しかたのないひと

「主神様。……私とリンから、地神様の精霊の記憶を消しましたか。」


 十字塔の最上階は、主神様の執務室です。

 私は地神の居室の外の廊下からそこに直接転移しました。

 断わりもなくここに転移していいのは私だけです。

 そして主神様に、さっきリンと立てた推論をぶつけました。

 主神様は眉をひそめ、目を閉じてたっぷりと時間を掛けてから、重い口を開きました。


「……したよ。」


「何か、あったんですか?」


「君は……彼を喪ったことを、とても悔やんでいた。

 リンが取る君の一番嫌いな相手が、君自身になるくらいに。」


 そんなことになっていたとは。

 私は驚いて目を見開きました。

 主神様は私の様子を見て俯き、

 私の視線から逃げていました。


「……すまない。

 私は君のために、彼の記憶を消そうと思った。

 しかし、その実……それは私のエゴでしかなかった。」


 すう、と主神様の口に空気が吸い込まれてゆきます。

 主神様は私の視線から更に逃げ、

 水晶壁に透けて見える外の方を向いてしまいました。


「私は、君が彼を慕うのが嫌だったんだ。」


「主神様……」


 私はこのまま主神様が飛んで逃げていきそうな気がして、

 近寄りながら声を掛けました。


「……私が。この私が、あなた以外を?」


 主神様が振り向きます。

 肯定も否定もしてくれません。

 しかし、その目は悲しみと後悔で揺れ溢れそうでした。

 そのように、見えました。


「……。いいえ。それなら、私には不要な記憶です。

 今の私はあなたのおそばにいたい。

 私は、主神様を一番に思っていたい。

 揺らぎたくなど、ありません。」


「ラインハルト……お前は、怖くないのか……?」


 そっと腕を回す私に、主神様は手を添えようとして、

 途中で今更遠慮でもするかのように固まりました。


「その気持ちさえ私に作られた意思かもしれないと、思わないのか。」


「……それは、以前に風神にも尋ねられました。

 私ね、主神様。

 今の私が好きなんです。

 あなたと共に生きて、

 あなたに求められて、

 あなたのためにいる。

 こうありたいという幼い頃からの夢が叶っているんです。

 この私が、たとえあなたのエゴで成り立っているのだとしても、私は構いません。」


「ラインハルト……」


「はい。私はラインハルトです。

 あなたのために生きる者です。

 どうぞ、好きにしてください。

 私が信じられないなら、私の記憶を全て奪っても良い。

 それでもきっと、私はあなたに恋をするでしょう。」


「そんな勿体無いこと、するもんか……」


 ふ、と私の胸の中で主神様が破顔した気配がしました。

 ようやく、私の背中にその手がしっかりとしがみつきます。


「ありがとう。私を信じてくれて。」


「あなたを善良だと信じているわけではありませんよ。

 たとえあなたが悪であろうと、

 あなたのそばにお仕えしたいと思うんです。」


 だって、

 今のあなたには、

 私がいないと駄目じゃないですか。


 あなたは壊れてしまっているのです。

 優しすぎて、おかしくなってしまっているのです。

 私はあなたがきっと、かつてはうつくしかったのだと思うのです。

 きっと太陽のように輝いて、人を愛し、だからこそ世界に愛されたのだと思うのです。

 うつくしかった、うつくしくないひと。

 無惨に傷つき、破壊され、もう元には戻せない宝玉。

 忘れられ、忘れさせて、その名を捨てた半端者の神。

 そんなあなたがいつか再び立ち上がってくれるなら。

 割れた鏡に写る光景も悪くないと感じてくれるなら。

 そんな奇跡を特等席で見ていたい。

 あなたにありがとうと言われたい。


「……ありがとう、ラインハルト。」


 ああ、そして、は。

 そう遠くない、予感がしているのです。





┼ ┼ ┼ ┼ ┼ ┼


「……用件は分かったわ。」


 相手はいけ好かない父母とはいえこれは仕事の話。

 私は父の居室できちんと居住まいを正し、事前に集めた依頼量の情報を元に二柱を説得しました。


「確かに私は旅の安全が主担当で、量としては多くはないわね。

 それに、順風満帆、波風が立たないというふうに、良い風は平穏や安全と結び付けられている。美の神がやるよりも道理かもしれない。」


「俺は統治と争いの担当だ。それは裏を返せば平和への祈りであることが多い。ただ、両立するどころか相反する場合もある……」


「でしたら、風神様にお願いするのが……」


「いや。相反するからこそ、管理は一人でする方が良いと思うのだ。

 美の神、お前は先日俺が主神と話した内容を覚えているだろう。」


「……はい。」


「複数人でやると、ああいう意見の対立が必ず起こる。

 気づいていなかったかもしれないが、今まではお前を立ててきた。

 だが、手に入るならこの機に俺一人で完結する仕組みにしておきたい。」


「そう、だったのですね……それは気づかず、ご迷惑を。」


「良い。俺だって平和の方が大事に決まっている。」


 ふ、と微笑んで武神が私の頭を撫でてきました。

 嘘だな、と思います。

 武神が好むのは、弱者の救済。

 そのためなら社会構造をひっくり返してもいい、とこの前発言しようとして、主神様にたしなめられたのです。

 見極めるべき、だと思います。

 この男にヒトの平和を守るつもりがあるのか否か。


「……では、武神としての解決を見せてください。

 ちょうど一件、大きな介入の依頼があります。

 私と一緒に仕事をしませんか、父上。」




 私と武神、風の神、そして主神様の四人で、大陸の中央に広がるミラン高原の北西、ヨルネル山脈の南側に立ちました。

 眼下に広がるのは栄えているヒトの街。

 その向こうは荒涼としたミランの裾野です。


「こうして、私達が何人もつるんで動くのも久しぶりね……」


「昔はこんなこともあったんですか?」


「勿論。主神様が仕事の振り方を分かっていなかった頃は、何でもかんでも皆で解決しようとしていたからな。

 無駄が多すぎて不満が噴出したので今のやり方に変わっていったわけだが……

 美の神には、一度は見せておいても良いかもしれん。」


「そうだったんですね……」


「昔話は好きじゃない。」


 主神様が私達の雑談を遮り注目を集めたあと、ついと視線を街の方に移しました。


「武神、風神、ラインハルト。

 今見えているのが新興の国ガルガネア。

 極北信仰者は被支配者層のみ、

 支配階級は一神教の中でも厳格なアッリアール教徒だ。」


「アッリアール教徒、まだいるんだ……中々しぶといわね。」


「まだいるどころか、近年また力をつけてきている。

 俺も憂慮はしているのだが……」


 武神がちらっと主神様を見ました。

 主神様の施策を生ぬるいと感じているのでしょう。

 しかし何も言わないのは、一応でも私や風神の前で主神様を立てているのに違いありません。

 風神は主神様の批判には過剰に乗ってきますし、私は主神様の批判には過剰に反発しますからね。

 さすがに身内としてその辺りの機微は弁えているということでしょう。


「ガルガネアは、南東のミラン高原から流れてきたアッリアール教徒によって占領されてできた国です。

 そして、この国に今脅かされているのが、ここからヨルネル山脈ひとつ隔てた北のトーナンシア。

 二百年前に敬虔な信徒達で形成された国です。

 また南東のミラン高原には、アッリアール教徒をこのガルガネアに追い立てた、馬煬マヤ国という別の異教徒の国が存在します。」


 そして、このガルガネアの信徒達が、圧政に耐えかねて祈りを捧げてきたのが今回の介入のきっかけ、というわけです。

 ちなみに、武神である父の方には、ガルガネアを憂慮するトーナンシアの為政者からの祈りも届いているとのことでした。


「俺の考えは簡単だ。

 トーナンシアにガルガネアを占領させる。

 支配階級のアッリアール教徒を追い出し、ここを極北信仰圏に戻す。」


「それだとガルガネアの信徒達を巻き込んだ戦争になるわよ。

 ガルガネアの信徒達に力を与えて、国を取り戻させるのはどう?」


「お二方、周辺敵国のことを忘れていやしませんか。

 ガルガネアが国力を減らすと、馬煬国が好機と見て漁夫の利を得にきますよ。

 私ならまず、ガルガネアとトーナンシアの交易を増やしてガルガネアを富ませつつ、トーナンシアを仮想敵国から外させます。

 トーナンシアとの交易では、信徒達が主力となる。上層と下層の差は緩やかになり、圧政も弱まることでしょう。

 そして、ガルガネアが馬煬国に対する防衛力となるようにするのです。」


「なるほど、それならばトーナンシアも富み、圧政も減り、戦火の恐れもなくなるか……」


 私の意見に武神が賛同しかけたところで、主神様が口を開きました。


「いや。ガルガネアが富めば、その成功体験を得たアッリアール教徒が第二第三の占領国を作ろうとするだろう。

 ガルガネアのアッリアール教徒は、やはり滅ぼす必要がある。」


 主神様のおっしゃる通りです。

 ヒトは、愚かなのでした。

 私は目先の平和のみに気をとられていたのかもしれません。


「では……」


「私ならば。

 まずガルガネアの信徒達に、半年ののちガルガネアが滅ぶから逃げよとお告げを出す。

 アッリアール教徒達は無論一笑に付すだろうが、信仰篤い者はやがて正しく逃げおおせるだろう。

 半年。それだけあれば、馬煬国が戦の準備をする猶予がある。間違いなく、人手不足になったガルガネアは落とされる。

 しかしそこで命を落とすのはアッリアール教徒と、極北のお告げに従わなかった者達、ということになる。」


「逃げるって、どこに逃げるのよ……」


「トーナンシアだ。そして馬煬国とガルガネアが互いの戦力を削り切った時点で、トーナンシアがガルガネアを占領する。」


「トーナンシアと、先にガルガネアを占領した馬煬国の戦いになるのは避けられないが……ガルガネアの被支配者層の信徒達はもう、ガルガネアには居ない……」


「そうだ。そして、半年では馬煬国とて十分な戦の準備はできないだろう。つまり、トーナンシアが漁夫の利を得られる。」


「……成功すれば、最もうつくしい解答だと思います。

 しかし、本当にそう全てがうまくゆくでしょうか?」


「うまくゆかせるんだ。そのための、私達だよ。」


 そう言って主神様は莞爾にっこりと私達に破顔しました。

 ああ、やはりこの方の本来の姿は、

 光り輝く大英雄なのだと。

 主神様。

 この方は、天才ではない。

 それは私が一番よく知っています。

 だからこそ分かるのです。

 この方はきっと、誰よりも長くこの三国の問題に心を配っていたに違いありません。

 何度も思考実験を重ねて、どうするのが一番信徒達の未来に繋がるのか模索していたのでしょう。


「……その案に乗ろう。」


「良いんじゃないかしら。」


 両柱も不満などは抱いていない様子で頷きました。


「ところで……武神。」


「何だ。」


「一人で完結したいと言っていたらしいが、お前一人で今の案は出たと思うか?」


「……いや。少なくとも、すぐには出なかっただろう。

 それに、いくらなんでも一人でやるには守るべき箇所が多くリスクが高すぎる。

 他の柱の協力が必要な案だと思う。」


「そうだ。私達には時間があるが、ヒトには時間がない。

 だから、こういう大規模な介入の時には、絶対に一人でやろうとするな。

 その為の、〈英〉の仲間達だろう。」


「……。」


 武神は複雑そうな顔で黙ってしまいました。

 〈英〉の仲間達。

 それは、神々となった短命種達の、昔の呼び方でしょうか。

 その中に私は、主神様は、入っているのでしょうか。


「それを理解してくれるなら、お前に〈平穏〉の祈りを任せてもいい。」


「……承知した。」


 主神様と武神、どちらも険しい顔をしていたのが、

 ひどく印象に残っています。

 この男はいつかきっと袂を分かつでしょう。

 それでも、頼ろうとするのは、

 諦められないから、ですか。

 主神様。どうかもう……


 いいえ。何でもありません。

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