題を起こしてうちの農場まで移動してきた問題児だった。作太郎が何をしたのかと言えば、自分と同居する、血の繋がらない義妹に無理やり手を出したらしい。
ブラジルの珈琲農場で働けば大金が稼げるという話を信じ込んで、自分の親族をかき集めるようにしてブラジルまでやって来る人もかなりいる。うちだって、お金が儲けられるからという理由で私にまで声がかかって、今まで疎遠だった母や姉と共にブラジルまで来てしまったんだもの。
同じ家に住んでいる血が繋がらない親族同士が、大きなストレスを抱えながら異国の農場で暮らしている。家主が自分の妻の妹に手を出したなんて話は良くある話で、誰にも相談が出来ず、助けを求められないまま自殺をする人も出ているのだという。
「そうよね〜、私も姉夫婦についてブラジルまで来ているから、そこはたまに心配になるんだけど〜」
私と信子ちゃんの話を聞いていた雪江ちゃんは、
「だけどうちの義兄さんは、うちの姉にぞっこんだから問題ないかな〜」
カラカラと笑いながら言っている。そうだね、雪江ちゃんの家はお姉さん夫婦の仲が良いから良いけれど、うちは本当に姉夫婦の仲が良くないので、カラカラ笑うことなんか出来ません。
「珠子ちゃん!」
隙を見つけては久平兄さんが私の名前を呼んでくるんだけど、
「オイ!マティウス!トドボン?」
「オイ!タマチャ!トドボセ?」
必殺、ブラジル人にひっついて日本人を引き離す作戦を敢行。
古株マティウスは農場の見回りも行うので、見かけたら声をかける。そうすれば久平兄さんもついては来ないから。
「タマチャ、ボセエスタコメンドサフィシエンチ?」
最近、ブラジル人にこれを良く問いかけられるんだけど、ようするに満足に食べているのかって訊かれているんだよね。何しろ姉がヒステリーを起こすと母も連動するようにブチキレるから、その苛立ちの全てが私にぶつけられる。百合子さんショックがあってからというもの、ご飯抜きは当たり前。
最近は満足に食事も摂れていないので、バナナとかマンゴーとかママオンとかが無かったら、飢えて死んでいたかもしれないです。
「ポージコメー、タマチャ」
マティウスは私にキャラメルが入った袋を渡すと、
「コンビダーボセ、パラジャンター」
夕食に誘ってくれたんです。
ブラジルはね、日本では高値になる砂糖とか割と簡単に手に入るんです。シャカラベンダ農場は元々はサトウキビ畑だったものを珈琲農園に変更したような場所なので、今でも農場主の家の近くではサトウキビを作っていたりするわけ。
近くの家では牛とかも飼っているので、比較的安値で牛乳も手に入る。だからマテウスが渡してくれたのはエレナの手作りキャラメルで、牛乳と砂糖を煮込んでこちらの人は手軽にこういったものを作り出すんだよね。
本当の本当に、百合子さんショックがあってからというもの、私は疲れ果てちゃって、その日は自分の家の夕食の支度なんかしないでマティウスの家にお邪魔をしちゃったってわけ。
姉や母は奥様ヅラをして食事の支度なんかしないから、高熱を出した時だって食事の支度をするのは私の役目だったんだけど、その日は本当に疲れちゃって、家の食事なんか一切用意せずに、マティウスとエレナの家にお邪魔しちゃったんだよね。
そんな訳で母と姉は怒り心頭となっていたんだけど、それを無視して寝床についたらば、
「珠子ちゃん、遂にはお金のために、ブラジル人と寝ているらしいわよ」
と言う噂が日本人労働者の間で蔓延するようになったんです。
鬼畜な姉と母が夕食を用意しなかった腹いせで、私を貶めるために噂をばら撒いたのかもしれません。普段だったらこんな噂を信じる人間は居ないんだけど、日本人労働者が配耕になったばかりだったもので、千里を駆ける勢いで広がっていったんですよね〜。
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移民としてブラジルに渡ってしまった日本人は、お金を稼ぐために親族に声をかけて連れて来たということもあって、年頃の姪、義理の妹、連れて来られた甥たちなど、家族の枠組みにきっちり入りきらない人たちが苦労することも多かったようです。日本人男性が多過ぎることで嫁も貰えない現象が起きたり、ストレスの捌け口として性的暴行を受けた女性が自殺をしたり、というのは当時の記録にも残されていることで、生き延びるのに必死な人々の気持ちの余裕の無さも良くわかるし、結局、誰が悪いって日本政府と移民公社ということになるんじゃないの?という話になるんですよね。さてさて、家族に恵まれない珠子ちゃんは遥か遠いブラジルの地でどうなってしまうのやら・・
ブラジル移民の生活を交えながらのサスペンスです。ドロドロ、ギタギタが始まっていきますが、当時、日系移民の方々はこーんなに大変だったの?というエピソードも入れていきますので、最後までお付き合い頂ければ幸いです!
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