第31話  凄い緊迫感

「和子ちゃん!美代ちゃん!信子ちゃん!」


 外作地に到着すれば、雪江の手伝いを買って出てくれる若者たちが草むしりなどを始めてくれるので、雪江は草むしりが終わるまでの間、同じように労働者として珈琲農場まで連れて来られた三人の娘に声をかけたのだった。


 一年前にここに来た三人娘は雪江よりも年齢は下となるため、妹分のように可愛がっている。


「ああ〜雪ちゃんだ〜」


 明らかに父親似である薮睨みの目をした和子は、地味な顔には似合わない可愛い喋り方、可愛い振る舞い方をする少女で、若い男が近くにいると声の高さが異様なほど高くなってしまう16歳。雪江よりも年下のくせに『雪ちゃん』呼ばわりするところがイラっとくるものの、本人の頑張りが空回りしている有様が哀れに見えるので、雪江は好ましく思っている。


「雪江さん、今日も可愛い〜」


 愛嬌のある顔をした美代はプライドが高い少女だ。自分の所に遊びに来る若者の数が一番だと確認するために、年頃の女の子が居る家へ探りに行きたくて仕方がない花の17歳。雪江のことをもちろんライバル視しているし、自分だけ美味しい汁が吸いたいと考えているあたりは雪江と同類だと言えるだろう。


「おはようございます」

美代の隣にいる信子は、誰かと常に一緒にいないと不安で仕方がなくなる17歳。何をしたいとか、こうしたい等という意思がない為に、いつでも和子と美代の後ろをついて歩いている。心の中で『金魚の糞』と言うあだ名を雪江はつけていた。


 この珈琲農園での労働契約の期間は三年となるため、第一回の船で移動して来た労働者たちはすでに契約を満了しているような状態なのだ。第二便で来た労働者も後一年すれば契約が終了する。契約が終了した後はどうするのかという悩みが誰の肩にも等しくのしかかっているのだった。


 このままの状態ではとても日本に帰る渡航費など稼ぎ出すことなど出来ない。地中に埋まっている黄金の山を見つけて一気に金持ちにでもなれれば故郷に錦を飾ることも出来るだろうけれど、そんなことは不可能だ。


 毎日の生活を送るので精一杯の給料しか支給されない現状を考えたら、若い女たちはより優れた相手を見つけて結婚することを考えるようになる。日本に居れば誰かしらお節介なおばさんが、結婚相手に相応しいと思われる人物を紹介してくれるのだろうが、ここではそんなことは到底期待出来ないのだ。


 誰かを夫にするとして、同じ農場で働いている誰かを選ぶか・・それとも年季が明けた後に別の場所に移動をした先で相手を探すか。大体の日本人女性は二十歳までには結婚をするし、出来なければ嫁ぎ遅れ扱いとなるため、移動した先で見つけるのでは遅すぎるかもしれない。そのため、若い女性たちは配耕される日本人労働者の中から、必死になって優良物件を探しているのだった。


「そういえば雪江さん〜、源蔵さんのところの畑は見ました〜?」

 和子に問いかけられた雪江は首を横に振った。

「源蔵さんがお亡くなりになって、奥さんの百合子さんと甥っ子二人の生活が始まったんでしょう?」

 雪江は地味な顔立ちの和子の耳元に口を寄せながら、

「遂に甥っ子二人に手籠にでもされちゃったかしら?」

 と、問いかけると、和子は真っ赤な顔になって首を横に振りながら言い出した。


「違います〜!そうじゃなくって〜、お隣同士の久平さんと百合子さん、やっぱり異様なくらいに仲が良いみたいに見えちゃって〜」


 薮睨みで怖い顔立ちなのに純粋無垢すぎる和子が慌てながら言い出すと、くすくす笑い出した美代が楽しそうに瞳を細めながら言い出した。


「今日も、畑の手伝いをしているみたいなんですよ!なんだろう、やっぱり二人は急接近っていう感じなのかな!」


 年の離れた夫が外作地で殺されたのが先週の話で、夫が亡くなって一週間も経たないうちに二人はかなり親密な仲となっているように見える。百合子は亡くなった夫が連れて来た甥っ子二人と同居状態になっているのだが、二人の甥っ子は完全に百合子に服従しているようなところがある。


「百合子さん、今度山倉さんが来たらサンパウロの中央都市まで連れて行ってもらう予定なんですって!」

「ええ〜いいな〜」

 和子の言葉に羨ましそうな声を美代があげると、

「私もサンパウロに行きたいな・・」

 と、信子が遠い目をしながら言い出した。


 日本人労働者たちはパトロンと契約をして農場で働くことになるのだが、期間の延長はパトロンも望むところである。ブラジルまで連れて来られて右も左も分からないうちに珈琲農場で働くようになった日本人たちは、農場の外に出るということに対しても大きな不安を感じるようになっていた。


 このままの賃金では、どうやったって日本に帰ることは出来そうにない。戦争で朝鮮や満州に行った日本軍の兵士であれば責任をもって帰る船を用意されることになるのだろうが、外国へ出稼ぎに出た日本人労働者については、帰国の保証まではしてくれてはいない。


「このまま農場で働くなんて本当に嫌だし〜」

「だけど、中央都市ってどんななの?すでに日本人が店を構えているっていうけど、どんなお店なのかな?」

「農場で働き続けるのは・・イヤ」


 三人三様の反応を見ながらも、話題を変えるようにして雪江は向こうの畑を眺めながら言い出した。


「それにしても、久平さんは百合子さんについていくことを決めたってことになるのかしら?」

「「「あああ〜」」」


 増子と結婚をしている久平は、第二便の船でブラジルに来ているので後一年はこの農場で働かなければならない。自分の夫が手に握り締めていた金の棒を軍資金とすることが出来る百合子が先に中央都市に移動したとしても、年季が明けたら百合子の後を追いかけていくのかもしれない。


 ただでさえ、昨年、一家の大黒柱である辰三がマラリアで亡くなった粕谷家としては、久平が中央都市に行ってしまえば男手を完全に失うということになってしまう。そうなったら珠子の姉は、別の男を見つけなければならないだろう。


「増子さんは、百合子さんに色目を遣う久平さんに見切りをつけて神原さんを狙うみたいよ?」

「ああ!この目でしっかりと見たし!しっかりと聞いたわよ〜!」

「松さ〜ん!でしょう?あの甘ったるい声は何なの?恥ずかしくないのかしら?」

「・・・」


 無言のまま信子が和子の服の裾を引っ張ると、三人娘と雪江を押しのけるようにして、イライラした様子の増子が歩いていく。


 増子に肩をぶつけられた和子が少しよろけながら顔色を青くすると、

「緊迫感が凄いわね〜」

 と、雪江は呆れたような声を上げたのだった。


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