「 ことの顚末 」— episode 4 —

「ナガタ……ノリコ」

 おもわず息を飲んだ。背中に嫌な汗が流れる。

「本気で殺そうなんておもっちゃいない。それに、もうムショ暮らしはうんざりなんでね」

 老人は目を細めながら「……そうか」そう言って黙った。

 —— 今スグココカラ立チ去レ—— 頭の中で警報が鳴り響く。足がいうことをきかない。

「あんたら……」

 喉が干上がっていた。うまく声がでない。

 老人は背後の足元から薪を拾い、暖炉に投げ入れた。

「少し長くなるが、いいかね」

「……ああ」

 やっとそれだけが言えた。老人はゆっくりと頷いた。

      • •

 風が強まってきたのか、窓が音を立てはじめた。

 老人が話しだすと、あの男がやってきた。飲み物を置き、また下へとおりていく。マテ茶を甘く、それでいてほろ苦さのあるよくわからない味だった。

 老人は時折、暖炉に薪を投げ入れては淀みなく話し続けた。おれは黙って、その話に耳を傾けていた。

「ここまでが今のところ、わたしやあの男。そして村人たちが把握している状況なのだが……」

 二日前—— 。

 この村で殺傷事件が起きた。

 この村は主に農業と畜産。馬の生産で生計を立てているという。貧しいが皆で助け合い、昔からいさかいなどほとんど起こらない。穏やかな村なのだそうだ。ところが ——。

 日中の最中の出来事だったという。

 村に住む一人の若い男。その男がいきなり刃物を振り回し、見境なく周囲の村人を切りつけ襲いはじめた。寄り合いで集会所にいたあの使用人の男 —— 名をウダという 。 騒ぎを聞き、駆けつけた。襲いかかってくる若者から刃物を取り上げ、取り押さえた。だがすでに数人の負傷者。最悪な事に、死人を一人だしてしまっていた。

 その若者は現在、村の地下牢で鎖に繋がれているという。名をチャンといい、誠実な人柄で子供たちの面倒見もいい。村の皆に信頼され、慕われていた。それだけに村中の人間が首をかしげ、恐怖と哀しみに暮れているということだった。

「ここまでで、何か質問はあるかね?」

「いや」

 老人はまたゆっくりと頷いた。

 チャンを地下牢に繋いだ後。村長と老人。ウダ。現場にいた一部の人間。一部始終を目撃していた者達だけが集められた。

 するとそこで、あるいくつかの疑問が浮かび上がった。

 その日。事件前の若者を見た村人の証言によると—— 。

 昼過ぎ。フラフラと覚束ない足どりで家から出てきた。まるで血の気が引いたように、真っ青な顔をしていたという。ブツブツとなにかを呟いていたらしい。その時はまだ手に刃物はなく、話しかけても応答がなかったそうだ。すぐ家の中に入ってしまったという。

 惨事が起こったのは、それから間もなくのことだった。

 若者は刃物を振り回しながら、何かを叫んでいた。村人達が知る言語ではなかったため、誰一人意味を解せなかった。ただ一人、若者を取り押さえたウダだけがわかった。なぜなら、その言語が日本語だったからだ。

 森が騒めいている。

「その男は、なんて言って叫んでたんだ?」

 老人はパイプに火を点けると、ゆっくりと煙を吐き出した。白い煙が天井に当たり、部屋の中に広がっていく。

「ウダがいうにはその若者が、“ ナガタノリコはどこにいる。殺してやる”。そう叫んでいたそうだ」

 目眩がした。全身の肌が粟立つ。

「どういうことだ?」

「わたしにもわからんのだ」

 唸るような声。揺れ動く炎に照らされた、深い皺が刻まれた顔。怒りと哀しみだけではない、なにかがあった。

「ウダと共に地下牢に行き、その若者に会ってもらいたい」

 —— そういうことか。

「ようするに、ナガタノリコと関係があるおれに事の真相を突き止めて欲しいと。そういうことか?」

「それもあるが。おぬしがこの領域に引き寄せられた理由と。もとの領域に戻る手がかりが掴めるとおもうのだが。なによりも…… 」

 老人は真っ直ぐにおれを見詰め、言った。

「あの誠実な若者を救ってやりたいのだ。どうか、力を貸してはくれんか?」

 切実な声音だった。

 だがこの老人は何かを隠してる。ここがどこなのかなど、どうでもよくなっていた。

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