「招かれた客」— episode 3 —

 崖の上から見た森。

 とてつもなく広大な樹海だった。

 遠くにうっすらと見える山脈。そのふもとまで続いている。

 ひどい目には遭った。だが飢え死にか、獣に襲われる前に捕われてよかったのかもしれない。男は相変わらず黙っている。もともと寡黙かもくな男なのか。

「ここはいったいどこなんだ?おれが元いた世界とあきらかに違う。いったいどこに向かってる?」

 男は前を向いたまま何も答えない。

「おい、聞いてるのか?おまえはいったい——」

 前を歩いていた馬が急に止まった。男が振り返り、遮るように言った。

「おれにこれ以上質問するな。おまえにこれから会わせる人間の、おれはただの使用人だ。ついてくればわかる」

 そう言うとまた前を向いて進みだす。取りつく島もない。

 服の上からでもわかる鍛えあげられた身体。耳にしたことのない言語で異民族と会話し、流暢な日本語を操るこの男。それがただの使用人……。

 再び森へと入る。しばらく行くと上に物見櫓ものみやぐらのある大きな門に辿り着いた。高さ五メートル程もあろうレンガ造りの壁。深さ二メートル程の堀が、壁沿いに森の闇の中へと続いていた。櫓にいた見張りの者が下に合図を送る。すぐに門が開かれる。

 男はまっすぐうまやへと向かい、馬からおりた。

「おりろ」

 馬を繋ぐと、何も言わずまた歩きだす。

 そこそこ大きな集落のようだった。

 小高い山の方へ向かって歩いて行く。階段がその上へと続いている。黙ってひたすら上がっていく。うっすらと明かりが見えてきた。

 木造二階建ての家屋。中へ入ると暖かかった。

「ここで待っていろ」

 男は二階へと上がっていく。

 薄暗い部屋を見回す。生活感があった。天井には太いはり。外から見えた明かりはランプと蝋燭ろうそくだった。貯水タンク。かまどもある。食卓の上には白い花が生けてあった。足音が聴こえ、男が二階から下りてくる。

「上がってこい」

 暗くて狭い階段。上がり、左へと後に続く。廊下の左右に扉が一つずつ。男は突き当たりの扉までくると、二回ノックした。

「入れ」

 そう言って扉を開け、目で促してきた。中へ入ると男は扉を閉め、下へと戻っていく。

 真っ白な髪と髭をたくわえた老人。暖炉の前の椅子に座り、パイプをくゆらせていた。

「むさくるしい所ですまないね。まあ、かけて」

「……日本人…だな」

 椅子に腰掛けながら訊ねた。

「ああ。日本で生まれ、日本で育った」

 この部屋に入った時から感じた違和感。何故かはわからないが、そのまま口にした。

「おれがここへ来ることを、あんたはわかってた。……そうなんだろ?」

 老人はゆっくりとした動作で、煙をふかした。

「話がはやくてたすかる」

 そう言って吸殻を灰皿に捨て、パイプを置いた。右手の甲に撃ち抜かれたような銃創じゅうそう。かなりの古傷にみえた。

「尋ねたいことは山程あるとおもうが。まずはおまえさんがこの領域へ来た理由だが……」

 それが一番知りたかった。

「わたしにもよくはわからんのだ」

 ふざけるな —— 溜め息が出た。

「話が違う。さっきの…あの使用人とかいう男がここへくればわかると言った。あんたに聞けばわかるということだろう」

 苛つきと疲労感がない混ぜになった。

「まあ落ち着いて。話を最後まで聞いてくれんか?」

 そう言って老人は少し黙ってから、静かに口を開いた。

「おぬし、殺したい人間がおるであろう」

 口調が変わった。声質も ——

「そんな人間、むこうには腐る程いる。なんなら、惑星ごと消滅しちまえばいいとさえおもってるよ」

 老人は目を閉じた。そしてゆっくりと、信じられないことを口にした。

「ナガタ……ノリコ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る