第29話 外作地へ
まずは珈琲の説明から・・日本人はついついコーヒー、コーヒーと呼んでいますが、ポルトガル語ではカフェと言います。なんでもアビシニア(エチオピア)という国のカッファという名前の町が原産地なので、カフェなんていうようになったんだそうですが、名前の由来は諸説あるらしいです。
私たちの農場がある地域はテハホッシャ、紫赤土と言って、コーヒーの栽培には最適なんだそうです。
元々、このブラジルを植民地としたポルトガル人は坂が好きだし、地位がある人ほど坂の上に住みたがるのだそうですが、ブラジルに住む人も同じようなところがあるみたいです。
農場の小高い丘の一番上にあるのが農場主(パトロン)の邸宅。百年の歴史がある二階建ての邸宅は何でもヨーロッパから建築材料を輸入して建てた物なのだそうで、外見は壮麗の一言。邸宅の前には美しい庭園が広がり、西側に果樹園があり、東側には邸宅で働く人の住居があります。
ここで働く人の中で一番偉いのが、アドミニスタドールという農場の支配人、次がフィスカールという農場監督官となるわけです。お偉いさんにはそれぞれの家が貸与されたりするみたいです。それ以外の人が住む長屋形式の家や食事給与所、コーヒー乾燥所、カマラーダの利用する長屋なんかがパトロンの家の周囲にあるわけですね。
そして、坂を下った下の方に小さな教会があるんですが、その教会を境に一列十棟の農場労働者の家がずらっと連なっているわけです。ここが私たちの住む居住区ということになります。
これは通詞の山倉さんに教えてもらったことなんですけど、農場を作るのに一番重要となるのが水らしいんですね。ここは地下水も豊富で、山から流れる川が途中で湖というほどには大きくはない池を作っているわけです。この池の周りにはカピバラが生息し、池の中には小型のワニ(ジャカレ)が生息。鯉やフナもいるので、釣りをする際にはワニと毒蛇に注意が必要。
この居住区を取り囲むように背丈の高い柵が広がり、その柵の向こう側の裏山には原生林が広がるわけです。この原生林には今話題のオンサ(豹)ジャガーチリッカ(アメリカ虎)、小型の猿の群れや赤毛の狼、アルマジロ、小型のダチョウなんかもいるわけです。
「神原さん、今日はよろしくお願いしますね」
今日の松蔵さんは、深ゴムの労働靴を履き、腰にはダンビラをぶら下げております。片手にはジョアンが貸してくれた猟銃があり、外作地まで行くのに松蔵さんが先行して空砲を撃ってくれることになっております。
「松さん、良かったらこれを使ってください!」
姉がそう言って松蔵さんに差し出したのは牛の皮で出来た帽子で、これって義理の父でマラリアで亡くなった辰三さんが使っていたものですよね。
死んだ夫の遺品をそんなに簡単に人にくれてやっても良いのだろうかと思って、神経質そうな顔立ちをしている母の方を見ると、母は惚れ惚れとした様子で松蔵さんが肩からかけているライフル銃の方を見ています。
珈琲農場では土曜日は半日で仕事が終わるので、午後から畑の面倒を見に行くことになっているのですが、昨日の午後は、カマラーダの仕事があるからってことで松蔵さんは参加出来なかったんですよね。
それで昨日の午後、私たちは外作地まで行ったは行ったんですけども、なにしろ源蔵さんがオンサに喰われたばっかりだし、獣の遠吠えとか聞こえてくるものだから、怖くて怖くて仕事にならないような状態だったっていうわけです。
そんな風に畑を放っておいている間に、雑草はニョキニョキ成長していってしまうので、せっかく植えた野菜の栄養分が雑草に奪い取られていくわけで、獣を遠くに追いやってくれる銃の見回りは、ほんと〜に必要だったのです。
とにかく獣が危ないので、外作地まではまとまって行こうということになったので、居住区の門の前には日本人が集まっているような状態です。日本人のリーダー的存在である徳三さんの案内で、まずは松蔵さんが先行して進んでいくことになったみたいです。
『パーンッ』『パーンッ』
慣れた調子で松蔵さんは獣への警告の意味で空砲を撃っていくわけですけど、その音を聞いて木の上に居た灰色の猿たちが慌てて逃げていく姿が良く見えました。
オンサが出るっていうのにお前らは本当に外の畑まで行くのか・・
「ノッサセニョーラ」
と言われ、ブラジル人の方々が呆れたように見られていた日本人も、ようやっと、今は問題ないね、大丈夫そうだねという眼差しで見送られるようになりました。
「珠子ちゃん!珠子ちゃん!珠子ちゃん!」
裾の長い水色のスカートに白い半袖のブラウス、頭には薄桃色のレンソという四角い布を三角に折ってかぶっている。川地雪江ちゃん、私と同じでかぞえ年の18歳が私に声をかけて来たわけです。
雪江ちゃんは第三回移民船「神奈川丸」で、お姉さん家族と一緒に渡伯。義理のお兄さんとなる幸吉さんとお姉さんの安江さんの間には三歳の子供がおり、今は、お姉さんのお腹の中には二人目の赤ちゃんがいます。
身重のお姉さんの代わりに子供の面倒も良く見る雪ちゃんは、日本人移民の若い男衆から人気一位を獲得する人でもありました。
「あの人、神原さんって珠子ちゃんと同じ故郷の人だって聞いたんだけど?」
「ああ〜」
私は姉や母が何も持たないため、弁当やらコーヒーを入れた薬缶やらをぶら下げて歩いていたわけですよ。ちなみに雪江ちゃん目当ての男性がこの農場には山ほどいるので、彼女の荷物は、雪江ちゃんの信奉者が持っているので、何も持っていやしませんとも。
「こんなブラジルの田舎の農場で再会するのも奇跡だと思うんだけど、うちの姉が間違いなく、松蔵さんを狙っているみたいなんだよね」
なにしろ死んだ義理の父の帽子をプレゼントしているほどだから、本気で落とそうと考えているのでしょう。
「ええ〜!私だって狙いたい〜!銃を持っているなんて最高でしょ〜!獣からもブラジル人からも守ってもらえるじゃな〜い!」
いや、あの銃は松蔵さんの銃じゃなくて、ジョアンが日本人の為に貸し出すような形で渡したものだし。そもそも、これ以上、契約労働者が害獣の被害に遭っても困るという支配人の配慮であり、こんなことで日本人がボコボコ死んでも困るという移民公社の配慮だし、松蔵さんと結婚したらいつでも何処でも銃で守ってくれるだなんて、そういうことじゃないと思うんだけどなぁ〜。
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