いちばん怖いもの

「ラインハルト……緊張、しているのか。」


「……はい。戦火も目を逸らさず見てまいりましたが、実際に彼らの命を私が預かることになるのは、初めてですので……」


 トーナンシアがガルガネアに攻め込むために出兵する陣の前に、私達は転移しました。

 現前する奇跡としての神の姿。

 昼の大精霊と夜の大精霊を従える私達は、それをしっかりと伝説にし後世に残させるために敢えてヒトの前に立つのです。

 黒髪黒目は神の民の証。

 そして主神様はウェルの翼をその背に生やしています。

 トーナンシアの人々がざわめき、怒涛の歓声が場を支配するまで、それほど時間はかかりませんでした。

 主神様はいつもの無表情で彼らを眺めていましたが、その目は慈しみを湛えていました。


「ラインハルト。ヒトは、どうしようもなく短命だ。

 ここで命を拾っても、明日病で倒れるかもしれない。

 ならば、彼らが望んで戦おうとしている今、

 私達はその命を惜しむべきではない。」


「主神様……あなたは強い方なのですね。」


「……私達が短命種だった頃は、毎日が戦場だった。

 私達は精霊を使役して、一族を守り……

 そして気づいたら、神になっていた。

 ラインハルト。

 戦争を知らないのは、君だけなんだ。

 つらくなったら、いつでも言いなさい。

 私のうつくしい子が心を病むのは見たくない。」


 主神様の優しい目が、ヒトから私の方に移ります。

 私は満足と少しの羞恥を覚えながら、優雅に微笑みを返しました。


「いいえ、大丈夫です。

 必ず主神様のお役に立ってみせます。」


「であれば、行こう。

 機を逃しては得られないものがある。

 馬煬マヤ国がガルガネアと戦いを始めて、三日目だ。

 そろそろ動かないと、万一山脈の向こうに着くのが遅れると、ガルガネアの街は馬煬国に焼き払われてしまっているだろう。」


「はい。……リン!」


「何かしら。」


 斜め後ろに立っていた私の大精霊が返事をします。


「私を抱えて運んでくれない?」


「……嫌よ。

 あなた、もう大人なのよ。

 もう少し外聞を気にしなさい。」


 私は驚いてリンの方を振り返りました。


「そんな真人間のようなことをリンに諭されるなんて……」


「ラインハルト。憑依させなさい。リンにも翼はあるだろう。」


 そういえば、試したことはなかったですね。

 主神様のように、私に翼を、と祈ります。

 闇夜のベールが私を包み、

 たおやかな花のような香りを辺りに振り撒きながら、

 私の髪、体、指先、つま先まで、

 リンの魔力が浸透していきます。

 背中にぐっと圧力がかかり、

 ばさり、と大きな翼が生えました。


「……できた、かな?」


 なんだか、体があちこち重い感じがします。

 これが憑依というものなのでしょうか。


「ああ……ラインハルト、お前……」


 主神様が息を呑む声がして、私はなんだろうと首を傾げました。

 さらり、と、私のものとは思われぬほど長く豊かな髪が、背中の翼の上を移動するのが分かりました。

 え、と驚いて改めて自分の体を確認します。

 星月夜のような長い黒髪。

 つけた覚えのない耳飾り。

 胸には存在を主張する大きな膨らみがあり、

 爪は長く闇色に塗られ、

 翼は髪と同じ漆黒に輝き、

 衣服は変わってしまった体の線を強調するかのように、

 白と黒の二色が交差するぴったりとしたドレスになっていました。


 何。

 何ですか、これは。

 誰ですか、これは。

 何事ですかこれはーーー!!?


「長髪のお前も、うつくしいね。」


 思わずパニックになりそうな私を、主神様の声が引き止めてくれました。

 ありがたいことです、が。


「主神様……」


 髪より先に気になるところがあると思うんですが。

 天然なんですか?


「少し、極北に戻らないか?」


 あ、違った。

 これもう完全に狙われていますね。

 リンはなんてことしてくれやがるんですかね。


「主神様! 駄目ですよ!

 私達の姿が彼らを鼓舞するのだとおっしゃっていたでしょう!」


 うわあ!

 しかも声は男のまま据え置きなんですね!?


「……ならば彼らの、夜営の時に。」


「っ、主神様……」


 下腹部辺りに、知らない鈍い疼きがあって、私は自分の体に閉口してしまいました。

 リンの馬鹿。もう、知りません。




 私と主神様の加護もあってトーナンシアの軍勢は無事にヨルネル山脈を越え、ガルガネアの北方に陣を布きました。

 神の奇跡はここまで。

 ここから先は、大々的に先導するのではなく、

 姿を隠し遠方から魔法でタイミングの微調整、

 裏仕事です。

 私もようやく元の姿に戻ることができます……。


「来たわね。」


 風の神が主神様の魔力を目印に転移してきました。


「お前も無事で良かった。」


「私がヒトなんかにおくれを取るわけがないでしょ。

 ……良い感じに削っておいたわよ、馬煬国の戦力。

 焦って本国に増援を呼んだみたいで、今はパッと見圧倒的優勢だけど、内情はボロボロだわ。

 無傷の新手が出てきたら簡単に押し崩せるわよ、きっと。」


「上々以上だ。武神は?」


「色んな事情で逃げられなかった信徒達を逃がそうとしているわ。」


「逃げられそうなのか?」


「多分無理ね……どうする?

 このまま馬煬国に一度占拠させるの?」


「予言を実現させるなら、馬煬国に一度滅ぼされないといけないが……そうか、武神は……」


 主神様は、アイツらしいな、とぼそりと溜息混じりに呟いて。


「だったら、首都の門前ギリギリで馬煬国をトーナンシアが食い止めよう。

 滅びの運命だったが、神の加護により守られた。

 それが誰の目にも明らかになるように。」


「なんか、あんたのやり方っていつも詐欺師っぽいわよね……。

 ま、いいわ。それがなのは理解してるから。」


 理想的、を嫌味っぽく強調してフンと鼻を鳴らしたあと、風の神は真剣な表情に戻りました。


「武神には伝えないでおくわね。」


「それが良いだろうな。」




 ガルガネアの城壁に取り付いていた馬煬国の横っ腹を叩いたトーナンシアは、そのまま馬煬国の軍勢を包囲しました。

 食う側が一瞬にして食われる側となったのです。


「これが、戦争……」


 近くの小さな丘からその様子を見ていた私は、思わず呟きました。


「ヒトはやはり、命燃やす時が一番うつくしいな……」


 どんな無能でも、戦いとなると死にものぐるいです。

 血が舞い、剣が煌めき、炎が踊る。

 どこを見ても怠ける者のない、決死の戦場。

 お前達は今までその牙をどこに隠していたのか。

 死を前にしてようやく生きることができるのか。

 命のやり取りをするヒトの絶叫は心が踊り、

 耳に心地良いとさえ思います。



「黒髪黒目! こいつら、異教徒の神官だ!」


「まさか、新手かッ!?」


 突然私達の背後から声がしました。

 迂闊。

 目の前の光景に心を奪われ、馬煬国の小規模な別働隊が近づいてきていたのに気づかなかったのです。


「いや、たかが二人だ。このまま首級に取れ!

 ガルガネアの城壁に高く掲げ、トーナンシアの気力を削ぐのだ!」


 転移の術は、間に合いません。

 主神様が私と兵士の間に割り込みました。


「主神様!」


「お前は、逃げろ!!」


 どん、と突き放されて。


 何かの記憶と、重なるように。


 主神様に、先鋒の槍が何本も刺さり。


 主神様の手足も、首も、何もかも千切れ……


「ララ」


 主神様の声が遅れて耳に届いた、次の瞬間。


 襲ってきていた馬煬国の騎馬隊が、バラバラになって弾け飛んでいました。


「ッ!? 主神様!!!」


 私は一瞬で無人となった血と肉の海を目の前にして、

 さっきの光景が、何かの、間違いではないかと、

 息を詰まらせながら、立ち眩みしながらも、

 血風漂う中を、構わず歩み寄りました。



「やれやれ、逃げろと言ったのに。

 綺麗なお前の顔が、赤く汚れてしまった。」



 血溜まりの中で眩い光が拡がって……輪郭をとり、

 中から。

 無傷の主神様が。


「しゅ、しん、さま……

 ご無事、で……」


「無事だとも。

 私は不老不死、

 死ねない男だよ。

 誰にやられたともつかぬこの程度の事故では……

 代替わりして終わらせることもできないようだ。」


 引きつるような、笑顔の失敗作を顔に浮かべながら、

 主神様は私に〈浄化クリーン〉の呪文を唱えました。

 私の顔や衣服に染みついた赤が浮かされこぼれ落ちます。

 同時に、涙も。


「良かっ、良かったぁ……」


 ララ、という短い詠唱。

 あれは、覚えがあります。

 昼夜の大精霊リン/ウェルが分かたれる前、

 時の大精霊だった頃の名前。

 以前、主神様は私だけに教えてくれたのでした。

 時を止めて、その間に死に至るだけの攻撃を加える、

 シンプルだけれど必殺の、即死魔法。


 時を止めたのに、その後の攻撃を受けたのは。

 死にたかったから、ですか?


「主神様……」


 私は主神様の前に崩れ落ち、その膝に抱きつきました。


「何だ?」


「もう二度と、死なないで……」


「ああ。死ぬのは痛いからね。

 なるべく無駄死にしたくはないものだ。」


 主神様が屈んで、私の頬に流れる涙を優しく拭ってくれます。

 呪文ではなく、その右手で。


「いいえ、いいえ。

 あなたは生き返ると確信しているのでしょうが、

 私の心が死んでしまいます。

 今のような光景を、二度と見せないでください……」


 私が必死に取りすがると、

 主神様はくしゃ、とシワのよるような笑顔になりました。


「……弱ったな。

 お前は存外意気地無しだ。

 戦火も目を逸らさず見てきたのではなかったのか?」


「そこに大切な人はおりませんでした。

 私の人生は懸かっておりませんでした。

 あなたが生き返ると知っていたとしても、

 とても直視できない、恐ろしい光景でした……」


 唇の震えが止まりません。

 主神様は出発前に自分の言ったことを思い出したのか、

 私の唇にそっと唇を重ねて。

 今度こそ優しく、微笑んでくださいました。


「……今日の私達は、ここまでにしよう。

 あとはアザレイに任せておけばいい。

 帰ろう、ラインハルト。よく頑張ったね。」

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