くすんだ記憶

 とはいえ、普段の主神様は穏やかで理性的な神様に相違ありません。

 主神様の仕事を見て覚え、たまにあの方の代理を引き受けることもしましたが、

 基本的にはあの方は責任感が強く、自分の仕事と決めたことは人に譲らない方です。

 そしてあの方が真面目に仕事をしているからこそ、ヒトの世界は動乱しつつも緩やかに進歩していくのです。




「地神様、いらっしゃいますか。」


 その日、私は〈学問〉の分野の振り分けについて、かつて美の神の私に〈芸術〉の分野を禅譲した地神に相談しに彼の部屋を訪れました。

 地神は……割と人当たりのいい人物です。

 主神様のことも悪くは思っていないようで、何かにつけて最上階まで私達を構いにきます。

 彼がいなければ、この極北は私が生まれる以前にとっくに破綻していたと思います。

 ですが、そんな彼にも主神様は心を開いていない様子なのです。

 そこまで拒否反応を示すとは……以前にはもっと別な関係性だったのかもしれない、と思います。

 私からは主神様に負担を掛けたくないですし、当の地神は例によってすっかり忘れているのでしょうから、この先永久に知れることはないのかもしれません。


「ああ、いらっしゃいラインハルト君。待ってましたよ。」


「何もまだ言っていませんが……」


「フフ、地の神である僕が大地に住む人の声を拾えないわけないじゃないですか。」


「盗み聞きは悪趣味だと思います。」


「あれ? おかしいなぁ。

 主神様に同じこと言えるんです?」


「主神様のはお仕事なのでいいんです!」


「ああ、うん、やはり君は元気が良くていい。

 おじさん達の生きる糧です。」


「おじさん……」


 地神は控えめに言っても綺麗なひとです。

 見た目は背の高い青年のまま老いず、目じりは優しく垂れ下がり、口元にはいつも自然な微笑みをたたえ、優雅な白色のビシュトに身を包み、私よりも少しだけ襟足の長い髪型で、手が空けば大型の弦楽器セトラを奏でています。

 小さい頃はこうありたいと願った私の憧れの大人像でした。

 結局、武神の子であるために、弦楽器よりも剣の方が得意になってしまったのですが。


「おじさんですよ。君に比べたらね。

 見た目は揃ってきましたが、結構歳は離れているんですよ?」


「長命種の中で歳の話題って無駄じゃないですか?」


「フフフ、そうかも。

 でも覚えていてください、年上は意外と気にしているんです。」


「気にするなら言わなければいいのに……」


「自虐する分には問題ないのでね!」


 そう言って地神はにこりと花の咲くような笑顔を振りまきます。

 この笑顔に何度騙されてきたことか。

 そろそろこの柱の厄介さは身に染みてきました。


「雑談をしにきたわけではないんですよ。」


「ええ、分かっていますよ。

 〈学問〉の分野についてでしょう?」


「はい。元々、ヒトの知性は即物的なものでした。

 学習は仕事と地続きで、〈学問〉という分野は存在しませんでしたが……」


「ええ、最近は東方でも西方でも、識るために学ぶ人間が増えてきましたね。

 面白い人間の成長だと思います。

 惜しいなあ、僕達がもっと勤勉なら、あの分野を切り拓くのは僕達だったかもしれないのに。」


「確かに、私達長命種の利点は煩雑な欲に囚われず、何かに没頭できることにありますね。

 ただ、私達は……学を究めることに対しても、欲がないのだと思います。

 市井に近い混血種の中には、そういう短命種に影響を受けて、学問を体系化したり研究を手伝ったりしている者もいるそうですよ。」


「実に興味深い! 僕は好きだなぁ。

 そういう無駄にかまけることこそ、人生だと思いませんか。」


「はあ、美の神としては一考の余地がありますが、

 今のあなたの持論の是非はどうでもいいです。」


 相変わらずお喋りの好きな人です。

 放っておいたら一年くらい話し倒しているかもしれません。


「若者はどうしてそうせっかちなのか……長い人生、そんなことでは生き飽きてしまいますよ。」


「え、そんなことあるんですか?」


「フフ、どうでしょうね?」


「……地神様は一番縁遠そうですね。」


「褒め言葉かな! 気が若いってことかな!」


「お好きに取っていただいて。」


「近頃のラインハルト君はつれないなぁ……前はすぐ赤くなったり青くなったり可愛らしかったのに……」


「私で遊ばないでください。」


「バレていましたか。」


「隠す気あったんですか?」


「そういうツッコミ体質、確実にサンリアちゃんの血ですよね……」


 母の諱を出されて、む、と私は軽く地神を睨みました。

 神々同士が互いの諱を把握していることは知っていますが、

 あまり軽々しく口にしてほしくはありません。

 しかも、当人のいない場でなど。


「おっと……ごめんね、失言でした。」


「地神様は口が軽すぎます。そんなだからあんな精霊しか……」


「あ、ミリヤラのことかな。あまり役に立たなかったみたいで、その節はごめんね。」


「ミリヤラっていう名前だったんですね……」


「あれ? 君達、名を交わしたんじゃなかったんです?」


「……いいえ? 覚えがないですね。」


「それじゃ使えないわけだ……」


「いえ、彼は……」



 とても助けてくれたのだと、返事をしようとして、

 私は地神様にお借りした精霊のことをほとんど忘れていることに気づきました。



「……彼、なんの精霊だったんですか。」


「音楽の精霊ですよ!」


「そんなの戦闘できないに決まってるじゃないですか!」


「いやそれなりには出来たと思うんだけどなー!?

 そもそも戦闘になるとか思ってないし!!」


「それはまあ……はい。

 リンのタチが悪かったとしか。」


 ややこしくなるから出てくるなよ、と念じながら私は地神に返答しました。

 不服そうな気配を感じましたが、今は思い出話を広げたいのではないのです。


「で、そろそろ話を戻すんですが……」


「今の脱線はラインハルト君のせいだからね。」


「分かってますよ……。

 いいですか。

 〈学問〉の分野は今後間違いなく一部の人間の主題となると思います。

 争いがなくなれば、人間は人生を豊かなものにする方向に情熱を費やします。

 今までは、それは芸術であったり、真摯な仕事であったりした。

 これからは、そこに学問が追加されるでしょう。

 それほど大きな分野になると私は考えているんです。」


「それは僕も同意見ですね。

 人の知りたいという欲は果てしない。

 君に譲る前の芸術の分野は、学問に近いものだったと思う。」


「はい。今も私が主に担当しています。

 炎神様と分担する形でですが。

 ……やはり、私が受け持つべきでしょうか。」


 そう、これが本題。

 元々芸術を受け持っていた地神に仕事量を相談し、あわよくばどちらかを引き取ってもらいたい、と思ってのことでした。


「君は、美の神としてよりも、主神様の影として働いていたいのでしょう。」


「……。

 その通り、です。

 でも、それは甘えだと分かっています。

 私があの方のおそばにいたいのは、

 あの方の仕事を減らすというより……」


「分かりますよ。

 僕だって好きな人とずっと一緒にいられるなら、

 仕事なんか選びませんって。」


「水神様です、よね。」


「おや、惚気をご所望ですか?」


「いいえ。」


「……君の苦悩は分かりますよ。

 ただ、申し訳ないけど、世界に人が増えてきて、

 人の住む世界が拡がって、僕の仕事も増えてきました。

 僕はちょっと、力になれそうにありません。


 学問……やはり、君が一番適任だと思うんです。

 ただ、そうですね。

 君が今担当している芸術と平穏の分野ですが。

 平穏の方は武神か風神に投げても良いんじゃないですかね?」




 地神の居室を去ったあと、私はリンに気になっていたことを聞いてみました。


「リン。君が食べたって言ってた音楽の精霊って、地神様の精霊だったのか。」


「そうよ。……そうだったみたいね。」


 曖昧な返事ですね。忘れていた、ということでしょうか?

 しかし、精霊は星の端末。頭脳などが個体としてしっかりあるわけではないはずです。


「……ねえ。君達の記憶って、どうなってるの?

 やっぱり忘れることもあるの?」


「無いわ。そう……忘れさせられない限りね……」


「……それって。」


 私は立ち止まり、自分と契約した大精霊の顔を見ました。

 彼女は少し不機嫌そうな表情で、ゆっくりと頷きました。



「ええ。恐らく主神がやったのだと思うわ。」

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