「拘束」— episode 2 —

 鬱蒼うっそうとした暗い森の中。

 ひたすら歩き続けていた。

 空半分を覆い尽くす巨大な天体。薄紫のおぼろげな光を放ち、かろうじて足元を照らしている。

 もうどれほど歩き続けたのか。

 わかることは、この道が人の手で切り開かれたものだということ。

 そして、ここが地球ではないということ。

 目覚めたとき、森の茂みに倒れていた。

 一月ほど前——。

 島根の刑務所を仮釈放で出所した。

 身元引受人ガラ受けがいなかったおれは、松江市にある更生保護施設で世話になっていた。施設から紹介された解体業の仕事。その日も無事一日が終わり、いつものようにコンビニへ寄る。夕飯と煙草を買う。施設までの帰り道。松江城の堀に沿って歩道を歩いていると突然、強烈な頭痛に襲われた——その場に膝から崩れ、意識が途絶えた。

 その後のことが一切、何もおもいだせない。

 ただ、朦朧もうろうとした意識の中で聴こえた……あの不気味な声。

 あれはいったいなんだったのか。頭痛がした。今はただ、この道を進むしかない。

      ・       ・

 少し前から、ずっと何かに見られている。

 一つや二つではない。無数の視線。しかし殺気はない。

 暗闇の中、次第に何かが詰めてくる。近づいてくる気配がした。右手の木々がざわめく。身構えた次の瞬間、目をみはった。高い樹木から無数の人影が降ってくる。一瞬のうちに取り囲まれていた。全身を黒い布で覆い、物騒なものを手にしている。背後から地面に押さえつけられた。正面にいた男が何か言いながら近付いてくる。どこの言語か全く判別できない。

「何を言っているのかわからない!」

 手振りを交え何度も叫ぶ。一向に埒があかない。いきなり背後から首の辺りを殴られた。視界が消えた——。

     • •

 真っ暗な闇の中。

 首の痛みとともに目が覚めた。

 木の匂い。わらの感触。鉄格子——牢の中。ゆっくりと身体を起こす。すぐ側に門番が一人立っていた。

「おい」

 声をかけた。門番の男が振り向く。

「お前ら……いったいどういうつもりだ。ここはどこだ?」

 男は何も答えず、また前を向いた。

 外では篝火が焚かれているのか。入口の辺りが明るく揺れている。

 水と食事が運ばれてきた。一切手はつけなかった。殺すつもりはないとおもっていいのか。まだわからない。殴られた首の辺りが痛む。

 さんざん歩いた疲れからか。いつの間にか眠りに落ちた。

 翌日も同じように食事が運ばれる。再び闇が訪れ、外では篝火が焚かれはじめた。

      ・       ・

 島根県浜田市にある民間刑務所。あさひ社会復帰促進センター。

 二年二ヶ月の刑期を終え、出所した。ようやく娑婆に出れたとおもったらまたこのザマだ。つくづく自分の人生が嫌になる。しかも今は仮釈の身。今頃はおれが失踪したとおもわれ警察沙汰になってるはずだ。どうでもいい。いったいいつまでこんなところに拘束されるのか。

 頭痛とともに吐き気が込み上げる。

 人が何人か入ってきた。目の前までやって来ると、鉄格子の前で何やら話しだした。

 牢の鍵が開けられる。訳がわからないといったおれの顔を見て、若い男が口を開いた。

「ついてこい」

 日本人ではない。西アジア系にちかい。

「日本語を話せるのか?」

「まだ喋るな」

 黙ってあとに従い、表へと出た。

 森に囲まれた集落。木造の高床式の家屋が、所狭しと並んでいる。

 門番が二人付き従ってきた。集落の入口までやってくると、男は門番の一人に —— おそらく金だろう——を渡した。門番たちは満足そうに去っていく。側には馬が二頭。男が縄を外していく。

「馬には乗れるのか?」

「いや」

「乗ってみろ」

 手綱を掴み、鐙に足をかけ鞍にまたがった。右の肩あたりがまだ痛む。来年四十を迎える身体が悲鳴をあげる。

「走らずに行く。ついてこい」

 聞きたいことが山程ある。ここは一体何処なのか。あの得体の知れない集団。この男は何者で、どこに向かっているのか。

 男は黙ったまま馬に揺られている。

「おい。さっきのあいつら……いったい何者なんだ?」

「この辺り一帯を支配してる異民族だ」

 —— 異民族……。

 ついていって大丈夫なのか。嫌な予感しかしない。だが今はついて行くしかない。

 峠を登ってきたせいだろう。次第に気温が低くなっていく。遠くから滝の音が聴こえる。見たこともない馬鹿でかい鳥が、聴いたこともない啼き声で二人の上空を横切っていった。不気味な、啼き声だった。

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